炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

承認の満たし方は個人の自由

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こんにちは。火力不足です。

 

SNSでの「いいね!」のために月10万円投じる人の記事です。SNSで承認欲求を得たいがために友人を雇い、一度に5万円を使って充実した自分を演出しているようです。

「インスタ映え」なる言葉もあるように、SNSによる画面の向こうからの評価が気になる人はものすごく気になるようです。正直個人的には10代女子の遊びだと思っていたのですが、想像以上に浸透していますね。

 

自分自身でやりたいとは全く思いませんが、SNSで自分自身のストレスコントロールができるのならそれはそれで構わないと思います。

 

本日は、承認の満たし方について考えることを目的とします。

 

 

目次

・高い趣味

・自身のコントロールが重要

・まとめ

 

・高い趣味

自身が満足したり、自身がストレスを解消するためにやっているのなら、趣味と捉えてもよいと思います。趣味と断言してもよいでしょう。高い趣味だなとは思いますがね。そして、他の趣味と同様、他者に何らかの強要をしなければ個人の範疇である程度好きにすればよいでしょう。

例えば、筋力トレーニングや旅行といった比較的メジャーな趣味であったとしても、再三善意だとしても強く誘ってきたり、ベテラン目線で色々言われれば害になるでしょうし、実際他者の趣味など結婚制度が崩れた今では、自身の害と犯罪にならなければ何をしていてもよいでしょう。もっとも、これは自身の趣味にも言えることですがね。

ただ、給料30万円のうち、10万円を趣味に投じるというのはいささかやりすぎなようには感じます。食事にも影響が出ているわけですから、ギャンブルへの依存や、ソーシャルゲームへの課金に近いかなと思います。

 

・自身のコントロールが重要

SNSを使って、自身のストレスを低減したり、満足した時間を過ごせるのなら何の問題もありません。SNSはあくまで手段にすぎませんからね。ただ、SNSで思うように「いいね!」が得られず過剰な投資をしたり、SNSをすることが目的化すると一気に依存になります。よって、趣味が何であれ、自分自身をコントロールできる状態が健全であると考えます。ただ、「いいね!」が押されるかどうかは完全に他者に依存します。自分自身の実感ほどの成果が得られなくなった時、あるいはこうした承認文化が衰退した時にその行き場をどうするのかはなかなか難しい問題になると思います。

それこそ、前述したようにソーシャルゲームや賭け事といったギャンブルに依存して金を使っているというのがやはり近い感覚なのかなと思います。

しかしながら、こうしたSNSにしろソーシャルゲームにしろ、ここ数年で爆発的に利用されるようになったばかりです。数十年は承認欲求がどのように処理されてきたのでしょうか。完全に推測にはなりますが、ネットがなかったことで良くも悪くも他者の承認について知らずに済んでいたのが大きいかなと思います。承認欲求バックドアができたという意味ではよいのかもしれませんが、ここまで過剰に他者の評価を気にしてしまうのはそれはそれで息苦しくなってしまうでしょう。「いいね!」だけを適度に出力してくれるアプリとかがあれば流行るのでしょうか。勿論実際の人間でないことは隠す必要はありますがね。

 

・まとめ

SNSに没頭してしまうことよりも、承認欲求が昇華されない現実世界のシステムの方が課題がありそうです。勿論、良いことばかりで回っていかないのは仕方ないのですが、多くの人間が褒められたり、認められることにこれだけ飢えてしまっているとなると、学業や労働においてそういった承認を補填するようなシステムを考えないとお互いに苦しいように思います。特に、中年男性は仕事一筋で友人関係を疎遠にしてしまったり、趣味なく過ごしてしまうとセーフティネットもない以上承認欲求に溺れてしまう危険性もあります。

ただ、こうした男性ほど日ごろ他者を褒めることなく、「もっと」を要求したり、誉め言葉にそもそも乏しかったりする結果それが自身に跳ね返っているのではないでしょうか。

日常生活でまず相手を褒めて、感謝してみれば、自然とSNSから手が離れるかもしれません。