炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

風説とともに去りぬ

今日一日で、何もかもが解決することはあり得ません。

勝ったとして、「今までは全て無駄だった!!」と断言できるはずもなければ、同様に「今までの積み上げなくしてあり得なかった!!」とも言えません。言えるはずがありません。負けたとしても同様です。

 

そんな中でのフィッカデンティ監督の船出は、広島さん相手に引き分けに終わりました。

 

一言で申し上げれば、守備という技術を今まで疎かにしてきたんだな…と嫌でも痛感させられる試合でした。

付け焼刃と言わざるを得ない場面もありましたが、現状の格上を相手に追い付いてアウェイで勝ち点1を持ち帰れば、そこまで痛烈に批判されることはないでしょう。

監督が出来ることは尽くしてくださった、というのが正直なところだと思います。

 

 

 

と同時に、不安になったのが「止めて蹴る」が想像以上に蒸発していた点です。

ボディアングル・狭い位置でのターンなど、観測外の技術は膨大にあったとは言えども、キーワードとされ続けてきた「止めて蹴る」への投資だけはそうそう揺るがないものと思っておりました。

ところが、新監督就任後たった一試合で、2年半ボールを保持することに取り組み、足元の技術を高めてきたチームの姿はほぼありませんでした。別に広島さんと比較してパスミスが少ないとか、緻密なパスを通しているとか、トラップが全然乱れていないとか効果のありそうな場面でも今一つのように感じました。

 

ただ、別に風間氏がいらっしゃったときにパスが正確だったかを問われたら別にそうでもなかったので、妥当なのかもしれません。得点シーンが、相手の判断ミスにより崩れたスペースを突いたものであるという点も、変化はありません。

 

まさか、2年半という短くない時間を賭して積み上げたものが、たかが新監督が一週間小手先で弄っただけで消えるなんてあり得ません。消えたとすれば、それは元々なかったのに風説であったことにされたものなのでしょう。たった一週間で驚くほど曖昧模糊なキーワードは去っていきましたが、暫く風説は漂い続けることでしょうね。

流麗なビルドアップがなくなったとか、魅力的で分厚い攻撃が消えたとか、色々そもそもないものねだりが今シーズン中は亡霊の如く湧いてくるでしょうね。

バイタルエリアバリアフリーにする混沌サッカーは思い出したように湧いてきたので、あれこそが風間氏の功績であり、一番の結晶なのかもしれません。

監督が代わっても遺ったものを見られることで、真にボールを保持するサッカーの継続に必要なものを確かめられるとすれば、それはそれで残留すれば悪い話ではありません。非常に高い勉強代になるかもしれませんがね。

 

そして、現時点ではあまり発揮されなかった自慢の技術については、

 

・そもそも積み上げでもなんでもない、空虚なもの

・一定のリソースを消費すれば可能だが、新監督のやり方へリソースを集中させたため、一時的に疎かになったに過ぎないもの(時間が解決する)。

・膨大なリソースを消費すれば可能だが、風間氏以外の下では実行不可能なレベルの燃費の悪すぎるもの(仕様に合わない・使用価値がない)。

 

おそらくこの3つのいずれかだと思われますが、これも今シーズンを追い続ければいずれ見えてくる話でしょう。単に急な適応を強いられたことによる一過性のものだとよいのですが、継続して見えてこないと、やはりそもそもなかった可能性も現れてきます。

3年目が勝負とおっしゃっていた方々は少なからずいらっしゃったので、総括はシーズンを終了したのちにしていただけると思います。今は目の前の試合を戦えば良いのではないでしょうか。

 

 

2年ぶりくらいに、まさに今こそ「時間が必要」な時期のはずです。

ところが、一週間でさえ我慢できないのは滑稽な話ですね。博打ではないので確かに夢は見られませんが、夢に見たはずの継続性は、かつて可能性を感じられたのなら今だって十分期待できる試合だったと思いますがね。

継続性などただのダシで、社交界にて鳥や花を愛でるがごとく、夢を見ること・妄想することこそが本質であれば、現状の悲鳴や批判はなんら驚くべきものではありませんが、果たしてどうなのでしょうか。

そもそも別監督と比較するにしても、今比較できるのはシーズン途中に小倉氏からバトンを引きついだボスコ氏くらいです。2年半の監督と就任1週間の監督の比較に溜飲を下げる以外の意味などありません。

 

そして、今シーズンを終え、現監督とともに守備の山から攻守一体サッカーへの茨の道を登っていくのか、残留ありがとうで他の監督に託すのか、いや守備こそ至高と方針転換するのか、現時点ではわからないことばかりです。個人的には、遅かれ早かれどちらの山も登らないといずれ勝てなくなるとは思っているので、プールで泳ぐ時間を減らして、さっさとどちらの山でもよいので取り掛かっていただきたい所存です。それこそ「時間のかかる」話ですからね。

 

見た目ではボールを保持していたのが、見た目ではボールを保持しなくなる。

見た目だけは変わりましたが、1週間で何もかも好転するほど甘くありません。

そして、それがどれほどピッチ外に因果を与えるかは外からわかりません。

 

中身が好転することを祈りつつ、今を戦い抜くのが最善ですね。

 

 

                                   了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一週間で、「こんなはずじゃなかった」という声はともかく、「だから言ったでしょ」という声もあるのは実に小気味よい話です。

だから言ったのに、というのはまさしくずっと前から我々側が暗黙に示してきた言葉であり、嘲り・風説を流されて当然の、サポですらない下賤の者たちと同じ振る舞いをなさるのは品位あるファミリーの方々にしては脇が甘く、誇りに欠ける行為のように思えます。

これから、チームを応援したい思いと、ご自身の予想が的中してほしい思いがコンクリフトを起こすのでしょうが、それさえも同じ振る舞いです。かつては嫉妬だとおっしゃいっていた恥ずべき振る舞いをなぞるようになさっていくのでしょうか。それとも、ファミリーとしての誇りがそれを許さないでしょうか。

またあるいは…

 

つまらないという批判もあるでしょうが、まぁそこは主観なのでコメントのしようがありません。私だって横浜戦や清水戦をはじめ、振り返ればもっと退屈な試合をいくらでも引っ張りだせますし、そこを語っても仕方ありませんね。

虚像は消えども、目標は続く

ついに、風間氏の契約解除とともにフィッカデンティ監督の正式な監督就任が発表されました。長かったですね。

 

 

まずは、本当に紙一重で判定に恵まれて理想もへったくれもないスタイルでしたが、勝負に徹し一年でJ1復帰というノルマを果たしてくださり、感謝申し上げます。お疲れ様でございました。

勉強期間はなく、研鑽は容易ではありませんでしたが、ご本人の成長・ブレイクスルーが最後までピッチ上で見られなかったことを遺憾に思います。

 

 

口止めされていたのか、機会を伺っていたのかはわかりませんが、今更になって「なぜ風間グランパスはうまくいかなかったのか」と原因を分析しているかのような記事が堰を切ったように現れています。全くもって鮮度も節度もないですね。

 

風間サッカーを貫くが目標であったのなら、その夢は間違いなく潰えたことでしょう。しかしながら、攻撃的なサッカーを貫くであれば、決して夢が潰えることはありません。風間サッカーを探求するのであれば世界にで風間氏以外の適任者はいらっしゃらないでしょうが、「攻撃的」であれば、ピッチ上に実現する手腕を併せ持った監督は一定数いらっしゃいますし、現実的に手の届くレベルの監督もそこにはいらっしゃいます。

現時点では自身の不勉強により、フィッカデンティ監督に攻撃的なサッカーを志向するイメージはありませんが、曖昧模糊なイメージに依存することへの恐ろしさがここ数年の教訓です。理想と現実の距離を詰めるのであれば、イメージを盲信せず、ピッチ上を色眼鏡なくとらえるのが近道といえるでしょう。

そして、今後クラブがどのような方針を継続していくのかは、正直現時点ではわかりかねます。フィッカデンティ監督招聘の意図も明確に特定できませんからね。残留を見据えてのものだとは思いますが、その先は白紙です。また、シーズン途中での就任は時間も好みの選手もいない特殊な状況です。結果と内容の両立は実現すれば最高ですが、楽観はできません。

潤沢なキャンプ期間と、要望に合致した選手補強、粘り強いフロントからの支援があれば結果と内容は両立させられるかもしれませんね。そんなチャンスがもう一度訪れるかはわかりませんが。

 

まぁファミリーの皆様の愛するクラブが決めたことなので勿論変わらず支持なさるのでしょう。実現したいサッカーの一手段でしかない監督が変わったくらいで途絶えるクラブへの深い愛などあるはずないですからね。風間氏の功績に感謝するとともに、無責任なメディアの「だから失敗した」という後出し論を無視して、粛々と積み上げてきたものについて具体的に語ればよいのです。追いかけ続けた証として、何がどう積み上がり、それは監督が変わったくらいで褪せることのないような、名古屋の礎になりうるプレシャスな技術であると証明すればよいのです。

たかが数試合で消え失せるものが、未来永劫スタイルの礎として継続することを信じるほうがおかしいですね。未来は現実の積み重ねです。加えて、継続することで目標に近づいているのであれば、考えられる現象は右肩上がりの上昇です。

漸く壁を破り、結果も伴って上向いたが…というストーリーであれば、積み上げは説得力を持ち、目が揃うという謎の概念はある程度支持されることでしょう。

しかしながら、現実で3度にわたって披露されたのは、練度が上がるほど、時間がたつほど揃うはずの目は乖離し、能動性の欠片もなく相手に依存し、たいして攻撃的ですらないままろくでもない結果を繰り返すという惨状でした。

 

・試合を重ねても上向かない現実

・試合を重ねても一向に改善されない欠点

・全く手入れの跡がないビルドアップ

・ボール保持率100%と激しく矛盾する可能性の低い博打パス・シュート

・一切ヴェールを脱がない「名古屋らしい崩し」の継続性のなさ

・ユースや観客動員など因果関係が曖昧で状況証拠の弱い事象と風間氏の功績を無理に結び付けようとする動き

 

これらの信頼を失うに足る事象が文字通り積み重なり、優れた翻訳家の方々でも「継続性」を具体的には説明できない状況が続きました。

風間氏の志向するサッカーが継続性など求めず、一試合のエモーショナルな一瞬こそが大切という思考であれば腑に落ちる話なのですが、なぜか繰り返し説かれたのは「解任派は目先の結果しか見ていない」という真逆の話でした。その点を懐疑的に考えてくださる翻訳家がいらっしゃらなかった点は誠に遺憾でしたね。

耳さわりの良い言葉を広め、「時間がかかる」という言葉で先延ばしするのは悪質な情報教材を用いた詐欺でもできます。そんな低俗なものとは違うことをピッチの上で証明して、翻訳していただきたかったですね。

 

風間氏との夢は確かに終わりましたが、シーズンは続きますし、目標への旅は続きます。何か大切なものを失ったわけではありません。些末なポジティブさをとにかく拾い上げ、どんな時でも応援するという声はつい2か月前には聞こえたのですが、今はどこへ旅立ってしまったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

返す返すも残念です。

その一言に尽きますね。

 

 

 

 

「貫く」の軽さ

風間氏の監督就任が発表されたあの日から、ずっと避けたかった最悪の展開がありました。

 

何もかもが失敗し、「いくら風間さんでも焼土の名古屋は立て直せないよね~」で終わり、時間と金だけを浪費するという未来だけは避けたいと思っておりました。

当時も、火中の栗を拾ったという称賛の声がほとんどの中、私の中で恐怖として残り続けた話が2つありました。

「名古屋の予算規模は大きいし、川崎以上に好き勝手出来る。失敗したら状況が最悪すぎたことにして逃げられるし、それができるカリスマ性もあるからどう転んでもオイシイ話だ」

「自分のクラブでは絶対やってほしくないけど、賭けとか娯楽として眺めるのにはこれ以上ない」

どこまで本気かもわからないような他サポーターさんの何気ない書き込みでしたが、今もなお覚えております。

 

そんな与太話から2年半が経ち、いつか来る日が訪れました。 

 

 

 

技術に基づいた攻めるサッカーを貫く。ブランディングやプロデュースの一環とすれば実に見事です。しかし、その実に迫ろうとしても、現れるは虚ばかりなのです。

 

「止めて蹴る」「外して受ける」「技術」「目を揃える」「未来への蓄積」「選手の最適な判断」etc…

様々な言い換えで理想に近づくとされるキーワードたちが闊歩しました。

 

止めて蹴る、他クラブさんのほうができてませんか?繰り返すほど精度が落ちていませんか?いつ逆脚を使うのですか?

 

では技術とは何でしょうか?すべては技術。走ることから、体の向きから、ボールがない時の動きも、勿論ドリブルも。ドリブルさえ、重心によるフェイク・一瞬の加速・目線を用いたやり方、偽りの成功体験を蓄積させる手段など様々ですね。単体で見てもすべてが「技術」これが複合した合わせ技にもなりえます。

 名古屋において推奨される技術の中に含まれていない「観測外の技術」という表現を以前用いましたが、今もそれは変わりません。 スローインも、網を張る守備も、ターンもすべて技術です。観測外の技術に幾度となく苦杯をなめる日々が続きましたね。

技術が重要というのは、「全部できれば最強」と同義です。そりゃすべてできれば当然に強いでしょう。それができないからどのクラブも苦労しますし、限られた時間で特定の技術に投資するわけです。不可能という点にさえ目をつぶれば夢は見放題です。

よって、クラブの将来などどうでもよくて、夢を肴に好き放題内輪で語りたいのであれば現状はこのうえなく快適だと思います。そんなサポーターがいるはずもありませんが。

 

積み上げたものも同じです。「積み上げたもの」とよく言われますが、具体的に何になるのでしょう?当然時間をかけたのであれば何らかの積み上げは得られます。家で24時間寝ていても、「長時間の寝転がる姿勢に耐えうる肉体と精神」は蓄積します。

現在の主題は蓄積の有無ではなく、クラブの基盤たりうる継続性・能動性がピッチ上でどの程度プレーとして断片的に表象されているかどうかです。積み上げ自体は生きていれば得られはします。ただ、それは目標の達成に不可欠で、他クラブさんと比較して優位性のあるものでしょうか。いくら5年で積みあがろうとも、他クラブさんが4年で同等の積み上げをしていたら不利です。

 

目を揃えるも同じです。揃えば確かに良いでしょう。ではどうやって揃えましょうか?

そもそも目を揃えるって何でしょうか?イメージの細部まで共有する必要があるのなら、なおさらゼロからイメージを擦り合わせる必要がありません。とりあえず簡単なパターンを組んで、派生させ、最後に独自のやり方に至る「守破離」で問題ありません。

守破離」をしないことこそが独自性だと言われたものの、結局その良さは最後まで明らかになりませんでした。一方でその悪さは明らかでしたがね。この辺はどうなんでしょうか?自分らしさに拘る美学にときめきを感じるものなのでしょうか。

加えて、目を揃えたから勝ったのではなく、勝ったことで目が揃ったことになったという逆の因果も起こりえます。「目が揃う」意義を証明するためにも、どういった事象が目が揃うことを意味するのか明確にしておくべきでしたが、未だになされていません。ここを揃えておかないと、「目が揃うって何?」への回答の目が揃わないという滑稽な状況に陥るのですが、たぶんその程度の概念なのでしょう。

 

最適な判断についても同様です。判断が最適だったものの、実行と乖離していたフェーズも同時に論じないと、ミスは後追いで「やっぱり判断が最適ではなかった。もっと選手は適切に判断できる」と遡及して結果論で言えてしまいます。目が揃うに関しても同様です。

勝つための手段として最適な判断をするはずなのに、勝利をもって最適な判断ができていたことになってしまうという逆の因果ができてしまいます。

野球で言えば、「ピッチャーが最適に判断し続ければ相手選手の逆をとり完封できる。もし点を取られたらそれはピッチャーがミスを犯したからだ」というのを信用できるでしょうか。無茶もよいとこですね。

  

 

それに拍車をかけるのが、真偽の疑わしい数々の武勇伝です。 

 

風間氏の謎エピソード① 「力をセーブしろ」と監督から言われた。

 

初めて耳にした瞬間、いくらなんでもアドバイスとしておかしすぎるのでは?と感じました。王様に合わせてチームを作るならともかく、王様を下僕のところに引きずりおろすメリットがありません。あるとすれば、王様は実は下僕にすぎず王様ではなかったという仮説くらいです。

完全な推測にはなりますが、監督がバクスター監督であり、松田浩監督の著書から引き継がれた考えを推察すると、「力をセーブしろ」という言葉は、

 

「タスクを一人で背負おうとしすぎるな」

「何でも自分でやろうとするな」

「お前にはお前の仕事がある」

 

といった言葉で、真意は「お前がピッチのあちこちに顔を出すと、一番怖い位置に一番怖いプレイヤーがいるべき時いなくなってしまう。だから味方を信じて待ち、動きすぎるな」くらいのアドバイスではないでしょうか。個人的にはこれが一番辻褄が合います。元の文章も、状況証拠すらもない完全な妄想ぽえむですがね。

今名古屋のジョー選手で起こっていることを鑑みれば、そんなに遠からずとも思うのですが、どうでしょうね。いずれにせよ真相は闇の中です。

 

風間氏の謎エピソード② 戦術を仕込んだら簡単に勝ててしまいつまらなかった。

まず、いつの話でしょうか?次に、どこでの話でしょうか?あるいは、どのチームを相手にした時の話でしょうか?

対策されない数試合に氏がめっぽう強いことは既に知られた話ですが、シーズンを通した継続性となると、ピッチ上の監督なしでは通年もたないのでは?という疑念が尽きない状態です。よって数試合のみでこの結論に到達したのであれば、仮説としての真偽はさっぱりわかりません。数試合ならそれは対策されてないし強いよね、と。

そもそも、今や数年で最前線の監督が時代遅れになってしまうこともあるこの時代に、いつの話かも明確に分からない過去の杵柄で語られても「凄いのはわかったので早く今の名古屋で見せてください」としか私は思えませんね。

そんなに偉大ならできるでしょ?と。選手揃ってたし、Jクラブ有数に希望する補強はできていたよね、と。嫌みの一つも言いたくなります。

ビルドアップ一つ未だに整備されていないのを見ると余計に拍車がかかりますね。古き良き屈強な大男たちが最後尾に陣取るクラブではもはやありません。

たとえビルドアップの方法を知っていたとしても、実際にピッチに落とし込む手腕については疑問視されてしかるべきではないでしょうか?時間をかけて改善の兆候が見られないのですから、ある日いきなりできるようにはなりえないでしょう。やれ理想だ未来だと語ろうとも、未来は現実の延長線上にしかありません。

したがって、仕込んで宣言通り易々上位争いまたは優勝を果たして、その道を礎としたうえでなおも確固たるスタイルが必要だと、今の道に踏み出すのであればまだ腑に落ちましたが、ピッチの上で見えないことには何とも言えません。絶対負けられないはずの昨シーズンの湘南さんとの試合でアレだったので、甚だ怪しいですがね。

 

風間氏の謎エピソード③ とんでもない負けず嫌い

 

そもそも、プロになるような選手は世間一般をはるかに上回る負けず嫌いです。

よって、プロの方を評する際に負けず嫌いというのは、実態として何一つ表現していません。プロとして生きていくうえで負けず嫌いになっていくのか、元来負けず嫌い気質の方だけがプロになり、生き残っていくのかはわかりかねますが、いずれにしても負けに対して異様な嫌悪感や恐怖感は有しているはずです。

しかしながら、理想に対する拘泥はあれども、勝負に対する拘泥については特別リーグ有数とも思えません。ここも完全な私の主観ですが、トップリーグに携わる人間として常軌を逸したレベルではないでしょうね。

 

 並べて見て初めて感じましたが、妙な全能感を抱いた思春期の学生のようですね。

元のエピソードの理解が誤っていたら、そこから得られる教訓も勿論ずれたものになります。そう考えれば私自身は腑に落ちます。あくまでも私自身はですがね。

 

 

話がそれましたが、現状へ回帰します。

そして、現状を語るうえで外せないのが、「攻めるサッカー」ですね

 

攻めるサッカーと一言にいっても、多種多様なやり方があります。その中でクラブは、ボールを保持するやり方を選び、そのオーダーを果たせる監督として風間氏を選びました。

ある程度の期間があって、部分的に片鱗は見られる時期もあったものの、オーダーに合致した物を継続してピッチ上に表現できなかったのです。結局はそれに尽きるのです。

 

よって、風間氏そのものは、自己演出の非常に巧みな監督がオーダーに合致した演出ができなかったというだけの話でしかありません。

海外旅行のチケットを買うという契約をしたのに、金を振り込んでチケットは出てこなかった。契約とは違っていた。それだけです。

 

それ以上に嘆きとなるのが、後任の一貫性のなさですね。
フィッカデンティ監督の能力そのものの可否ではなく、さんざん継続・クラブの基盤を作ると公言していたにも関わらず、熟慮されたとも思えない決断がぽろぽろ出てくる稚拙さが突き刺さります。

 

・風間氏が順調にいかなかった時の次善の策の乏しさ

・目標とするスタイルの曖昧模糊さ

・風間氏に求めていた仕事の範疇(ACLか若手の抜擢かスタイルの構築か)の曖昧さ

 

わからないことばかりです。それでもまた、数日後には追いかけているでしょう。

 

 

とはいえ、ピッチ外に目を向ければ観客は増えていますし、地域にも少しずつ根付き始めています。

ここまで順風満帆であった観客動員に関しても、将来一時的に減りは見せるでしょう。強化部が出場機会以外での移籍交渉に苦戦したように、営業も観客の定着という別フェーズに移行すればいずれ苦戦する時期は来ます。その時期だけをもって、風間氏がいなくなったことと短絡的に結びつけないよう留意しておく必要があります。加えて、風間氏個人のカリスマ性で観客を惹きつけられるのだとしたら、猶更期間を限定してカリスマ性に依拠しなければなりません。個人のカリスマ性は継続とは対照にありますからね。カリスマ性への依存をよしとしながら継続を語るのはお笑いもいいとこです。

 

 

 最後まで、何を貫きたかったのかはわからなかったですね。

                                

                                

目標とピッチ上の不協和音

 

いみじくも、風間氏は試合前このように語りました。

「どこのチームと戦っても押し込めてしまうほどの力」はある、と。

 

そんな力が、あるかないかで言えばあるでしょう。氏は間違いなく嘘は言っておりません。いつも通りですね。

瞬間最大的に、34試合のベストの数分間を切り取れるのであれば、このチームの最高到達点はリーグ屈指に高く、Jリーグの他クラブさんであれば間違いなく押し込めます。

 

そして、残留を争ううえで、一分でも長く相手のチームを押し込め勝利をもぎ取る必要がありました。勝ち点差はわずか3で、最近の試合結果を見て「飛ぶ鳥を落とす勢い」とは言えそうになく、むしろ現状を打破しようと試行錯誤なさっているという表現のほうが適切であろう清水さんを相手に、その力を発揮できるかはいろいろな意味で重要といえる試合でした。

勿論相手のある勝負ですから、相手が堅牢であればどうしても絶好機は少なくなるでしょう。そういった点では、ここ数試合複数失点の続いていた相手ということで、チャンスすらろくに訪れないという展開は考えにくいものでしたし、実際その通りにチャンスがあったように思います。

ACL圏に到達するという目標の意味でも、今現在を戦うという意味でも、残留を争う相手を蹴落とす意味でも、相手チームを押し込める力を証明する意味でも、絶好の試合でしたね。

 

34試合のうち、重要でない試合など1つもありません。しかしながら、6ポインターと呼ばれるような直接対決においては、特に重要性が増します。そんな試合で披露されたのは、またまたいつも通りの展開でした。

2点差をつけられるという、そもそも起こる時点で順調ではない状況がいつものように発生して漸く、ゴールへ向かい点を獲ることに目が揃います。自分たちが主導権をもって相手を押し込めるどころか、相手とスコアに思いきり左右されています。

 

とはいえ、クラブが目指す方向性として、34試合の記録に残る試合より1試合の記憶に残る試合を創造したいと考えるのであれば、現状のやり方は腑に落ちるものです。記憶に残る瞬間が欲しいのであれば、必要なのは継続性より最高到達点です。可能性は低くとも、揃えば輝くものを抱え、ひたすら揃うまで試行回数を重ねるというのはある程度合理的です。例えば、ゲームなどで最高ダメージを狙うのであれば、低確率でも効果の大きいものが選ばれますね。

 

しかしながら、実は継続性より目先の瞬間を追いもとめていたという説は根拠に乏しいです。中長期的な積み重ねを疎かにして目先の結果を取るのかという紛糾は、飽きるほどこの2年半見られました。その中で、「記憶に残る一瞬のために戦っている」といった趣旨の主張は、私が存じ上げている範囲では皆無でしたね。散々キーワードにされてきた継続性とは対を成すようなものなので、当然と言えば当然ですがね。

 

クラブが降格後から掲げ続けたACLで勝てるクラブになるという目標と、継続性・クラブの基盤・貫くといった連綿と続くことが前提のキーワードたちと、風間氏のサッカーを翻訳できる炯眼をお持ちの方々による積み重なった知見を組み合わせれば、実は継続性よりも記憶に残る一瞬を追求していたというのは、まずあり得ない話です。さすがに揃いも揃って目標とのミスマッチを見逃し続けるのはいくらなんでもおかしな話ですね。

 

 名古屋に携わる数々の方の知見を拝見する限り、やはり継続して攻め続けるサッカーが目標なんだろうなというところは揺らがないわけですが、ピッチ上との不協和音がノイズとして現れ続けています。15試合で1勝で、「順調に目標へ向かっています」とはなかなか言えません。「○○選手が帰ってくれば… 」も消費期限の過ぎた言い訳です。

いくら潜在能力や最大到達点の魅力を語られようとも、

 

・最大のパフォーマンスが発揮されるための条件がシビアすぎる点

・発揮されないときは凡庸と呼ばざるを得ない点

・最大のパフォーマンスが発揮できるかどうかが強く相手に依存している点

・実際に発揮された場面があまりにも少ない(限定的な)点

 

このように制約が多すぎて、実現可能なレベルになっていないと断じられます。そして、すべてがかみ合っても5-0では勝てません。「全試合5-0で勝つ」という宣戦布告から2年半が経過し、アマチュア様からJ1トップまで様々な相手と戦い、未だその光景は小倉期の福岡さんとの試合以来眼前に収められていません。

試行回数を一定以上担保できるゲームでやるとしても、リターンが乏しすぎて割に合わないのではないでしょうか。ロイヤルストレートフラッシュを待ちすぎて、betできるコインを失ったような感覚です。そして待っていたのはせいぜいフラッシュだったと知ったような徒労感を覚えます。

 

以上のことから、能動的でもなく継続性も別にないという状況では、そもそもクラブの礎としたいものも創りえません。受動的で臆病で何となく博打が当たることを祈るサッカーを名古屋のスタイルにしたいのですかね?そんな能動性も継続性も一切ない蜃気楼を未来永劫連綿と続けたいのでしょうか?

そうならそうとおっしゃっていただけないと詐欺になってしまいます。砂上の楼閣でも夢を見たいと。夢を見るのが目的で、継続性はそのためのダシにすぎないとね。

 

継続性が懐疑的になった途端に、「今この瞬間を戦っているんだから雑音はいらない」

といった趣旨の言葉を見かける機会も最近は増加しました。大変殊勝なことで、称賛されてしかるべきお考えだと思います。

ただし、今この瞬間を戦うには、誰であれその瞬間以外に訪れる「準備」という戦いを制す必要があります。スタジアムで飛び跳ねるにはそのための体力・健康が必要ですし、当日に合わせてコンディションを揃えなくてはなりません。

「遠征考えるのダルいし、筋トレとか体力つくりなんて面倒でやりたくない」と語る傍らで、「90分応援したいのに体がもたない!なんで?」とほざいているサポーターが居たら、覚悟と実行力が足りないと一刀両断にされるでしょう。

 

ピッチ上で90分相手を制圧するために、実行可能なレベルに「目は揃って」いるのでしょうか?清水さんと戦うための準備はできていたのでしょうか?今まで多くの他クラブさんに突かれてきた穴は中断期間で処置してきたのでしょうか?その答えは名古屋グランパスに愛がある方ほど痛感しているのではないでしょうかね。

 

そして、「目が揃う」についても、未だ謎は解明されていません。

 

 シーズンが始まる前に、私は「選手が入れ替わるから目が揃うまでの時間が取れない」という仮説を立てました。ところが、試合は進めどメンバーを固定せど、一向に目は揃うそぶりがございません。正確には、「目が揃ったことにより起こるピッチ上の膨大なリターン」をほぼお目にかかっていません。選手同士の意思疎通によりコミュニケーションが深化しだんだんと目が揃うのであれば、試合を重ねるにつれ内容は上向いていくはずです。現実はそうはならず、もっとも輝くのは大規模な移籍直後のむしろ「目の揃わない異分子になりうる選手たち」がたくさんピッチ上にいらっしゃる時期です。

 

「ゴールを獲る」という点にフォーカスすれば、一番目が揃っているからだというご回答がいただけるかもしれません。

最もなご回答です。

同時に、その解釈がありになると失うものも大きいですが。

 

その理由を考えるために例を挙げてみます。 

 

後半も半ばを過ぎたところで、自チームは1-0で勝っています。時間帯もあって、お互いに疲れが見えてきて、徐々に走れなくなりつつあります。

 

さて、どうしましょうか?

 

サッカー経験者なら一度はピッチ上で突きつけられたことのある悩みでしょう。

変な欲を出すと崩れかねません。バランスを保って今のまま行きましょうか?

2点目を取ればかなり楽になります。とどめを刺しましょうか?

1点を守り切り始めてもよい時間帯です。逃げ切りに入りましょうか?

 

 目の前の試合に勝つという点では、当たり前に目は揃っています。さすがにここで揃っていないことは八百長がまずないJリーグにおいてはあり得ません。

ところが、そのために実行する手段で目が揃いません。

前線の選手は突き放して楽になりたいでしょうし、後方の選手はゴール前を空けたくありません(名古屋は空いてるじゃんというツッコミはなしでお願いします)

 

こういった判断が分かれかねない場面で、意思統一し実行できることが「目が揃う」ことの最大の優位性であり、他クラブさんとの差別点となりえるのです。

こうした曖昧な部分を統一し、実行できるからこそ「目が揃う」ことに価値があるのであって、「やりたいことやって勝ちたいという気持ち」で目が揃っても意味に乏しいですし、それを「目が揃う」と呼んでしまえば、意義は毀損されることでしょう。

「勝つことに執着できるチームにしました!!」というのは簡単ですが、勝つためにさぼりたいこと・怠けたいことを淡々と排除し、厳しくてもチームのために必要なことを実行できるレベルになっているクラブさんは多くはありません。残念ながら、短くない時間を費やし、まだまだ目標は遠いと言わざるを得ないでしょう。

 

ACLを諦めはしませんが、目標は依然遠いままです。

そして、J2に降格して、風間氏が来てくださったあの時から、こうなることも当然あり得る未来でした。プロジェクトとして本気ならば、こうなりうることも予見しておくべき事態です。

 

・中村選手というピッチ上の指揮官の不在

・J2で勝ちながらJ1で勝つチームを作る難しさ

・選手の大幅な入れ替わり

・風間氏の監督としての充電期間(休息期間・勉強期間)がないこと

・スタイルの確立の進捗が順調か

 

様々容易にはいかない原因がある中、「監督の方向性とクラブの方向性が合致しないこと」は遅かれ早かれいずれ起こる話です。勿論風間氏に限った話ではありませんが、最も衝突の見えやすい立ち位置なのでわかりやすいです。

引き継げる人が居ないという話も耳にしますが、根本的になぜそこまでガラパゴスな道に邁進したのでしょうか?なぜ2年経って未だに引き継げる人の話題さえ出ないのでしょうか?そもそも引き継ぐ価値のあるものなのでしょうか?

 

継続を掲げて、なぜ「継続できない」という状況を引き起こしているのでしょうか?

 

ピッチ上のみならず、継続と現実の不協和音も障りますね。継続したい・スタイルを創りたいと声高に言いながら、邁進するのは逆方向です。

 

そんな中でも時間は過ぎますし、終わった試合は帰ってきません。

まだ次がある、次の試合がベストになる、このチームはこんなもんじゃないと感じたのならば、ちょうどよい言葉がございますね。

 

 

「今この瞬間を戦っているんだから雑音はいらない」

 

 

ハーフタイムはもう終わった

5年間という再三問われ続けた期間も、もはや半分以上経過しています。

 

(ちなみに降格時の目標は確か、1年でJ1復帰し、2年目で優勝争いをして、3年目でACLへ出場し、一定の成果を残すという目標でした。風間氏の契約年次とされる3年を鑑みても、そもそも5年ベースではなかったとするほうが妥当な気はしますね。古い話ですが、当時も監督の選択含め、とりあえずJ2という目の前を視ろよと思った覚えがあります。)

 

加えて、5年間が終わった瞬間にいきなりすべてが実を結び花開き、投資期間を大きく上回る栄華を誇るというのもあまりに非現実的です。理想はいきなり空から降っては来ません。今からの延長線上にあるものです。

川崎さんとは何もかも違うとされるわりに5年というべらぼうに長い期間だけが参考値として未だに語られるのは謎ですが、とにかく川崎さんという前例らしきものと比較するのであれば、5年目には開幕からバリバリ連勝街道を邁進していることになります。そして、それがシーズン中一定して継続性があるということになります。

5年目が始まる時点で、ある程度勝利が計算できる領域に達している必要があるので、実質的には丸4年間で様々貫いてきたとされるものが芽吹いた状態になり、「来季はいけるぞ!」と希望をもってシーズンを終えていることが予想されます。

そして、4年目である程度手ごたえを掴むにはどうすればよいでしょうか。

 

慧眼をお持ちの方々はお気づきになるでしょうね。

現時点で、どうあがいても種は蒔き終わっていないと遅いです。芽を育てる時間もありますし、いかなる名将でも、どんなクラブでも試合への出場なく選手を爆発的に育てることは難しいです。

その一番の成長機会である試合の数自体が、もう50試合残っているか怪しいです。カップ戦諸々含めてこの数値ですから、一人の選手が出られるゲーム数はもっと少なくなるでしょう。そうなると、現時点で計算できるレベルの片鱗はないと進捗としては遅いと言えそうです。

しかしながら、数か月で鮮やかにチームを変えてしまう名将も存在します。そういった方が携わる前提であればまだまだ猶予ある期間ではないでしょうか。

 

ところが、そうなると別の問題が発生します。

 

せいぜい数か月でチームにポジティブな変化を仕込める監督が来日することも珍しくなくなったJリーグにおいて、5年間膨大な投資をするというのは相当な覚悟です。

 

当然、継続し投資する価値があるほど大きなリターンが期待されますし、相応に要求されるでしょう。一人の選手が18歳から23歳になるまでの5年間という時間は、20年前と比較してはるかに濃密で、重要で、選手人生を大きく左右します。決して、簡単に「待ってほしい」で解決するような期間ではありません。

今を否定したくなくてしれっと先延ばしにするのは簡単ですが、その分期待値は上がり、求められるリターンは膨れ上がっていきます。繰り返せばいずれ信頼も失い、ますます説明は難しくなるでしょうね。

しかしながら、目標が今年あったとしてもなかったとしても、選手を替えてなお昨年と同じような停滞をしていることそのものへの指摘は避けられないでしょう。今現在、貫きたいのは停滞ではありません。

 

まぁ、目標やら理想やらをすべて反故にして、実は「最低」5年間必要でした、「ごめんね~まだまだかかりそうなの~」とするのかもしれません。5年間という言葉だけが独り歩きして、5年目の開始時点なのか、終了時点なのかはさっぱり明示されていません。「5年間」も、実はどうとでも解釈できるいつも通りのふわふわワードです。早めに終わればそれはそれでよいですし、かかれば「チーム事情が…」「選手の入れ替わりが…」とずるずる先延ばししようと思えばできてしまいます。代償はありますがね。

 

そして、ふわふわさに拍車をかけるのが、「貫く」というマジックワードです。

スローガンにも上がるようなキーワードですが、果たして 

何を貫いているのでしょうか?

 

 

ボール保持でしょうか?技術に対する真摯さでしょうか?攻める姿勢でしょうか?頑張りでしょうか?

ボール保持はまぁあり得ませんね。本気でボール保持を貫いてアレならちょっとコメントが見つかりません。しいて言えば本気の意味をはき違えていることは確かです。

技術に対する真摯さもあり得ません。蔑ろにされた観測外の技術が多すぎます。

攻める姿勢だけならリーグ一位でしょうか。姿勢を貫いてACLを優勝できるクラブになれるならどれだけでも応援しますが、そんなに虫のいい話はありません。

頑張りについても、どのクラブさんも真剣に取り組んでいます。選手が頑張って、報われるまでがワンセットなので、頑張っていることそのものに優位性はありませんし、頑張った結果選手が摩耗していく姿を見続けるのはむしろ強い苦痛を覚えますね。

 

 

完全な妄想ですが、「やりたいこと」を貫いているというのが本音な気はします。

 

 

結果、何を貫いているのかがわからないので、何となく「挑戦する姿勢」とか「試行錯誤」そのものを繰り返し、前進しているはずという姿勢そのものを貫いている方向性にせざるを得ません。

 

偉大な挑戦だとか試行錯誤だとか言えば一見聞こえはよく、相変わらずふわふわした雰囲気にできますが、実態は蛮勇・無謀がいいところです。理由は単純で、同じ現象がピッチ上で繰り返されるからです。「いつも通り」だからですね。

ざるに水を溜めようとしているのが問題なのに、ざるを傾けたり、ざるを磨いたり、水の勢いを調節したり、浄水器を購入したり、祈祷を始めたりしても水は溜まりません。そしてそれを挑戦と多くの人は呼びません。現実逃避と呼ぶことでしょう。

 

5年目の結実に向けた折り返し時点で、「今貫いているのは前進する姿勢です」と再認することが、どれだけ滑稽で惨めでしょうか。

1年間のプロジェクトにおいて、半年も過ぎたところでプロの口から、「目に見えるものはありませんが、前へ進む気持ちだけはずっと持ち続けて挑戦しています」と語られて、どんな反応になるでしょうか。おおそうか、君は素晴らしいという評価が返ってきそうでしょうか。

 

ある程度形になった実績をもとに、残りも具体性とともに邁進することが、前進する気持ちの一番の証明になるのではないでしょうか。

 

未来へ続くクラブの確固たるスタイル確立のために、決して短くない時間を投じ、

本当に必要なものは知ることができたのでしょうか。

本当に必要なものは実行できるものでしょうか。

本当に必要なものは実際にやったのでしょうか。

 

 

私自身、貫いた先に答えがあると思っていました。そして、どういった形であれその答えを得られるであろう今シーズンは期待を募らせここまで来ました。

 

もしかしたら「何も貫いてなどいなかった」というパンドラの箱を開けてしまうのが答えかもしれません。

                                   了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁそんなはずはないですね。私よりも真剣にチームを追いかけ、発信し応援し続けた優秀なファミリーの皆様がシーズン開始当初「今年こそ真価がわかる」「貫いたものが結実するシーズンになる」という予測をなさっていたのですから、そこから大きく外れるとは考えにくいです。万が一望んだ結果が得られなかったとしても、私自身が知りえなかった因果関係を必ず解き明かしてくれることでしょう。そうしたファミリー目線での総括も楽しみですね。

 

 

夢を語るのに飽きた日

夢や理想って、空からいきなり降ってこないんですよね。

 

『ある朝いきなり…』なんて話はフィクションでよく登場する話ですが、現実は現実です。

ありもしない能力がいきなり覚醒したりはしないわけです。一日一日積み上げたことがそのまま表れるだけにすぎません。

ある日突然魔法のような速いパスが自由自在に蹴られるようにはなりませんし、ある時いきなり守備が堅牢にもなりません。ボールを保持することに真摯に取り組まずにボールを保持できるようにはなりません。

何度記述したかもはやわかりませんが、やっていないことはできないのです。

(散々やったはずの止める・蹴るも大してできていないのは内緒です。)

 

名古屋の夏は、連勝街道を驀進するはずの8月はいかがでしたか?もう9月に入りますが、「まだ名古屋は8月の進化を残している!」と7月に仰っていた方がいらっしゃったことが懐かしく感じられますね。8月はいい夏になりましたか?旅に出かけられましたか?美味しいものを召し上がりましたか?旧知の仲を温められたでしょうか?

 

理想論としてボールを保持し主体的に攻めるのであれば、どんな道を通るのであれ

・ビルドアップ(後方から前方へいかに質の高いボールを届けるか)

・無謀なシュート・無謀なパスの削減(いかに相手にボールが渡る機会を減少させるか)

 

この2点は避けては通れません。

「90分とにかくシュートを打ちまくれ!」と「相手にボールが渡らなければ失点しない!」は相いれないのです。共存しえないのです。

枠内に入るシュートだけ打ち続ければよいじゃないかと思うでしょうか。

そうなった瞬間、コンセプトは妄想へと姿を変えます。野球で言えば「相手に打たれないストライクを投げ続けろ。俺の言うとおりにやれば必ず勝てるし、もし負けた時は、俺の言うとおりにお前がやり切れなかったからだ」というのと同義です。

できればそれは勝てるでしょうが、それのためにどれほどの偉人が挑み、鍛錬を積み、実行するために知見を重ね、失敗を続けたのかを何一つ省みておりません。

歴史に学ばずして、理想に至れるわけがありません。

(繰り返しにはなりますが、オーソドックスなゾーンなど一通り浸透させ、優勝には至らなくてもある程度勝利して、そのうえで名古屋らしさを目指すのであれば私は大賛成です。先人が積み重ねてきた先行研究への畏敬の念と実行力をもって、まだ見ぬスタイルへ進むのは偉大で素晴らしい挑戦と感じられます。それが一切ないから蛮勇もよいとこですがね。)

 

着実に理想は浸透している・パズルのピースはもうピッチ上に揃ったというのもあまりに稚拙です。

ピースが揃ったのであれば、可能性に乏しい質の低いシュートは淘汰されこそすれ、増えていくことはあり得ません。無駄なシュートは90分間足元にボールを持ち続けるうえで妨げでしかありません。

究極のビルドアップは、閃きが介在する余地はないでしょう。一定以上のスペースに淡々と一定のパスを繰り返して、穴を広げていく繰り返し作業になるのですから。

 

夢は相手を90分間支配するサッカーでも何でもよいのですが、実現してほしいからこそ夢を見るんですよね?『いいなー』と口を開けて受動的に待って祈るのでしょうか。

ピッチ上に合致したお似合いのスタイルかもしれませんね。

 

 

 

夢を持つくらいいいじゃないか、という恨み節が聞こえてきそうではありますが、こうした「ボールを何となく持っているが効果はなく、淡々と負ける」のをここ2年半で何度繰り返しているのかということです。個人的にはこうした状況に陥るのは現体制では4回目だと認識しています。かなり多い数字だと思いますし、屈辱的なことに、理想より余程継続性と再現性があるのですが如何でしょうかね。

 

①2017J2前半戦 

湘南さんなどほかの昇格候補クラブさんたちに置いて行かれ、結局自動昇格圏に最後届かない差が残りました。

さすがに体制の船出直後と大解体して集ってくださった選手の集まりでは、理想の浸透は難しいだろうとのことで、この時点ではJ2はやはり難しいくらいの認識だったと思います。チームの骨格を固めるのに、シーズンの半分を費やしましたね。

(恥ずかしい話、当時の自分自身は単なる嫌悪で語るしかできなかった未熟者であったのを思い起こしますね)

 

②2018J1前半戦 

シーズン前の大型補強もあり、2勝1分けで順調な船出をしながら、クラブ史上最悪レベルの勝ちなしに陥りました。

やはりJ1は甘くないという声と、今は継続することが大切という声と、選手の質が足りないという評価が多かったですね。また、とにかく残留に舵を切らざるを得ず、「3年目に真価が発揮される、今年は特殊すぎてピッチ上の評価のしようがない」という声がサポーター内で囁かれておりました。確かに、5年スパンで見るとして、折り返し地点でどうなっているかを評価するのは一定の妥当性はあります。実際は3年スパンで見なければならないのですが、しれっと1年延ばすくらいは常套手段なので何の驚きもございませんね。ちなみにこの時から「今監督を解任しても後任が居ない」「体制が崩壊したら2016年に逆戻りする」というご意見は確実にありました。

 

③2018J1後半戦終了間際

Jリーグでも歴史に残ると思われるレベルの降格しないための本気の補強を夏に行い、破竹の連勝街道に乗り、漸く他クラブさんに追い付きました。しかし、確実降格枠だったはずの名古屋が異様な追い上げを見せたことで、残留争いは混沌さを増します。

自分たちが引き上げた残留ラインに、最後は自分たちが躓きそうになりながら、川崎さんとジョー選手と主審にお助けいただいて首の皮1枚で生き残った昨シーズンです。忘れようもありませんね。

相変わらず、「今やめたらry」「後任はry」でしたね。

実はこの時点で、「1年間経って、継続できそうな後任が一向に思い当たらない」という極めて芳しくない状況に陥っています。

万事うまくいかない可能性を考慮し、代案を立てることすらできていません。クラブの運命を決めかねないプロジェクトに対するリスクヘッジとしては正直危ういでしょう。

コンセプトを能動的に「貫く」状況ではなく、選択肢がなく「貫く」しかない状況に追い込まれたといえるでしょう。一発逆転で変わる可能性もありますが、そもそも一年で再び一発逆転が必要な状況に追い込まれた経緯について伺いたいところです。

 

④今

あの時大いなる輝きを放った選手たちが来シーズンは初めからいるんだ!という希望に満ち溢れた期待に加え、ジョアンシミッチ選手・米本拓司選手というJ最強クラスのセンターハーフを補強し、最高の希望をもってシーズンを始めました。「真価が見られる」と言われ、ついに選手も揃った3年目。どうしても期待は高まりましたね。

そして、毎年恒例、補強後の連勝街道に開幕から乗り、FC東京さんとの首位決戦もありました。選手の良いところだけが見え、頑張りが結果につながり、アンチは黙る三方よしの蜜月の時を過ごしました。それももう数か月前の話ですがね。同じようにFC東京さんと戦い、敗れた今はどうでしょうか。理想は浸透しましたか?真価は発揮されましたか?そろそろ「来年こそry」が必要ですか?まだ諦めたくないですし、選手の皆様に名古屋というクラブを諦めていただきたくないんですがね。

(昨年度12月時点で、玉田選手と別れたことを後悔する日が必ず来る、と断言なさっていたサポーターの方は慧眼ですね)

 

そして、サポーター内の声は今年ついに、「今のスタイルが本当に未来につながるのか?」というのが徐々に主流になりつつあると感じます。今までのシーズンはここまでスタイルへの懐疑心は強くありませんでした。そいて、それに対する反論も、「諦めたくない」「無駄にしたくない(無駄だったと知るのが怖い)」に変わりつつあります。壁を越えた先にあるものが見たいという猛者もいらっしゃいますが、とりあえず壁が何なのかご教示いただきたいところです。

賢明な方が既にご指摘していらっしゃいましたが、サンクコストの呪縛というやつですね。

 

個々で見れば、絶対に負けるわけにはいかない試合できわどい判定に毎度助けられているうえ、順当に勝ち切ったゲームが一切ないことにお気づきでしょうか。

どの試合も大切ですが、特にジェフ千葉さんとのプレーオフ・福岡さんとのプレーオフ決勝・湘南さんとの最終戦と、クラブの命運を決める死線をくぐるような試合は、いずれも判定に助けられていますし、「もう一回やっても多分結果は変わらないだろうね」と、相手サポーターの方からおっしゃっていただけるようなゲームでもありませんでした。

 

過去のデスマッチだって、昨日の試合だって、ゴール前に一番相手にとって脅威になる選手が居続けた時間が、一番攻めていたのです。当たり前じゃないですか?

 

ゴール前に一番脅威になる選手が居続けるための攻撃的なサッカーのはずですが、実態はジョー選手が降りてこないとそもそも前進もままなりません。

この現象は、単純に練習していないことがすべてだと思います。

 

ハーフコートマッチを丹念に練習で積み上げた結果どうなるでしょうか。

まず、近視眼的に周囲を視て安全かどうかを把握する能力は身につくでしょう。近くを把握しないとすぐに囲まれるので、遠くを見ている暇はありませんし、ハーフコートで遠くを視てもリターンに乏しいです。近づいてボールを回すのであれば、遠くへボールを蹴る筋力や肉体の使い方も徐々に褪せていくでしょうね。練習で不要ですし、不要なものは培われません。培っても意味がないものは忘れていきます。

ゆえに、遠くに正確なボールを届けるための筋力もボディバランスも身体の向きも自分で学ぶしかありません。練習で貪欲に学ぶという言葉だけ聞けば耳さわりは良好です。

しかしながら、自分自身で考えどうにかしようとするほど、情報は多くなります。多くなれば、取捨選択する時間は長くなります。傍目には「迷う」ように映るでしょうね。

そして、ボールを奪われたという結果をもって、直前の行動が「自分自身の能力向上のための熟慮」から、「周りを見えていない緩慢で迷ったプレイ」に事後で置き換わります。よほどチーム内で絶対の立場にある選手ならともかく、大抵の選手はそんな選択はできないですし、しようとさえ思わないでしょう。わざわざスタメンが危うくなるような行動をとる意味がありません。

試行錯誤の過程が間違いなく必要になりますが、試行錯誤すればするほど、チャレンジを伴わないミスも増加するでしょうね。試行回数が増加するほど成功の回数も増加しますが、失敗の回数も増加します。失敗が増えれば、見た目の印象は悪くなるでしょうね。

 

 目先のリターンに乏しく、「迷った結果ボールを失う」という客観的に評価の下がりそうなプレーを見て、選手選考の権利を有した人間はどんな判断を下すでしょうかね。

  

 

この2年半言われ続けた継続性とか、確固たるベクトルに基づいた進歩とかは、地味な鍛錬を続けて叶えにいくものです。筋力・敏捷性・視野を確保する姿勢・身体の向き・ポジショニング・一つ一つのパスの回転・ボールの速度・トラップする脚など、詳細に拘り徹底し続けて初めて得られるのです。営業活動だって、無料の配布・地域イベントへの参加・当日の細やかなスタッフの配置からいざという時の対応など、数々の準備・想定が結果へと結びつきます。
細やかな「そんなところまで気遣うの?」という塊が成功への礎です。入場の導線・宣伝の頻度やタイミングなど、まだまだ手付かずのところはあっても、細やかな積み上げが今の満員のスタジアムに寄与しているのです。当然、その過程には、嫌なこと・やりたくないこと・地味で退屈なことがさぞかしあったとこでしょうし、これからも膨大に現れるでしょうね。


 もし、練習ではcm単位でパスの精度に拘り、利き足という概念がなくなるくらいの練習を全選手に課し、実際の試合でも前半3分くらいにある選手のいい加減なパスミス一つで選手交代をするくらいイカレた監督であれば、もはや納得するしかないでしょうね。

 

うわごとのように「今のまま続ければ…」「続けることが大事」「今諦めても後任が居ない」と、1年以上前から繰り返した結果が今です。

 

 

 

 

 

レギュラーが居ないからしょうがない?

全ては積み重ねです。過負荷がかかりやすい構造・退場のリスクを作りやすい構造・移籍に心が傾くマネジメントはありませんでしたか?過密日程で選手のターンオーバーはありましたか?

負荷のかかりすぎた選手から怪我したり、パフォーマンスを低下させたりしていませんかね?それとも、怪我をするのも選手の自己管理不足でしょうか?

 

不運とか、仕留めきるとか、こんな日もあるとか、そんな次元の話はとうの昔に過ぎ去りました。一年前にやりましたし、一年前はピッチ上の理想の進捗が確かに棚上げにされたのです。不運で片づけるには「不運が起こりかねない現象が繰り返し発生している点」が邪魔ですし、仕留めきるで片づけるには「文字通り仕留めるだけのチャンスが量産どころかゼロに近い点」が邪魔ですし、こんな日もあるで片づけるには「ここ2年間はむしろこんな日のほうが多い点」が邪魔になりますね。

 

また貴重な理想成就のための一試合が終わってしまいました。

今の選手たちで戦えるのも10試合ちょっとということになります。

 

 

 

これだけ、色々揃ったシーズンはなかったと思います。こんな形でこのままズルズルいくとすれば、あまりにもな末路です。

 

相関関係と因果関係(名古屋グランパス編①)

はじめに、「二つの事柄に一見関係があるように見える状態」のことを相関関係と呼びます。次に、「二つの事柄に関連があり、一方が原因・もう一方が結果として明らかである状態」のことを因果関係と呼びます。

本文は、相関関係と因果関係を混同してはならないという前提の下で、以下進行します。

〇因果関係があるときは、相関関係もある

✖相関関係があるときは、因果関係もある

✖相関関係があれば、原因と結果は明確である

 

一言で言えば、「相関関係があることはある現象に対する明確な証明にはならない」という認識で問題ございません。

 

例えば、わかりやすい事例としては、健康診断と健康の相関関係が挙げられます。

「健康診断を受けた人は、受けなかった人よりも血圧が正常値に近かった(健康だった)」という現象が起こったとします。実際、「血圧が正常値に近かった」という結果のところは、健康といえそうな良い兆候であれば脂肪の少なさだろうが悪玉コレステロールの多寡だろうが肺活量だろうが何でもよいのですが、今回は血圧とします。

これをもって、「じゃあ健康診断を受ければ健康になるんだ!」という結論を出す方はあまりいらっしゃらないと思います。この場合ですと、「健康診断を受けるような人はもともと健康に対する関心が高く、日ごろから健康に配慮した生活をしている可能性が高い」という要因が背後に隠れております。つまり、

 

✖健康診断を受ける(原因)→健康(結果) ではなく、

〇健康(原因)→健康診断を受ける(結果) というのが因果関係として妥当といえます。

 

これを相関関係だけで見てしまうと、健康診断を受ければ健康になる!という誤った結論ならびに判断に繋がってしまう危険性があります(※1)

 

※1: 

「相関関係」と「因果関係」の違いを理解すれば根拠のない通説にだまされなくなる! | 「原因と結果」の経済学 | ダイヤモンド・オンライン     より引用

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、名古屋の話に戻りましょう。

 

現在、観客増員数・満員のスタジアム実現に明確に因果関係があると素人レベルで断言できるのは、せいぜいユニフォームの無料配布くらいでしょうね。

ユニフォームを無料配布したゲームはいずれも満員御礼を達成しております。

何故達成できたかを考える時、ユニフォームがもらえるなら行こうかな、と観戦する方が考えて決断したというのも理屈として私自身は腑に落ちます。つまり、「無料でユニフォームを配布したから」という原因(理由)があって、「観客が満員になった」という結果が起こったと推察できます。無料であることそのものが多くの方の決断を左右するというのも研究結果で実証がなされております(※2)

 

※2  D.アリエリー著『予想通りに不合理』より 1円の安価なチョコと15円の高級チョコのどちらかを被験者に選択させた結果、ほとんどの被験者は当初高級チョコを選択したが、双方を1円引きして安価なチョコを無料にすると選好基準が逆転し、多くの被験者が安価なチョコを選択した。 元実験はドルだが本文は円記述。

 

それ以外は、交絡要因が多すぎて断言できません。いずれも、「影響がないと断じるのは難しい」程度のものが、複雑に絡み合った結果今現在が生じているとするのがせいぜい限界でしょう。素人では分析の手法・データベース・手に入る数字・入念な分析が可能な時間の何もかもが足りません。少し例を挙げるだけでも、ある一個人が試合を観戦するかどうかは、

 

試合前

・営業や広報によるスポンサー向けの宣伝

・ポスター広告や選手パネルによる地域への周知・イメージアップ

トークショーなどのイベント開催

・所属選手のネームバリュー

・対戦相手のネームバリュー(所属選手含む)

・チケットの安さ

・ユニフォームなどの配布物・記念品の有無

・監督の実力

・サッカーそのものの人気向上

・友人からのお誘い

 

当日

・天候

・試合そのものの魅力・試合結果

・運営スタッフの魅力・困りごとが発生した際の対応の丁寧さ・迅速さ

スタジアムグルメなど、試合以外の魅力

・トイレ事情や混雑度・wifiの整備など、観戦するうえでの快適さ

・当日席が近かった人の観戦スタイル

 

そのほか記載しきれない諸々があり、とてもとても断言などできません。

 

「晴れた日に公式の手引きを参考に初めて見に行った。公式の紹介はわかりやすかったが、スタジアムグルメは予想より混んでいて結構待ってしまった。ただ、待っただけあっておいしく、いい気分でスタジアムに入った。どこも同じように見えて席がわからないためスタッフさんに聞いたら、すごく丁寧に教えてもらえた。チームは結構強いらしく期待していた。聞いていた通りに点がたくさん入る試合でなんとなく面白かったが、近くにヤジの酷い人が居たため、最後はあまりすっきりしない気分だった」

というモデルケースの方がいらっしゃったとして、この人が次に観戦する要因って何になるでしょうか?わかりませんよね。

 

せいぜい素人が手に入るデータで明確に因果関係を主張できるのはユニフォームの無料配布レベルと断じたのはこのためです。そのほか風間体制になり、瑞穂運動場東駅の選手パネルや様々なスタジアムでのイベント・グルメ・割引策・スポンサーの皆様へのチケット送付などなど、営業や広報の皆様の数えきれないほどの努力と実行力には本当に頭が下がる思いですが、実際どれがどの程度効果があり、来場者について

・0回を1回にした

・1回を2回にした

・1回の試合でのクラブに入る金額を大きくした

・1回の試合での満足度を向上させた

 

実際どれなのかは商業分析のプロの方が相応の時間を割いても判別が難しいです。そんな判別の難しいものを数字として出すからこそまたプロフェッショナルであるのですが。

 

したがって、風間体制になり観客増員できているのは確かですが、その原因は営業や広報の尽力にある、くらいしか言えません。風間氏が全権監督とやらで積極的にイベントを企画なさっていたり、サプライズでトークショーにご参加なさっていたり、徳島のロドリゲス監督の阿波踊りへの参加などと同じく、地域のイベントへ参加なさる姿がSNSで幾度となく発信されていたら、「こうした地域への宣伝をこんなにやってくれる監督は風間さんしかいない!」「風間さんが居なければ観客は増えなかった!」となるのは確かに腑に落ちる話です。

もし本当にこうした事実があるのなら、今の情報発信に敏感な公式がこうしたオイシイニュースを発信せず、ファミリーも「風間さんいた!!」と一切SNSで発信しないのはおかしな話ですがね。

とはいえ、風間氏のトップチームの監督という業務の範疇を考慮すれば、ここまでしないのが普通であり、妥当だと思います。それは氏の仕事ではありませんからね。

よって、氏の就任と観客増加に相関はありますが、因果関係はないとするのが妥当な結論だと思います。その裏に、「営業・広報活動の大幅な強化と担当者の尽力」というより強い要因が隠れているためです。さすがに影響がまったくもってゼロと断じるのは不可能ですが、氏なしではあり得なかったと断言するのは傲慢もいいとこですね。

 

ユースについても以前記しましたが同様です。ユースの監督は古賀監督であり、トップチームと練習することはさすがにゼロではありませんが、密接に連携を取るのみならず、氏が古賀監督以上にユースの選手を知り、良い影響を与えているというのは様々な方に失礼な話になると思います。観客動員よりは氏の影響は大きそうですが、ユースの若武者の躍動と古賀監督の手腕が大前提にあって、副次的に風間氏も貢献しているかな?くらいの認識が妥当ではないでしょうか?こちらも、相関関係はありますが因果関係はないというやつですね。ユースの監督の手腕と、ユースの試合成績に因果関係がないと論じるほうが無謀ではないでしょうか。万が一億が一ここからユースの結果が不振になってしまったとして、そこでトップチームの監督である風間氏が批判されるとしたら、個人的には意味が分かりません。まぁその時は順当に古賀監督が批判されそうですが。

同様に、トップチームの監督の手腕と、トップチームの成績には何らかの因果関係はあると考えてよさそうです。選手だけ揃っていれば何とかなるというのは、今季のJ1をきちんと追っていれば幻想であることはわかりますからね。

 

実際私自身は、風間氏がGMや全権監督で、トップチームの監督のみならず、選手補強・営業・ユース・地域貢献などあらゆるクラブに関わる事象に決定権があろうとなかろうとたいして問題はございません。

あるとすれば、トップチームの監督に色々させすぎているせいで、肝心のピッチの上でのスタイル構築が疎かになっていませんか?という疑念が生じるだけです。もしかしたら氏の強みはむしろ観客動員などの企画にあるのかもしれず、監督などさせている場合ではない、と主張するだけです。お互い不幸になるだけでしょう?というのが論点になるわけです。

ないとすれば、トップチームの監督として、投資の割にミッションが果たせていませんがどういうことですか?という疑念が生じるだけです。スタイルの確立とは言いますが、マリノスさんとの試合単体・ここ数年のシーズンを通した勝ち負けの傾向・ピッチ上で継続的に発生している事象を鑑みると、本当に現在の名古屋のプロジェクトに合致する手腕を有した監督でしょうか?と主張するだけです。プロジェクトの進捗として妥当なの?というのが論点になるわけです。

多分風間氏の業務はトップチームの監督のみだと思われるので、私は現状後者の立場をとっていますがね。とはいえ、今お別れをしても何も総括ができないので、今シーズンは何があってもやり抜いていただきたい所存です。

 

スタイルの確立なんかしてどうするの?短期的な勝利こそすべてだ!とは言いませんよ。勝ちに繋がる確固たる名古屋のスタイルが本当に確立されるのならそれほど素晴らしいことはありません。何より、自分で読み返して反論がすぐできるような穴だらけでろくに賛同されそうもない主張をわざわざネットの海に出す意味がありません。

 

ただ、本気の勝負であるピッチ上で実際に披露されないまま、ある日いきなり素晴らしいスタイルが天から舞い降りて全選手に授けられるなんてことはあり得ないわけです。あり得ませんがもし舞い降りても、そんなものは継続性皆無ですね。

因果関係として、

①勝っている→スタイルが確立される

②スタイルが確立される→勝つようになる

このどちらのパターンもあり得るとは思いますが、今名古屋が目指しているのは②だと思います。勿論、①も有効な手法ですがいったん②を前提に本論は進めさせていただきます。

 

"ボールを保持して、自らアクションを起こし、チャンスを多く創りだし、ゴールを奪う" 

 

ちょうど名古屋が目標としているものをわかりやすく表現してくださっている方がいらっしゃったので誠に勝手ながら引用させていただきますが、この4点のフェーズを(順に)継続して満たしながら、名古屋のスタイルとして定着させ、常勝軍団となるというのが今の名古屋が目指しているアプローチと考えてよさそうです。

よって、トップチームの監督である風間氏に対する評価は、

 

① ボールを(主体的に)保持しているか?

② 自らアクションを起こしているか?(相手を受動的に、後追いにさせているか)

③ チャンスを多く創りだしているか?

④ ゴールを奪えているか?

(⑤ ①~④をシーズン中継続してある程度実現できるか?)

 

この5点がいかにピッチ上に現れているかを見るのが、氏を評価するうえでフェアといえるのではないでしょうか。また、継続による効果がポジティブな進化としていずれも数値に現れやすいのも明快な指標としてよい点です。「育成」とかだと個人によって著しく解釈が異なる可能性がありますからね。

例えば、相手のほうが走行距離は多いが、相手のボール保持率は低くてシュートは枠内に数本しかとんでいないという試合であれば、たとえ最後事故のような失点で敗北したとしても「相手を能動的に動かして、うまく走らせた試合だな」と評することができそうです。すべて数字通りにいくわけではないので一概には言えませんが、イメージを持つには十分だと思います。

 

 

実際に、これらがどの程度実現できているのかは、話が長くなるのでまた別の機会に綴るとします。

 

 

 

勿論ほかの切り取り方もあり得ますが、あまりに交絡要因が多い話になると氏の純粋なトップチームにおける功績がわかりづらくなってしまいます。ただ、氏の功績については、今シーズンが終わったらもっと詳しい方がロジカルかつ明快に総括してくださることでしょうし、私よりもっと感情を揺さぶる耽美的な文章を綴れる方々が沢山いらっしゃいますからね。期待して待つのが得策です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ユースとの関連について記した記事↓

 

karyokuhusoku.hatenablog.com