炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

忌憚ない善意と親の呪い

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こんにちは。火力不足です。

 

私立中学への投資についての記事が出ていますが、笑えることに既に本文で答えを記しています。賛否両論なんてわざわざ回りくどい言葉を使わなくても、2件しかない事例で成功と失敗の2極を生み出した原因はこれ以上ないくらいはっきりと書かれています。今回の例で言えば、子どものポジティブな変化を考えれば250万円も投資としては十分おつりがくるでしょう。

子どもの意向だったかどうかですね。同じような事例をどれほど積み上げても、大抵は似た結果になるでしょう。

 

原因自体は明らかなので、本日はこうした子供の意向をくみ取れる親とそうでない親との差異について考えることを目的とします。

 

 

目次

・親の呪い

・ゴールのないシャトルラン

・日ごろの環境づくり

・まとめ

 

・親の呪い

こうした子供の進む道をあくまで善意で決めようとする親は、まず間違いなく呪いにかかっています。自分が子供の時にも同じように道を決められたか、自分の将来に興味を持ってもらえず無関心の扱いを受けたか、虐待などを受けたかのいずれかです。

自分が子供の時にレールを敷かれてしまったので、レールを敷くことが絶対であり親の役目だと思い込んでいたり、自分が親に冷遇された分自分は子供にやさしくしないといけないという強迫観念にとらわれたりします。いずれの場合も善意から動きます。特に、自分が冷遇された場合はされたことを二度と繰り返さまいと心に誓っているのですが、極めて皮肉なことにほとんどの場合繰り返します。どす黒い善意を抱えたまま自分の善意を理解しない子供を、自分の親と同じく最も自分がされたら厭な方法で叱ります

こうした負の連鎖を断ち切るには、よほど人間関係に恵まれるか、日々の生活で徹底的に邪悪な部分に気を付けて制御し続けるかのどちらかしかありません。長年刷り込まれた呪いは文字通り呪いであり、解呪するには相応の期間と精神力が必要になります。

 

・ゴールのないシャトルラン

また、こうした善意を持った親は傾向として勉強を好みません。正確には知識のアップデートを怠ります。方法を親から学べなかったり、勉強が自分自身のモチベーションに繋がらなかったりと原因は多岐にわたりますが、とにかくその勉強不足を子供の前でも披露します。知識がアップデートされていないので子供と方針が食い違うものの、あくまで善意で進めているので子供が断ると腹を立てます。せっかく子供のために時間を割いてレールを敷いてあげたのに子供が従いたがらないので叱ります。否定します。根拠もなく自分が勧める努力が大切と考え、いつか報われると考えます。

記事中の例で言えば、中学受験までは頑張れと環境を制限され続けた子供は、いざ目標の中学に合格してモチベーションが消えうせます。自分のための入学でないのだからある意味当然ではあります。目標を成し遂げたにもかかわらず、「なんで入ってからも頑張らないの?」と言われても子供からすればマラソンを終えた瞬間にいきなり次のコースへ案内されるようなものでしょう。自分で決めた道でない分、余計に苦痛が勝るでしょうね。シャトルラン100回を終えた瞬間にあと100回追加されるようなものですね。

繰り返しますが、親に悪意は一切ありません。心の底から子供の為になると信じています。

 

・日ごろの環境づくり

逆に、自分の善意で子供を縛り上げないためには、日ごろの環境づくりが非常に重要になります。普段子供扱いして子供自身の意見を否定するのに、「言いたいことがあれば言って」と言っても子供が素直に言うわけがありません。親が勉強しているそぶりもなく、テレビや新聞の意見を妄信しているだけなのに子供が知的好奇心に基づいて勉強するわけがありません。親の立場を利用したダブルバインドですね。いったんこういった信頼失墜行動を行ってしまうと、そうそう信頼は回復しません。子供からすればどう行動しても叱られるか否定されるかのどちらかですから、まともにコミュニケーションをとるのがあほらしくなってくるでしょう。大人でもダブルバインドの使い手とは心底関わりたくないですよね?

こうした信用を失うことを避け、子供の意志を尊重し続ければ子供の方から意向を話してくれるでしょう。話すに足る相手として信頼されているからこそ、人生の重要な決断について相談されるわけですね。

 

・まとめ

今回の例を成功例として学ぶとすれば、子供から金銭のかかる重要な決断について相談できる環境の素晴らしさでしょうか。普段から子供を蔑ろにしていたり、子供は言うことを聞くものとして支配していれば、子供から自主的に意向を伝えられることはまずありえません。

人生の重要な選択についてきちんと話せる環境は、普段の親の行動、子どもが間違いを犯したときの親の対応によって地道に形成されます。普段きちんとしたコミュニケーションを子供と取っていないのに、どうして重要な場面で子供と適切なコミュニケーションがとれるのでしょうか。

善意から呪いを再生産してしまうからこそ、まさしく呪いと言われるゆえんなのかもしれません。