炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

いつか起こる事象

名古屋の理想はボールを保持して主体的に攻めることらしいです。そういった継続性あるスタイルを確立するために1シーズンの1試合を大切にしたいらしいです。

 

そして、同じくボールを主体的に保持して得点することをスタイルになさっている(と思われる)横浜さんとの対戦でした。

 

 

今年の試合に触れる前に、昨年度の子供の日に開催された、マリノスさんとのホームゲームの内容を覚えていらっしゃるでしょうか?
圧倒的に横浜さんが終始攻めながらチャンスを量産し、終了間際にはゴール前でランゲラック選手と1対1の場面を3回は作ったものの、ランゲラック選手の力でことごとく防いだことで、名古屋が辛くも勝ち点1を手に入れた試合です。

マリノスさんのサポーターの方々にはさぞかしランゲラック選手への苦い意識が残ったことでしょう。あいつ存在が反則だろ、というコメントがいくつもあったことが懐かしく感じられます。
そこから一年経ち、ともに同じ監督の下、選手を比較的大幅に入れ替えながら目指すスタイルへ邁進してきました。

双方ボールを保持することに主眼を置いており、わかりやすくボール保持のメカニズムの差が現れる点と、双方守備時のポジションの崩れによるリスクよりも、攻撃時のリターンを重視している点と、双方そこまで守備時に堅牢なチームでなく、90分間一切中央を割く機会が存在しないという試合展開は考えにくい点の三点から、「攻撃力」という一見わかりづらい指標を具象化するには格好の試合となりました。

 

今日に限ればお互いベストの布陣ではありませんでしたが、米本選手が不在の名古屋は、ボール保持の観点から言えば必ずしも彼の不在が明確なマイナスとは断言できない一方、マリノスさんはチーム内得点王のエジガル選手と正GKのイルギュ選手が不在で、明確にベストメンバーと断言できる状況ではなかったように思います。

(実際、GKの杉本選手はキーパーから組み立てるフェーズで名古屋の単発プレスに対し、幾度かタッチラインにボールを逃がしてしまっている場面があり、ここがイルギュ選手だとまた違うのかなと感じるところはありました。とはいえ、私自身がマリノスさんを継続して追いかけているわけではないので詳しくはわかりかねますが。)

 

前シーズンの反省か、習熟したスタイルへの自信か、勝利への飢餓感かは正確にはわかりませんが、マリノスさんの狙いは明確でした。もっとランゲラック選手を左右に揺さぶったチャンスを量産すればいずれ決壊もするでしょうし、チャンスをモノにできる前線の選手もいらっしゃるので、そこに勝機を見出すのは自然なことです。

事実、結果はその通りになりました。多様性を求める世の中のニーズに合致したきわめて現代的な名古屋のバリアフリー守備を尻目に、いつも通り空くボランチ脇のスペースからチャンスを量産しました。そして、ランゲラック選手は去年と同じくらい決定的な場面を防ぎましたが、それ以上にどうしようもない場面を再現され続けました。

  

勝てなかった試合から学ぶとはこういう姿勢と実践する地力のことを言うのでしょうね。名古屋側に判定にゴネる人もいらっしゃいましたが、無様の一言です。判定のせいにできるチーム力さえありませんでした。

11人なら点は取れていなかったと思います。マリノスさんが望外の先制点で多少浮ついた直後の10分の2回の決定機を除いて、幾度マリノスさんを後手にさせるようなチャンスを創出できましたか?DFを背走させるような展開は何度ありましたか?

マリノスさんがやったように、杉本選手を左右に揺さぶるようなゴール前の崩しを何回やって、そのうち何回ギリギリの守備を強いさせましたか?攻撃「的」でなく、事実マリノスさんに攻撃していた時間は何分ありましたか?

明らかに10人になって攻める際のタスクは整理されました。とはいえ、ジョー選手の得点はオフサイドぽかったですがね。とはいえ、副審の方がそもそも正しい位置でご覧になっていなかったので、難しい判定ではありました。

 

「11人だったら名古屋の攻撃タイムがあるはずだった」という哀れな言い訳もまだ残りますね。ところが、マリノスさんがある程度安全圏と言えそうな得点を獲り、ギアを下げてもおかしくない場面でようやく攻撃できるようになるその姿のどこに「主体性」や「能動性」や「主導権を握り、相手を動かす」要素があるのでしょうか。

相手の疲れや得点差による相手側の変化が前提条件となって初めて実現する魅力的な攻撃なんて何の意味があるのですか?いや別にいうほど魅力的でもないのですが。

まさしく相手依存であり、誇れる目標としてあるはずの能動的に相手を崩す攻撃とは対極にあります。もはやその場から動かない停滞でさえありません。名古屋駅から瑞穂スタジアムへ向かわなければならないのに、三重に向かう電車に乗っているようなものです。名古屋駅にいるままなのが停滞です。他クラブさんも真剣に動くので出遅れには違いないですが、目標の逆に進んでいるわけではありません。

 

もっと言えば、 攻撃の質が上がっているという噂もまことしやかに囁かれていますが、それは本当に事実なのでしょうか?
現在リーグ戦が24試合終了した時点で、名古屋の総得点は36で6位です。暫定での得点数1位は42点で、鹿島さん・マリノスさん・神戸さんの3クラブが並んでいます。4位に40点の札幌さんが来て、次に5位が37点の川崎さんです。

確かに、リーグ全体で言えば得点は取っているほうだという認識は間違いではないでしょう。ただ、攻撃の「質」となると得点数だけで語るのは難しいです。それこそ昨日のエリキ選手のオーバーヘッドシュートは、「格好良い」のは確かですが、質が高いかと問われると人によって判断が割れるでしょうね。攻撃の質といっても、パスやシュートといった一選手の単体のプレーを取るか、数人の連動性を取るか、継続して生き物のように見られる再現性を取るかで話は変わってきます。あるいは、穴だらけのコーン守備らしきものの間でパスを通すのか、堅牢で整備された守備を崩すのかで、その質は大きく変化するでしょう。

 

ただ、現状名古屋が攻撃に注いでいる過大なリスクと、昨年度のJ1得点王が満足に稼働していてなおこの状況では、「攻撃の質が高い」はその実態のふわふわさも含めて甚だ怪しい説となります。根拠に乏しいからですね。

(ずっと感じていたんですが、2017年度以降名古屋絡みのイメージだけが先行した怪しい定説多すぎませんかね?攻撃の質とか貫くとか時間がかかるとか仕留めるとか技術とか目を揃えるとか成長とか、すべて語る方があらかじめ自分なりの定義を表出しないとどうとでも解釈の余地があるものばかりです)

 

宮原選手の退場にしてもそうです。90分間堅牢にやっていて、一度きりのチャンスで昨日のように退場を強いられたら確かに納得できないのもわかります(判定そのものはホールディングがあるので妥当だと思います)。しかし、その数分前に似たようなシーンを作られています。この時は選手個人の力で何とかしましたが、そもそも守備する側にとって分の悪い不利な状況を頻発して起こされていることについてはどうなのでしょうか?

サイコロを振るとして、1回だけなら1の目は出ないかもしれませんが、振る回数が増えれば1の目が出るかもしれません。勿論、強運や選手の頑張りで出ないまま終わることもあります。ただ、昨日はそうではありませんでした、というだけの話だと思います。継続性のかけらもない、まさしく賭博と呼ぶべきやり方ですね。

 

与えた2つのPKにしてもそうです。そもそも、
・簡単にペナルティエリアへの侵入を許している
・後ろから追いかける守備を強いられている

これを毎試合繰り返していたらいつかは取られます。1試合だけなら選手の頑張りによる不思議の勝ちや、判定に恵まれる日もあるからこそ、シーズンを通してみられる継続性が重要なのです。

ボールが足元にあれば永久に失点しない?事実失点していますがなぜでしょうか?それも1試合や2試合風や判定の不運で喫したものでもありませんがどうしてでしょうか?

早速前半2分に、畠中選手のパスがあっさり真ん中を通って喜田選手に渡った時点で、またしても「いつも通り」だと確信しました。疲れもない時間帯ですがこれも不運ですかね?

そして、PKを止められないとしてランゲラック選手への批判も出ていますが、普通PKなんて止められません。あれは蹴る側が圧倒的に有利ですし、蹴る瞬間までライン上にいないと今は警告さえ受けてしまいます。その一方で、蹴る側の助走にはかなり寛容です。


そうなると、なんとかGKが止めるためには
・ヤマを張る (当たった時のリターンはでかいが、外すと無力)
・相手を見て飛ぶ (外す可能性は減るが、方向が当たっても取れない可能性もある)
の2つしかありません。おそらくランゲラック選手は前者型のGKです(ちなみに楢﨑選手は後者でした)。

 

とはいえ、これだけ逆を突かれているとなると、真正面から見るとわかるようなランゲラック選手の癖か何かがあるのかもしれません。そういう選手個人だけでは気づくのが難しいものを克服したり、指摘するために指導者や分析班がいらっしゃるものだと思っていたのですが、どうやら彼らの仕事はそこにはないようです。残念ですね。成長できる環境とは何なのでしょうか。

 

とりあえず、今の名古屋はハイリスクなことをしているという認識は間違っていないと思います。問題は、それに見合うリターンを今は間違いなく享受できていないことです。そして、私自身は、今後も享受することはないと考えています。正確には、享受できたとしても、その時には他クラブさんがもっと先に進んでいるか、享受した瞬間にはあまりにもガラパゴスかつ限定的で使いようがない代物だった(情報として伝達コストが高すぎて、誰も引き継げないものだった)、というオチになると予測しています。

しかし、何より今現在興味深いのは、私のような外れ者を除いたまっとうな「名古屋グランパスサポーターの方々」にも、もしかして今のまま継続しても

リスクに見合ったリターンが今後も得られないのでは?

という疑念がついに生じつつある

ということです。

 

これはここ2年にはあまり見られなかった兆候です。

 

勿論、個人の力を上げる必要があるフェーズもあるのでしょう。ただ、今現在「個人の能力」という曖昧模糊なものは本当に他クラブさんと比較して十分なレベルで伸びているのでしょうか?

例えば、チーム全体のパターンを決めるようなやり方をして、ある程度は勝利したがACLの優勝は果たせなかった、という前提があったとします。

それを経て、今までとは違う個人能力の向上に取り組む必要がある、という変遷があるなら話は分かりますし、そういった確固たる積み上げのある状況なら間違いなく支持する方々がほとんどでしょうね。実際、2年前そうなると信じて、耐え難い苦境になんども応援し続けて、熱心に支持してきたまともな方々のほうが多いでしょうから。

ところが、ボール保持の理想を実現できる最高の舞台ともいえるマリノスさんとの試合に、実態としてピッチ上で現れたのは無惨なものでした。

未だに逆脚を使えない程度の技術と、3人で囲んであっさり突破される技術と、正直マリノスさんのほうがきちんと置きたい場所に置けていると思いたくなる程度の「止める」技術と、もらう側のことをろくに想定できていない「蹴る」技術と、その他重要度が低いため不要として放置された膨大な観測外の技術たちです。

止めて蹴るの成功率上げたいなら逆脚を鍛えるのなんて最優先でやると思うのですが如何でしょう?経験者なら特に実感なさるとは思いますが、逆脚を使えるレベルまで引き上げるのは退屈で至難の技です。それでも、ボールを止められる範囲は2倍以上に広がりますし、相手を迷わせることを含めれば蹴ることができる範囲は4倍以上に広がるでしょう。実践的で現実にも即した優先度の高い「技術」だと思いますが、未だに2年半やって大して定着もしていません。まぁコツコツした地味なもので楽しい技術ではありませんからね。

相手を観て、きちんとリスペクトした対応をピッチ上で披露するのもれっきとした技術だと思いますが、これも別にありません。まぁ煌びやかさには程遠く、泥臭いですからね。

いくらプロであろうと、やっていないことはできませんし、蓄積してこなかった技術がいきなり本番に舞い降りたりはしません。所謂閃きも選手個人の学習と実践の延長線上にあるものであり、途方もないアイデアがいきなりゼロから創造されるわけではありません。

当たり前ですが、やっていないことはできないのです。

 

いみじくも、風間氏のサッカー観に影響を与えたとされるバクスター氏がかつて評したような、虚飾で実を伴わない「コスメティック・フットボールに近づいているのではないでしょうか。 何とも皮肉なことですね。

 

 

 

またもや貴重な3%を浪費し、気づけばたった残り10説です。決してACLという目標は消失したわけではありませんし、サイレント下方修正も入っておりません。そうそう都合の悪いことばかりなかったことにはできませんよね。

一方、優勝が狙える選手が揃ったというシーズン当初の見通しについては、若干の修正が必要でしょう。 スタメンの質はともかく、さすがに選手層については今現在薄いとは思いますが、昨日の試合は選手の質や層のせいで負けたという結論のほうが恣意性が強いでしょう。

ところが、事故や天運に恵まれない形で選手層が薄くなったわけではありません。

同じ体制でチームとしてのマネジメントを行い、鹿屋体育大学さんに敗れるなどあり、出場機会などを勘案した結果多くの選手が名古屋以外の他クラブさんを選んだにすぎません。

J1昇格後苦しんだ時と同様です。昇格プレーオフにもつれた結果、補強に出遅れたのと本質は同じです。自分たちの結果が自分たちの現状を形創っているのです。

 

アンチのせいにできたらどれだけ幸せだったことでしょう。一つになれていないせいで勝てないんだと言えたらどれだけ楽だったでしょう。

批判するやつはサポーターじゃないとか、こういうときに信じて応援するのがファミリーだという言葉をこの2年半勝てなくなるたび何度も聞きました。そして、信じればいつか壁を超えるという甘言を信じ、名古屋に関わる多くの方がここまでやってきました。

 

こうした変化と結果の出ない時期に、どう向き合うべきなのでしょうね。

 

この答えは名古屋にはなく、マリノスさんのサポーター皆様がお持ちなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

いつも通りに、3%はまた終わる

名古屋の負けていない夏です。

言い換えれば、勝ち切れない夏です。

しかも、絶好調の相手を叩きのめす勢いある夏というよりは、順風満帆とはいえない他クラブさんを相手に、何とか勝ち点を積み上げているという夏です。湿っぽいですね。

 

とはいえ、いつも通りの試合でした。手も足も出ないレベルでに嵌められていたわけでも、信じられないくらい相手GKが当たっていたわけでも、自分たちがどうしようもなく不調だったわけでもありません。いつも通りやって、いつも通り失点したのみです。そして、相手にとって一番嫌なことを徹底すれば驚くほど簡単に点が取れるのも、さすがに「いつも通り」とまでは言えませんが今に始まった光景では決してありません。

 

結果と内容が理想と程遠く、別に面白さもない点を除けば安定感と継続性のある「いつも通り」を確立できています。いつも通り何となくパスが回り主導権を握っているっぽい状態ができ、攻めている雰囲気が醸し出されています。このほわほわ感はなかなか他クラブさんには出せないですね。

 

こうした「いつも通り」の継続性は風間氏の手腕によるものだと思います。相手が変わっても、選手が変わってもなお継続しているので、氏の手腕によって名古屋に落とし込まれたものとしてよいのではないでしょうか。

 

ところで、「いつも通り」はいつまで続くのでしょうか?

いつも通りと言いつつ、しれっとピッチ上でできることを淡々と増やして、気づけば真ん中を閉鎖してくる相手にも柔軟に対応できるようになっていたら、確かにいつも通りで何の問題もありません。むしろ「いつも通り」をもっと貫いてほしい、と強く願えます。

 

ところが、「いつも通り」は本当に変わりません。悪くも悪くもいつも通りです。

そういう意味では、「いつも通り」と言って変化のない状態になっているので、有言実行ではあります。やっていないことはできないので、きわめてロジカルですね。

理想がACLを制覇できる勝てるサッカーなのか、相手にボールを渡さないサッカーなのか、手段を問わず仕留めきる攻撃サッカーなのか、勝てなくてもペナルティエリアに選手が殺到するサッカーなのか、川崎さんになることなのか、攻めている雰囲気サッカーを極めるのか、未だに理想の形さえ定まっていません。理想が決まってないので、至り方も定まりません。

北海道に行くかイギリスへ行くか近所の公園に行くかも決まっていないのに、使用する交通機関は決められません。時間をかければ闇雲に進んでもいつかは到着するでしょうが、相応の代償は支払うことになるでしょう。時間は平等です。

 

とはいえ、さすがに理想のためのキーワードが一切ないわけではありません。ボールを運ぶとか、大切にするという表現は共通して登場します。

ボールを大事にするチームであれば、下記のような現象は見られます。まして、技術を磨いているのですから、狙った現象を起こそうとしたがミスをしてしまったということは少なくなるはずです。そのための技術ですからね。

 

・文字通りボールを易々失わない

・失うとしても、失いやすい場所が決まっている(チームとして相手の監視の目を潜り抜けるためのリスクを冒す場所が決まっている)

・失ったとしても、すぐに取り返す

受け手がもらった瞬間の状況は、出し手がボールを渡した瞬間より原則改善された状況になっている

 

実際どれも不可欠なのですが、特に最後の要素はボールをゴールまで運ぶことを継続するのであれば欠かせません。

なぜなら、ボールを次の選手へ「お願いします!」と爆弾のように渡していくと、いずれ誰かが無茶せざるを得ない状況へ追い込まれるからです。だんだんとスペース・有利なボディアングル・視野を奪われ、可能性の低いカードしか気づけば手札には残っていません。勿論、非常に能力の高い選手たちが揃っておりますから、時には何とか出来てしまうこともあります。何とかできなければ、大切にしたいはずのボールは相手の足元に転がります。

「ボールが大切だ」「足元にボールがあれば失点しない」というのは言葉では散々耳にするのですが、断じて運び方が失ってはいけない大切なもののそれではないのは何故でしょうかね。大切なものを運びたいのならそれに応じた運び方とか、失いやすい場所のチェックやらは準備しておきませんか?

それも、開始数か月のチームでもないですし、カウンタースタイルからの大転換を図って試行錯誤しているチームでもありません。選手がやりたいスタイルにあまりにも合致していないということもあり得ません。

もう「やれない」要素は一見残っていないのですが、なぜかやりません。

(やらないのかやれないのかはシーズン終了後に答え合わせできるでしょう、正直これも重要で大切な3シーズンを賭けてまで自クラブでやるレベルの答え合わせではないのですが)

 

 こうして、大変ありがたくない話ではありますが、少しずつ少しずつ、34分の1を終えています。次の試合にまたできればよいと語るうちに、貴重な実戦時間は3%ずつ終わっていきます。先週こそ川崎さんには快勝しましたが、等しく1/34を制したにすぎません。

川崎さんとの試合が相手の勝ち点をすべて奪える試合なら川崎さんとの試合を集大成にしてもよいのですが、勿論そんなことはありません。シーズン途中に勝手にゴールテープを切って燃え尽きても仕方ないのです。

 

こうした漫然とした浪費は、主体性や能動性とは対極にあります。相手があるスポーツなので勿論相手に左右されるのは当然ですが、相手に自分たちのスタイルを押し付けて変化を強いるはずが、スタイルに対応してくる相手に変化もできず受動的になるのは相変わらずです。こんなありがたくない「いつも通り」を貫き通す継続性こそが真の理想であるとするのなら、もはや何も言うことはありません。

ピッチ上の現象を説明しようとしたポジティブな願望に対して、大抵の反論はすでにあらかた書き終えました。ピッチ上においては、幸運な未来がいきなり降ってくることはなく、今現在の延長にあるものです。今現在ボールを大切に運べておらず、大切に運ぶために特別に何か工夫している様子もなく、将来的に大切に運ぶための技術・認知に投資しているわけでもなければ、おそらく未来でもボールは大切に運べないでしょう。

口酸っぱく言われる「いつも通り」の中に、大切にボールを運ぶための共通理解・実践に足る技術は含まれていないのですから。含まれているのであれば、とっくに慧眼をお持ちの諸兄がこぞって指摘なさっているはずです。この現象こそが目が揃っていることの証左だと、継続性の証左だと様々な媒体でわかりやすく伝えられるはずです。

 

国内の移籍市場は閉まり、期限付きで頼れる選手たちを失った現在の体制から大きく変化することなく、今シーズンは駆け抜けることになるでしょう。太田選手の加入が発表された時点では、今年も補強の夏になるかと思われましたが、むしろ出場機会を求めて期限付き移籍を果たした選手たちが多く、一か月前の予想とは異なる夏となりました

あらゆる選手において、試合に出なければ、市場価値が上がることも劇的に能力が向上することもまずあり得ません。そういう意味では、かつて名古屋が他クラブさんから多くの選手を誘ったように、同じことを時を経てされる側になっただけの話です。

 そこに魅力だのクラブ愛だのをいくら語っても仕方ないでしょう。そして、もはや出場機会を得られる環境でもなくなり、出場機会を得られず去った選手を膨大に出した以上、移籍交渉で苦戦するのは必然です。

 

前体制の咎を掃除している段階でもありません。すべては因果ですね。 

 

 

飢えていた勝利

最高に気持ち良い試合でした。川崎さんが悪い時の名古屋のように、やりたいことに固執し、中央を崩そうとばかりしたところを現実的に戦い抜きました。

今日の試合に限れば間違いなく勝つことに拘りきりました。目の前の一試合に集中するということはこういうことかと痛感しました。

今日ばかりは勝利を喜んでもよい気もします。選手たちは勿論、風間氏もやれる手を尽くしたように思います。

 

 

ということで、この一週間ポジティブに浸りたい方はブラウザバック推奨です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただし、別にピッチ上で何か劇的に変わり、進化したかと問われると実際"No"です。

今日に限れば風間氏も勝利に徹したとは思いますが、継続性というのがこの2年半ずっと立ちふさがってきたテーマです。

何なら昨年度も鹿島戦でドラマティックに戦い抜いています。今年はそれがおそらく川崎戦だったのでしょう。冷徹な言い方をすれば、34試合あれば1試合は当たりの試合があるでしょう。勿論こうした博打ともいえる試合の動かし方は賭博的な魅力はあるでしょうが、継続性・再現性は皆無です。こうした試合を続けることがまさしく継続性であり、継続について懐疑的な方を少なくするためには最も効果的なのです。

ただ、ややこしいのが、今日の試合が掲げている理想と合致するかと問われたらそれは断じて"Yes"ではないことです。

 

ボールを主体的に保持するサッカーを掲げているのであれば、単発なプレスでボールをみすみすタッチラインへ棄ててしまうとか、10人の相手に易々ボールを奪われ、きわどい判定に救われた紙一重のクリーンシートを達成するだとかは起こりえないことです。

粛々と相手からボールを取り上げ、10人になった相手のがら空きのスペースへボールを送り続けながら、適度にストレスコントロールを行い干し上げるような、能動的に相手を動かし疲弊させる狡賢さはかけらもなく、失っては途中出場のフレッシュな選手が追いかけるか人海で中央のスペースを死守するという我武者羅さに満ちた展開でした。

こんなことは理想を鑑みれば間違っても起こってはならず、10戦勝ちなしのチームでなければスコア以外大反省会でも何らおかしくありません。理想が本当にボールを主体的に保持することで、それに真摯に向き合えばの話ですが。

 

本日の川崎さんの姿を見ると、余計に理想がわからなくなります。

相手を観ず理想を追いかけていると思われる試合ほど、ろくでもなく攻守に見どころがないまま敗北しており、理想をいったん脇においた試合ほど選手は躍動し、結果が伴っています。川崎さんがSBの裏を突く名古屋対策を始めたころにはすでに2-0だったのも大きいですが、「対策をしてこない相手には互角以上に戦える」というのは周知の事実なのです。一試合という点で見れば、エモーショナルな試合ができることも周知の事実です。それが続かず、拘泥する理想が本当に正しいのかわからず、未だに彷徨っているのが最大の課題なのです。

川崎さんとの試合は間違いなく感情が突き動かされる試合ではありましたが、新しくわかったことは実は何もないのです。目指す理想って妥当なの?スタイルとは?という問いはむしろ強く突きつけられた試合でした。

 

 

今年も、「優勝を狙える選手が揃った」という公式の発言の下、開幕数試合で最強のセンターハーフコンビだとか、〇〇選手はベストイレブン行けるとかの、楽観論が数多く飛び出しておりました。

シーズン中盤になってその言葉を唱えた方々は例年通りどこかへ行き、「冷静になってみればそんなでもない陣容だった」と今年も選手たちへの手のひら返しと目標の下方修正がしれっと入りました。良い時に勢いがあるのはチームを反映しており、らしいと言えばらしいのかもしれません。ずっと恵まれた陣容だと言っていた身からすれば、やっはり腹は立ちますけれどね。


勿論、積み上げる中で軌道修正を強いられたり、立てた目標が高すぎたということは当然起こりえます。別にそれが起こること自体はあり得る話です。どうしても今現在チームにいないタイプの選手が必須なフェーズに至り、入れ替わりが避けられないこともあります。ただ、それが毎年毎年起こっていて、選手が激しく入れ替わる中で継続して発生しているとなると、


・理想の立て方がおかしい
・理想に至るための方法がおかしい
・長期が何年かは脇においても、選手が同じことを繰り返しているのは間違いなく停滞    なので、変化がないとおかしい。


このどれかを疑うべきです。疑いの声も上がりながら、それでもリセットの恐怖かそのほかの情念かにつき動かされ、戻る道も失いここまで来てしまいました。

そして、ここまで来たことで発生したことがもう一つあります。

 

J2時代から戦ってきた櫛引選手や秋山選手の移籍と、相馬選手の移籍ですね。
特に相馬選手については、他クラブさんから狙われる有望株が育ったということで、継続性の証憑として歓迎こそすれ否定されるものではないと思っていたのですが、実際は阿鼻叫喚の嵐でしたね。尻軽ムーブしまくるくせにされたら怒るのは節操ない。

風間氏が監督でなくなると選手が流出する、だから解任はいけないという意見も拝見しましたが、知らんの一言です。わかるはずがありません。

正確には、交絡要因が多すぎてどれも推測の域を出ません。

少し考えるだけでも、
・スタメンで出られるか(出場機会が増えるか)
・年俸が上がるか
・海外移籍のチャンスがあるか・マーケットに乗れるか
・知っている選手・自分とプレーの合う選手がいるか(溶け込みやすさ・コンビネーションやコミュニケーションの確立がしやすいか)
・監督・コーチの手腕がよいか(自分の志向と合致するか)
・ドクターやホペイロなど、肉体を維持するためのトレーナーが充実しているか
・都会かどうか(ご家族の要望・お子様の教育環境・選手ご本人の趣味などに関わる)
・選手本人やご家族の故郷かどうか
・やっているサッカーが楽しいか
(・育ったチームに移籍金を残せるか)

要するに、「現状順風満帆とはいえない中、年収が2倍になって快適な環境へ移って燻った今現在を変えられるチャンスがやってきた」と言い換えれば、少なくない方が揺らぐのではないでしょうか。名古屋にいらっしゃった選手も大抵はこのパターンのいずれかでしょう。そして、残念ながら出ていかれる時もいずれかでしょう。

風間氏が監督だから出ていったとはまったくもって断言できませんが、今回の相馬選手の一件については、ピッチ上を鑑みるに、
・得意なポジションでの起用が減っていた(WB・SBなど守備に忙殺されやすいポジションでの起用が増えていた)
・スタメンの起用頻度が落ちていた

せいぜい憶測できてもこの程度でしょう。むしろこれだけの情報で「風間氏の継続性が危ぶまれたから不安になって選手が出て行った。だから言ったのに。」と断言できるのは、眩しすぎて感嘆してしまいます。


本当に立派なユニフォームを着ていらっしゃいます。ぜひそのままスタジアムへ繰り出してみたらいかがでしょうか?
勿論同様に、風間氏が監督だから出て行ったとも断言できません。そこにあるのは、自分自身の活躍が見込めるポジションで試合に出ていなかったというピッチ上の事実だけですね。
よって、今回の相馬選手の移籍をもって、風間氏が相馬選手を移籍で出したあるいは、移籍を決定したとするのは邪推に他なりません。勿論相談とある程度の反対は認められているのでしょうが、ただ一人の意向をもって何でもできるはずはないでしょう。
ちょうど、聡明な方がおっしゃっていた「氏は全権監督ではない」という言葉も拝見しました。「全権」という言葉がこれまたどうとでも取れそうな広義の言葉ではありますが、おそらくクラブに関わるあらゆることに口出ししたり、決定権があるというような意味でしょう。移籍に関して氏は明確に何かを語っていませんし、できるとしてもこんな選手が欲しいというオーダーを強化部に出すくらいでしょう。所謂監督と呼ばれる職務の域を出ない話です。

まったくもってその通りだと思います。
そしてそれはクラブの他分野でも同じことが言えます。

集客についても同じですね。なぜなら風間氏はGMも兼ねたり、企画を練るような全権監督ではないからです。そして、若い選手が出るような交流を兼ねたトークショーなどにサプライズで積極的にご参加なさっているという目撃情報もありません。もしそんなサプライズがあれば、SNS全盛の今、ほっこりする素晴らしいエピソードが広まらないはずがありませんし、公式も何らかの形で発信するでしょう。ただそれは2年半ありませんでした。
当然です。なぜならそれは氏の仕事ではないですし、あくまで監督業があって次に「満員のスタジアムを実現するために可能な限り尽力いただきたい」という広報や営業の努力に協力すればよいからです。実際、上記のように言われて嫌な思いになる選手・監督はまずいらっしゃらないでしょう。これもトップの監督の職務の域を考慮すれば、まぁ一般的な監督のレベルから良くも悪くも逸脱はしていないでしょう。

ユースについても少し難しいですが同様です。ユースにはユースで古賀監督という素晴らしい指導者がいらっしゃいますし、有望な若武者が揃っております。これまた風間氏と古賀監督が密接に連絡を取ってサッカーの一貫性を調整していたり、トップの試合で頻繁に古賀監督が目撃されるか、練習をユースとトップで合同でやるとか、ユースの試合で頻繁に風間氏が目撃されるとかがあれば信憑性のありそうな話になります。ただ、これもそんなに話題になったことはないですし、実際に起こった話でもないので、やはり特別に風間氏の手腕がユースの今現在での成功に大きく寄与していると断言するのは難しそうです。
よって、氏の手腕が最も発揮されるフィールドを考えると、トップチームになるわけです。また、公式の場で自分たちの意図をベラベラ漏らす愚将もそうそういませんから、言動も絶対の信頼がおける証拠にはなりえません。
そうなると、ピッチ上で起きたことから何となく判断するしかないわけです。


実際、クラブと選手・監督は残念ながらいつか決別するものです。○○監督だから、○○選手がいるからといった個人のカリスマ性に依拠するやり方は、手っ取り早くクラブに関わってくださろうとする方々を増やすためには有効ですが、永続性はありませんし、クラブのスタイルを創るのであれば、むしろ特定の個人に強く依拠するのは悪手です。
クラブのスタイルが確立されたと思っていたら、そのスタイルの礎となる智慧は一人の選手(監督)しか持っておらず、誰も引き継げなかったというケースは既にJリーグでも起こりましたし、近い将来また起こると思います。
そうならないため、スタイル確立の基礎工事に相応しい方として風間氏を招聘したはずというお考えを拝見したのですが、実態と矛盾していないでしょうか?
特定個人に依拠しないスタイルを構築するために、監督という一個人に依存し、引き継ぎの難しい独自なスタイルへ邁進していたら、本末転倒ではないでしょうか。
したがって、継続することを念頭に置いているのであれば、難題とはいえ、ある監督やコーチと出会い契約した瞬間に「今の監督とどう別れ、どこまでを現政権で浸透させるか」というのは、フロントが考慮しておかなければならないことでしょう。決して容易ではありませんが、本気でプロジェクトを実現させるのであれば、第二・第三のプランがないほうがおかしいですね。
もし、「風間サッカーを実現すること」こそがクラブの目標であり本望であれば、今の進捗は妥当そのものでしょうし、今後も継続して何ら問題ないでしょう。しかしながら、そんな目標を掲げたとは一切聞いたことも目にしたこともありません。
また、スタイルを確立するを目標にして、成功するまで続ければそれはいつかはできるでしょう。できた時には新卒選手の評判もクラブイメージも資本による優位も失っているかもしれませんがね。時間は平等です。

今のまま続けて、スタイルはできるかもしれません。現時点で期間も決めず「スタイルはできない!!」と断言することは不可能です。続けていればいつかはそれっぽいものができるかもしれません。ないことを証明するのは悪魔の証明です。

 

それが本当にお望みのスタイルかと問われたら、私自身は"No"だと思います。

「技術だけに特化できている今は無限の可能性が広がっている!」という声もありますが、別にいうほど今現在技術に特化してもいません。本当に特化するのであれば、まず利き足なんて概念がなくなるほどに両足を扱えるようにして、止めて蹴って色々できる領域がとっくに増えているはずです。それが、どんなボールが自分の足元に来たとしても蹴るフェーズに移行するために必須だからです。止めて蹴る成功率を本当に上げるなら、誰からどこから来るかわからない来るボールの質を頼りにせず、自分自身で扱える領域を拡大するのが最も確実ですからね。利き足に持ち帰るワントラップなど不要の一言です。真剣に技術を磨き上げるなら難題とはいえ避けては通れません。
次に、その両足で様々なキックの質を磨き、グラウンダーからドライブ回転・ロブ・ロングパスなどの蹴り方をそれを実現できる筋力やボディバランスを叩きこまれ、いつ適切に技術を発揮するかも徹底的に練習で磨くはずです。本番で発揮できない技術など無意味です。これでも、ほんのわずかな技術でしかなく、ヘディング・守備時のバックステップ・セットプレーなど観測外の技術はまだまだ膨大です。
したがって、「技術」を極めるというのは、何かを言っているようでほとんど何も伝えられていません。頑張ると同じくらい無意味ですね。

 

理想と異なる形でまた成功体験を積み上げはしましたが、根本的に相手の対策を打ち破ったわけではなく、スタイルの積み上げに合致したベクトルに向かっているとは断言できない状況です。

とはいえ、今シーズンの最後どうなろうとも、ずっと先送りにされてきた答え合わせができる喜びに心が躍ります。

夏か補強か実力か

ここ2年と同じようなことを繰り返しているのであれば、ポジティブになれるのがこの8月です。そんな期待が7月末から渦巻いておりました。

今までと同じであれば、連勝街道を邁進する夏と考えることもできます。その一方で、今までほど大々的な補強はなく、決定的に今までのシーズンと異なる点です。

 

浦和さんとの昨日のゲームは、ここ二年の夏の強さの根本的な要因に迫る最初の試合でした。とはいえ、中三日の相手に対し、中二週間の十分な休養があって試合に臨めるわけですから、明確に有利な立場であったのは事実です。この一試合だけをもって、やっぱり夏になれば勝てる!と断言するのはいささか早計な気もします。

 

ところで、8月になって勝てること自体は喜べる話ではあるのですが、なぜ8月になると勝てるのでしょうか?今まで見てきた仮説では、

 

主語が自チーム

・8月になってようやくチームのコンディションがピークになる

・大々的な補強のおかげ

・ブラジル人選手が動きやすい時期が8月

 

主語が相手チーム

・8月になってコンディションのピークが過ぎる(真偽不明)

・暑さで陣形がコンパクトに維持できなくなる

・名古屋対策を90分完遂できなくなる

 

このあたりが語られていた気はします。あくまで仮説です。特定する術は今までありませんでしたからね。しかしそれも今年明らかになります。楽しみですね。

 

前置きが長くなりました。

浦和さんとの試合は結果的には手段がわからぬままロスタイムに再び叩き込まれ、痛い引き分けに終わりました。

 

 

 別にボールを保持するだけがサッカーではありませんし、ボールが足元にあることは能動的に相手を動かしていることと同義ではありません。意図的にボールを相手に渡すことで相手の陣形を崩すやり方もありますし、相手の陣形を狙って崩していれば、能動的に相手を望まざる陣形へと動かしていることに変わりはありません。

形はどうであれ、自分たちが望む展開へ導くためにいかに相手を動かすかが根本にあり、その動かし方が統一できているのが「目が揃う」という状態だと私は解釈しています。

※相手を動かさなくても自分たちが完璧に止めて蹴れば勝てる!というご意見は試合で利用できるレベルで実現できてからお願いします。34試合のうち2分だけできても、せいぜいまぐれの域をでません。

 

しかしながら、リードしているときに、ピッチ上で目が未だに揃わないのは何故でしょうか?ボールを保持することを多分志向しているとは思いますし、ボールを保持するための技術を持った選手たちも揃っていますし、風間氏は技術指導のマエストロらしいですし、保持していればそのまま勝ちにつながるわけですから、身に付けた技術に基づくボール保持で試合を畳めばよいのにとは思うのですが、そうはなりませんでした。2週間休んでフレッシュなまま、技術を復習する時間もあったのに、2週間前と同じ轍を踏みました。

加えて、拍車をかけるのが相手チームの状況です。ガンバさんも浦和さんも決して今絶好調なチームではなく、勢いに乗るJ1最強チームを相手に90分間ギリギリの展開を強いられて最後に決壊してしまったという試合でもなかったでしょう。

試合で発揮できない技術・実用的でない技術は飾っておけばよいと思うのです。

 

こんな話、一年目に通り過ぎるべきところでしょう。

 

あるいは、時間管理・体力管理を含めたピッチ上の司令官がいたら今のやり方はよいのかもしれませんが、育てていないものは現れませんし、灼熱のピッチ上で激しく動けばその判断そのものがゆがむ危険性も十分あり得ます。

もしそれでエラーを起こした場合は、「選手のミス」になるのでしょうか。重篤なエラーが負荷のかかりやすいポジションから発生しているとは考えないのでしょうか。いい加減、失点で選手個人が悪かったことにするのを止めませんか?

 

本人でも翻訳者でもわかる方でよいので、掲げる理想をそろそろある程度言語化していただきたいところですね。

勝つことなのか、名古屋スタイルを作ることなのか、川崎さんのようになることなのか、ボールを90分間保持できるチームになることなのか、高速カウンターで刺せるチームになることなのか、満員のスタジアムを毎試合実現するのか、選手とサポーターの距離が近いクラブになるのか、ACLを獲るのか、若手を海外へ送りこむのか、どうしたいのでしょうか。

全部というのは回答にはなりません。どれも大事ですが、明確な優先順位がなければ実現可能性の低い誇大妄想にすぎません。全部やりますと言って全部やれる人はまずいません。今やれることがわかれば、「全部やるために今はこれをやる段階」と言えるからです。

 

今ぶち当たっているのはどういう壁で、それはどんな原因でぶち当たっていて、解決するには何が必要で、壁を破るのにはどのくらいかかって、壁を破った先で名古屋グランパスはどうなるのでしょうか?

 

別に選手が楽しければそれでよい、ファミリーで盛り上がればそれでよいというのも答えです。賛同を得られるかは知りません。

 

ユースで結果が出ているから良いというのも、今のトップの状況には当てはまりません。万が一哲学が同じだとしても、表現者もピッチも相手も何もかも違います。

 

今、3年連続で補強がないと勝ち星が遠くなるという、トップチームで発生している現象は、なぜ起こっているのでしょうか?

 

もし、今の名古屋が、足元を身に付けようとしない傲慢なGKと、高身長で足があまり速くない古き良きCBと縦への上下動が持ち味のSB、ボールを狩り獲るのが長所のボランチを後ろに据えているのであれば、まぁボール保持を選べるチームではないなと割り切って応援するしかないのです。そんなチームがボール保持に舵を切るのであれば今の状況も致し方ないのですが、そんな恵まれない状況からは程遠いです。

他クラブさんと比較すれば恵まれた陣容を有してなお、「技術」を身に付けたとされる状況でなお、ピッチ上でこうなっているのは、どうしてでしょうかね?

 

過去を振り返り、ついに出た解任論

一年前の開幕戦ほどゴール前での運がなかった。そんな試合でしょうか。 

良く引き分けたというよりは、勝ち点2を逃がしたと両チームが感じるような痛み分けだったと思います。

 

もう一度今シーズンの明確な目標をきちんとおさらいしておきましょう。

ACL出場権の獲得ですね。

方針がぶれないことを評価し続けるのであれば、肝心の目標をぶれさせてしまうのはフェアではありません。それはファミリーであれ、サポーターであれ同義です。目標の軌道修正と言えば聞こえはよいですが、今シーズンが始まる前「目標を達成できる陣容は揃った」と明言されておりましたし、支持するならそこは譲ってはいけない防衛線でしょう。支持しないならご自由にという感じです。

一番やってはいけないのは、方針がぶれないことを評価して支持しつつ、「まぁ目標としてはACL掲げたけど前の年より順位上がってるし結果進歩してるからいい!」みたいないいとこどりですね。ブレブレもいいところです。支持するために目標を反故にするのでは、手段と目的が逆転しています。

よって、今年はどうあがいても目標の下方修正はあり得ません。

今シーズンを風間氏のまま走りぬいて、        何より結果が重要なこのシーズンの結果がどうで、   それは未来永劫続く名古屋のスタイルの実現にどのくらい寄与していて、継続性がどれくらいあるものなのかを  確かめなくてはなりません

ifルートなどいらないのです。

 

 

シーズンも半分経過して、「ボールが互いのゴール前を行き来するような忙しない展開になれば名古屋が強い」というのは、他クラブさんにも間違いなく知られています。そして、大抵は望む展開を招かないよう対策します。当然ですね。

とはいえ、前線の質と守護神の能力に自信があれば、こうした忙しない展開を苦としないクラブさんもあります。神戸さんとかガンバさんとかマリノスさんとかですね。

そして、ガンバさんがどんなプランで臨まれたのかは、高いディフェンスラインの裏を突く以外には今一つわかりかねましたが、とにかく名古屋お望みの展開となったわけです。そして双方の望み通り(?)殴り合い、痛み分けで終わりました。

相手の陣形が崩れた状態で水を得た魚のように躍動するのも、何なら去年の開幕戦からずっと武器にしてきた強みです。強みが褪せないのはよいことですが、この一試合をもって「今年も夏の連勝街道驀進!!」とは確信できないゲームでした。たとえ2-1のまま勝っていたとしてもです。

 

そして、対策されてからは相変わらず芳しい結果を得られていません。強みを発揮できる土俵に相手が乗ってくれない場合、ピッチ上での内容も伴わず停滞してしまっております。そうでなければ、シーズン前半戦に要所を締めて2-0で勝利した相手に、0-3でよいシーンなく敗北するということはあまり起こりません。

もっと平たく言ってしまえば、湘南さんにいいところなく敗北したシーズンは大抵よくありません。まぁ完敗している時点で好況ではなく、湘南さんに限った話ではないのですが、特に湘南さん相手だと顕著に出る気はします。スタイルの類似性も指摘されておりますし。

 

話を戻しますが、今シーズンに限らずぶち当たっているのが、「相手に対策された時」「自分たちの土俵で戦えないとき」どうするか?という問いです。

相手だって負けるのは嫌ですし、勝つために頑張ってくるのは当たり前です。

ここ二年、ガンバさんとの試合はお互い得意な土俵で戦った結果ゴール前の質で上回るかどうかという試合がほとんどです。そして今回も同様の展開になり、結果的には上回れませんでした。よって、実はこの試合に圧勝できていたとしても根本は解決しません。メンタル面ではプラスが間違いなく出ますがね。

 

今後を考慮すると、どうやって自分たちの土俵で戦うか、型を押し付けるかというのは目を背けられない問題です。そもそも自分たちの土俵も確立されているかは甚だ怪しいですが、相手に合わせるやり方を志向しているとは考えにくいです。

 

では、どうやって引きずり込めばよいでしょうか?手段なくして、ただ自分たちのサッカーが理想だ、できれば勝てるんだ、選手が頑張ればいいと言っていても始まりません。サポーターならそれで充分ですがね。あまり選手の頑張りに万能さを求めすぎてもホラーですがね。

 

ちょうど「中長期で強い基盤を作る」という名古屋の方針が再認されたところなので、中長期で強い基盤を作るために今手段として何をしていて、どのくらい実っているか確認してみましょうか。道が長いからこそ、ただ受動的に待つのではなく、遭難していないかを確認できる「目に見えるもの」は重要です。ただただ信じるのは一見難しいようで簡単です。目に見える課題から目をそらしてロマンを妄想すれば信じ続けられます。

 

まず、何をするにも最も重要な要因になるのが「時間」です。

DAZNが襲来したことで、明らかに日本の移籍事情は変わりましたし、この数年で変革に乗り遅れるクラブは数十年分の差を付けられかねない苛烈な環境になっていると考えます。

 

時間が必要という声は就任当初からありますが、ではどのくらいの時間が妥当でしょうか?300年くらい待てばよいでしょうか。せめて生きているうちにもう一度優勝が見たいのですが。

一つの基準は前任の川崎さんでの5年間ですね。ただ、通る道が違うとはいえ、前任で5年間かかった仕事を今回も同じ期間かかっていては、それは間違いなく停滞です。特に、数か月から半年でチームに骨格を据えられる監督がJリーグにもいらっしゃることが明らかになりつつある中、いかにも5年は長いです。

5年あれば、23歳の大卒選手は28歳です。脂ののった28歳の選手に求めるのは、チームの主軸として勝利に直結するプレーでしょうから、5年経って継続して試合に出場している選手個人の能力が高まるのはある意味当たり前です。

それでも5年賭ける価値があると考えるのならば、なおさらリターンを明確にしておく必要があります。「投資」とか「育成」とか評価しようのない曖昧模糊なリターンでは論外です。「スペイン一部でレギュラーを獲れる選手を5年間で一人輩出する」とか、「ホームグロウン選手を3人以上スタメンで遜色なく起用できる体制を作る」とか、 目指す道を進むうえでおそらく現れるであろう結果を殊更はっきりさせておかねばなりません。

道は長い(ただしいつまでかかるかは明示されないし途中の進捗もわからないが投資は潤沢に必要)だけでは説明がつかないことがあるのです。

5年だとしてもそれ以下だとしても、もう折り返し地点は通過しています。

種はもはや蒔き終え、実りの時期を待つだけでしょうか。待ち遠しいですね。まだ種も蒔き終わっていないとさすがに進捗管理がお粗末ですが、まさかまさかそんな稚拙なことは決してあり得ないでしょう。

 

ここまでの文で、楽な道を行こうぜと言いたいわけはありません。

スタイルを作るなんてどうでもいいとも一言も言っていません。

 

次に、スタイルを作るうえで、今がどの段階にいるかという「進捗」です。今現在は基礎工事の時間でしょうか。それほど、勝利・結果が第一のフェーズでしょうか。

私自身はどちらとも取れないモラトリアムのような時間を貴重な時期に過ごしてしまっているという認識です。というのも、

 

・基礎工事の時期→2年半かけているが、それらしき基礎がない。積み上げをきちんと言語化している方がいらっしゃらない。選手が入れ替わりすぎて基礎が作れていない。基礎工事に5年間かかるのはさすがに長すぎてプロジェクトとして異様。

 

・収穫・結果を出す時期→結果が出ていない。勝ちパターンが増加せず、負けパターンに進歩がない。シュートだけが入らないという試合が不運に続いているだけでも、負傷者が続出しているわけでもない。

 

一言で言えば、不運や偶然で片づけるのは少々都合がよすぎるだろうということです。

基礎なら選手がコロコロ変わって2年半たっていて、それらしい継続性もピッチ上にないのは何故なのかという話ですし、収穫なら去年と似たルートを能力のより高い選手で繰り返していて、いよいよ借金背負い始めて停滞どころか衰退していないか何故なのかという話です。

 

別に今は我慢の時期でもよいんですよ。梅雨の時期だから耐えるでもよいんですよ。 私自身我慢を否定したことはありません。ただ、その我慢は

・何に対する我慢ですか?

・どういう因果関係によって発生していますか?

・いつ頃にどういった解決策がとられますか?具体的な片鱗は誰のどんなプレーとして練習や試合に現れていますか?

・それは中長期的な名古屋のスタイル確立のために避けては通れませんか?

 

特に、何に対する我慢なのかが正直よくわからないのです。勝てないことに対する我慢なのか、スタイルが確立できないことによる我慢なのか、選手が育たないことによる我慢なのか、何となくうまくいかない現状を愚痴にしたふわっとした我慢なのか、現状を何らかの理由でとにかく変えたくないことによる我慢なのかがわかりかねます。

もしもの話にはなりますが、昨日のガンバさんとの試合に2-1のまま勝って、これで「名古屋のスタイルは確立できてる!進化してる!今年の夏も連勝だ!」と言われても疑問符しかわかないわけです。勿論勝利が格別の味なのは大前提ですがね。

今スタイルの構築にあたってぶち当たっているのは「自分たちの土俵に相手を乗せられないこと」なのに、相手が自分から得意な土俵に乗ってきて勝って、今のやり方が正しいと是認できるのはいささか奇妙です。殴り合えば強いことは既知の話です。

 

そして、停滞の解決はいつも選手を入れ替えることで行ってきました。自分たちの土俵に乗せるために自分たちが物理的に変わっているだけなので、変化はしていますが継続性があるかといわれると難しいところです。

 

ガンバさんとの試合をもって藤井選手に期待が集まるのはもっともですし、有望で素晴らしい選手であることに疑いは一切ありません。しかし、この流れさえも既に何度もやっているんですよ。

 

2年前、彗星のごとく現れた秋山選手を中0日で出場させて、「若手が抜擢されている!」「魔改造最高!」「秋山なしとかあり得ない」みたいな勢いが一時期溢れました。

いや秋山選手がキュートで逞しくて頼もしくてワンダフルなのは全面的に同意ですが、今彼が不動の左SBとして君臨したり、あの経験をもとに今現在左利き司令塔としてチームのスタイルを体現しているかと問われると、全面的にYesとは言い難いわけです。

1年半前、ポジションは違いますが似たようなことを新井選手でやりました。

1年前、ポジションは違いますが似たようなことを相馬選手でやりました。前田選手でも同様に、相馬選手ほどではありませんがやりましたね。

 

J1開幕スタメンを飄々とこなした菅原選手にしても、武骨な古き良きCBから今なお進化を続ける櫛引選手にしても、30代で成長を求め全力で適応しようとした佐藤選手にしても、足元の技術をつけるという新境地へあくなき挑戦をした我らが守護神にしても、その他数多くの名古屋にいらっしゃった選手にしても、選手ごと様々な事情はあれ、昨日のピッチ上にはほとんど、成長を求めて名古屋の門をくぐり、見事に成長して在籍前の実力を逆転させた選手たちはいらっしゃらなかったわけです。健全な競争だからですか?むしろ名古屋に来るまでの実績であらかた決まってしまっている気がします。

 

そうなると、いくら藤井選手が有望で眩い煌めきを放つ巨才でも、また同じように周りが一過性のロマンを求める尻軽ムーブをして、過度に負荷のかかるタスク過多に陥りふわっと終わってしまう危険性はあります。継続してユースの若人を追いかけていらっしゃる方々はそんなことは決してなさいませんが、そうでない方々も少なからずいらっしゃることでしょう。今後数試合で尻拭いの形で発生したミスから、「やっぱりまだ目が揃っていなかったんだ…」と言われこれまた継続性なく終わってしまう危惧があります。

 

継続性継続性といわれますが、今のピッチ上のどの要素にどんな継続性があるのでしょうか?そして、それは継続するに足る名古屋のスタイルに不可欠な継続性ですか?

 

長期的な視点をもって基盤を作ることは全面的に支持します。

 

ただ、数十億という明らかにJリーグで勝ちにいく投資をして、このやり方とこの進捗でいいのか?その程度の本気度なのか?という疑念にだけ確固たる継続性があります。そんな嬉しくもありがたくもない継続性のために今のやり方を貫いているわけがありません。選手の頑張りを無駄にして頂きたくないんですよ。不必要に東奔西走させられたり、闇雲に走らされている姿を見て、頑張ってるから愛おしいとは思えないんですよ。

 

そうして頑張りすぎた挙句負荷がかかりすぎて、半ば悲鳴を上げるような形で表出したミスをもって、「○○選手が悪い」とか「○○選手の目が揃ってない」とするのはあまりにもフェアでないでしょう。気が利いて、誰もやらないが必要な仕事に目が向くからこそタスク過多に陥り、疲弊し、疲弊がミスを誘発してしまうのです。場合によっては怪我にもつながります。危険に対する反応も疲弊していれば遅れるでしょう。完全な偶然ですが、負荷の高い要のポジションの選手が負傷により離脱しているのももしかしたら無関係ではないかもしれません。

 

よく敗因として挙げられるのが「ミスを犯してしまった」ですが、そもそもなぜミスは起こるのでしょうか?うまくなればミスは本当にゼロになるのでしょうか?


34試合ありますから、まぁ1~2試合は「○○選手頼むぜ~何やってんだよ~」とぼやきたくなるようなミスが起こってもおかしくないでしょう。選手も人間ですし、夏の灼熱と多湿に包まれたピッチは精密機械さえおかしくなりかねない環境です。


そんな環境ですと、そもそもミスの起こりやすいことを誘発する事象自体を減らすことも考慮する必要があります。しかし、それは今考慮されていないんでしょう。ミスはあくまで選手自身の能力不足であり、一人一人がうまくなることによってのみ解脱できる業のようなものなのでしょう。うまくなるって何なのでしょうね。)クスリみたいだ

その結果、ディフェンダー陣が時間を作ってアタッカー陣に生きたボールを届けられず、アタッカー陣は個人の才覚と即興で時間を作り相手を躱してチャンスを作りゴールを決めるという膨大なタスクを求められています。ところが、そのアタッカー陣は個人の才覚と即興に依拠した守備から危険なスペースを空け、その尻拭いという膨大なタスクをこれまたディフェンダー陣がしています。中盤はどちらの要求にも応えるために奔走するほかありません。そもそも健全な状況だと思えないのですがどうなのでしょう。この状況って相手以外誰が得するのでしょうか。こうしたタスクの整理も試合中に選手たちが自分で考えてコミュニケーションしながら是正するべきでしょうか。

また難解なタスクが一つ増えましたね。

 

さすがに三年連続で停滞期が継続して訪れたことで、監督解任の話も出てきました。思ったより早く出てきましたね。

ただ、後任監督の名前を見て、はっきり言って落胆しました。名古屋の確固たるスタイルを作るという壮大なプロジェクトに対して、明らかに手すきで日本での指揮経験のある外国人監督をそれっぽく公表したような練度のなさには辟易とします。

せいぜいそのくらいの本気度なのねという落胆が大きいです。

 今風間氏を解任しても得られるものはあまりに乏しいですが、選択肢としてあるという現実だけは重く受け止める必要があります。

今でも、風間氏の中での試行錯誤は見られますが、氏や一部ファミリーが選手に求めるような抜本的な進化を、まだほかでもない氏が為していません。ペースメーカーとして目を揃える先頭集団を走り続けてきた氏が、いよいよチームの進化に置いて行かれ始める順番が来たのではないでしょうか。

 

そうなれば回答は一つですね。

 

氏も例外ではなく、進化し続ければよいのです。小手先の3バックとか今までの自分の引き出しを超え、名古屋で思い残すことなく仕事を完遂してくださればよいのです。それを観ずに終わるなんてなんてもったいないことでしょう。氏が巷に囁かれる名将なら、間違いなくこの停滞を乗り越える進化を見せてくださるはずです。その果てに、 名古屋でシャーレを掲げる姿を観られたら最高ですね。

まさか氏を支持しておいて「進化すればよいのは選手と解任派だけだ、練習や試合を見れば風間さんの偉大さはわかる」なーんておっしゃるはずありませんよね?

 

                                    了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年はもうつべこべ言える状況にない。来年になって選手が揃えば風間さんの真価がわかる」と2年前も1年前も言われていたのですが、未だに真価が継続してわかるときが訪れません。どうすればわかるようになるでしょうか。あと2年待てばよいでしょうか。待てば待つほど期待値と果たされるべきリターンは大きくなります。

何もかもが博打に思えます。継続性・再現性とは対極にある、コンセプトに合致しない賭けです。ただ楽しみたいなら賭けを楽しむのもわかるのですが、だとすればスタイルへの拘泥が謎です。

論題: 現状の進捗は妥当か?

 頭を強く打ってすぐにでも救急車で搬送すべき選手がいて、そんな戦ってはいけない状況でもそこまでして名古屋の勝利のために戦ってくれようとする選手がいて、それ以外の選手だって頑張ってないわけがなくて、なんでなおもいいところなく負けるんですか?そんなに芝が悪かったですか?

 

なんで所属する選手の選手生命も守れないクラブになったんですか?

 

昨年度の柏さんとの試合で、完璧なゴールを取り消され、長いトンネルに連れ戻された嫌な試合で、脳震盪を起こした中村選手に対して迅速に対応した、失ってはいけない誇りを示した、我が愛するクラブはどこに行ったのですか?

 

なぜですか?

 

なぜでしょうか。私はなぜかを考えたいので考えます。書きます。

負けた時だけ出てくると言われるのは気分の良いものではありませんが、勝っている時にはそもそも見られませんし、見られても「勝っている雰囲気に水を差すな」とか言われるのがせいぜいでしょう。

考えたくない方、そもそも私の文章が嫌いな方はお願いですからここでお帰りください。まだ間に合います。お互い確実に不快になるだけなので。

別に私自身が発信用のtwitter抱えて闇雲にファミリーをフォローして「見てみて~☆」と皆様のタイムラインに邪魔もしませんし、名前をころころ変えて私自身だとわからないようにする偽装工作も一切してません。する気もありません。
特に、私の文章が嫌いな方はそもそもここまで読まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りましたか?

始めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現状の名古屋グランパスにコンセプトはあるでしょうか?

 

Yes: 魅力的な攻撃で攻め続け、全試合5-0で勝てるようなサッカーを実現する。   そのために、クラブの礎となる継続性あるスタイルを確立する。

No: そんなものはない。目指す先は未踏の地なので、先達など存在するわけがない。 コンセプトなどにそもそもとらわれず、やりたいようにやればよい。そうすればいつか名古屋のスタイルは確立される。

 

私自身はこの回答は"Yes"だと思っております。そして、この時点で"No"という方もいらっしゃると思います。そういう方は、ここから先を続けてもお互い不毛なのでお帰りください。

 

 

 

 

 

 

 

 

次に、そのコンセプトを掲げて2年半経過しましたが、現在の進捗はどうでしょうか?

本当は進捗はシーズンごとに省みながら、現状の方向性が理想と合致しているか確認したり、理想を実現するための手段が適切か、もっと他の手段はないか複数の選択肢を探したり、時には理想自体が間違っていると考慮する覚悟もあると素敵です。

応援するクラブが挑むコンセプトの実現は、並々ならぬ覚悟と投資が間違いなく不可欠な偉大なる挑戦ですから、

「適切なベクトルに投資がなされているか?」

という命題にはどれだけ真摯に向き合ってもよいと思います。

 

そして、ここまでの2年間を振り返ります。

一年目は、J1昇格という「難しい」ミッションを紙一重で成し遂げたものの、結局スタイルの確立より目先の結果を取らざるを得ない状況に追い込まれており、コンセプトの成就は二の次にせざるを得ませんでした。評価のしようがないというやつですね。

DAZNの襲来もあって、とにかくJ1にいることのメリットが今後甚大になるだろうという節目の年だったこともあり、シャビエル選手・新井選手らの補強による短期的な結果の追求は妥当な方法でした。

とりあえず最低限のノルマだけを果たし、舞台はJ1に移ります。

 

次の年はJ1に旋風を起こし、優勝争いをするという目標から一転、降格しないという目標にいつの間にかすり替わっておりました。そして、選手個人の頑張りが結果に結び付かなかった地獄のような前半戦を終え、結局目先の結果に拘泥せざるを得ないほどの圧倒的な補強でピッチ上の選手を入れ替え、本当にこれまた紙一重で生き残りました。

相変わらずコンセプトの浸透は評価のしようがありませんでした。しかし、リーグ最優秀級のGKと固め打ちとPK込みでも24ゴールをたたき出し、期待通りの活躍をした得点王を擁し、その他名古屋に来れば成長できると信じ、難しい決断をして名古屋にいらっしゃった数々の貪欲で優秀な選手たちが様々なポジションにいて、失点が明らかに多い15位という結末はアンフェアで受け入れがたい結果でした。

最も勝利を追求するうえでボトルネックになりやすい両ポジションに明確な強みを抱えていて、そしてその強みは遺憾なく発揮されてなお15位でした。優秀なGKとストライカーの不在で勝ち点を落とす世界中のクラブが数多くある中、どちらにも祝福されている状況の中、目論見通り勝ち点を稼いでなお15位でした。加えて、長期離脱や不慮のアクシデントに悩まされ続けたわけでもありません。

 

私の記事をある程度読んでくださっている有難い方々はすでにご存じかと思いますが、この時点で既に疑問がやまない状況でした。本気で理想を実現して、スタイル創る気あるの?と思いましたね。本気なら、手段が間違っているのでは?という疑念がやまない状況でした。

あれだけ真面目で進化できて個人能力も高い選手と、育成に長けていてスタイルの構築に定評があるとされる実績ある監督とそれを支えるコーチ陣、クラブとして地域への浸透とともに満員のスタジアムを実現しようとする有能なフロント・審査眼に優れチームに合う選手を勧誘できる強化部があって、なんで補強直後以外は内容もよくないまま負けているんだ? と思わずにはいられません。

 

※私自身には風間語の翻訳が不勉強な側面もあり、風間氏については明確に「定評がある」と断じられないことについてお詫び申し上げます。

 

かといって、コンセプトの進捗が順調ともはなはだ思えません。ピッチの上や試合結果に何らか視認できる形で積み上げがなされているでしょうか?目先の勝ち星をある程度犠牲に、名古屋の5年10年を支える選手は現れたでしょうか。スタイルの実現に不可欠な左利きで広範囲に展開できる中盤の選手や、スピード・フィジカル・テクニックを兼ね備えた守備ポジションをこなせる選手は狙い通り育成できていたでしょうか? 

この命題に関しても私自身の答えは"No"でした。希少な心臓部であるからこそ、「自前で賄う手法を確立する」か「外注でどれだけお金を積んででも解決する」かは明確にしておいたほうがよいと思っておりましたし、今もその答えは同じです。

※和泉選手は名古屋5年10年支えるより送り出してドイツやスペインで「名古屋を最初に選んで本当に良かった」と語ってほしい選手なので個人的には該当しません。ここの「名古屋を5年10年支える選手」に関しては徹頭徹尾主観です。

 

そんな未解決課題を抱えたまま、いよいよ3年目を迎えました。

今までは「選手の質がもしかしたら足りなかったかも?」という答えの出ない問題に頭を悩ませ、コンセプトが浸透しているかを省みることはできませんでしたが、

 

鳥栖戦でいきなり求めていた選手であることを証明したシミッチ選手

・泣き所であった左SBを解決する実力者の吉田選手

・中盤でのボール争いにめっぽう強い米本選手

・ディフェンスから活きたボールを前線に届けられる千葉選手

・ピッチの皇帝として君臨できる将来性と能力を併せ持った伊藤選手

 

特に代表的な選手を上げただけですが、もうこれで補強ループとはおさらばできると本気で思いました。なぜなら、もう補強できる箇所がほぼないのですから。これ以上なお結果が出なければ、さすがにコンセプトそのものか至るための手段がおかしいことにしないと、あり得ない状況になったと私自身は感じました。

 

ところが、そして今シーズンも半分経過し、即戦力になりうる実力者の加入も確定しつつあるので、再び補強ループで短期的に解決しながら、コンセプトについて振り返れないまま今シーズンが決着するだろうことが濃厚になってきました。

 

とはいえ、補強そのものは悪ではありませんし、悪だと断じたこともありません。  シーズンを過ごしていく中で、どうしても想定外の誤算は発生しますし、ピンポイントでこんな選手が居たら…というどうしても現有戦力だけで解決できない状況にぶち当たることもあり得ます。

 

根本的な問題は、

・補強するまでピッチ上の課題が解決されない能動性のなさ

・ピッチの大半の選手が入れ替わるレベルの補強が「スタイルの継続性」と対極にあり、なおかつそれが毎年継続的に発生していること

 

の2点だと私は考えます。

 

補強→いらっしゃった選手たちが即スタメンになり、連勝。
→対策され勝利が遠のく→3バックを試す→根本的に解決せず補強→以下始めに戻る

 

この繰り返しを私は前回の記事でガチャに例えさせていただきました。ニュアンスとして札束を闇雲に積んでいるわけではないものの、どこか場当たり的な根本的なコンセプトに合致しているかが懐疑的という状況を例示する単語としてしっくりきたためです。

これについて頂いたご指摘には、ガチャという言葉だと闇雲さが強調されてしまうので、応急処置とか、ツギハギとか、パッチ当てアップデートとかの言葉のほうが適切ではないかというものもあり、成程と自身の言葉の拙さを痛感いたしました。

一方で、「選手をおもちゃにしてバカにしているような書き方」とかいうご感想もあり、世界は広いと改めて感じました。
あの記事単体で「監督をバカにしている」とか「クラブをバカにしている」という「誰かをバカにして笑いものにするための記事」という感想に至るだけでもよくわからないのに、なぜよりにもよって選手が出てくるのでしょうか。                     継続性はあるのか、理想に合致した方法を採用できているのかという論旨の下、論旨から見ればせいぜい事例の末梢部であるような、「選手の補強ありきになってしまっている状況の比喩」として用いたひと単語を吊るし上げて、批判するためだけに名古屋の素晴らしい選手たちを利用しないでいただきたいものです。そんなグラファミとして目の揃わない中身のない批判をしても全く無益です。

 

話がそれましたが、継続性の話に戻ります。

他クラブさんだって真剣ですし、時の運だってありますから、毎試合完璧に勝つことはさすがに難しいとわかっています。当然勝った一週間は格別ですがね。

時には、

・相手が純粋に強く、上をいかれた。

・敗北こそしたが、核となる若手が次々出てきており、コンセプトや理想の浸透がわかる。できなかったことができるようになってきている。

 

要はここです。こういった「ある程度芳しくない結果が続いていても仕方ない」と納得できる要因が今あるのかというのが疑問なのです。これに関して「だから○○が悪い!」とかそんな目先の話ではなく、今我慢するとして、それは能動的かということです。

太田選手が、柿谷選手がいらっしゃってまた勝利できるようになったとして、それは数百年続く名古屋のスタイル構築に寄与するものなのでしょうか?

 

勿論、現状からその片鱗を感じ取るのもありです。

例えば、先日の湘南戦さんとの試合を例に「名古屋はあらゆるスタッツが高く、試合終了後の湘南の選手は間違いなく疲弊していた。あくまで湘南戦はゴールネットが揺れなかっただけで、能動的に相手を疲弊させている。今は途上だが、間違いなくコンセプトは目に見える形には表れている」というのも大切なご意見であり、妥当だと思います。

「相手が疲弊してから」と「相手を疲弊させてから」は天と地ほどの差がありますから、能動的に意図する展開を起こせたのなら、それはスタイルの構築に寄与しうるでしょう。

 

ポジティブな継続性があってほしいと願うのは当然です。ただ、私は残念ながら今は感じ取れません。あくまで私一人の話です。 

(選手が変わっても発生しているネガティブな継続性はあるので、選手の責任ではないことだけはわかりますね。ここ数年で集まってくださった選手全員が戦えない選手というのはいくらなんでもあり得ないでしょう。何らか戦えなくなってしまう根本的な原因があると考えるほうが自然です。)

 

 

2016年の忘れもしない小倉期のように、

・明らかにディフェンダーの頭数が少なすぎた。

・期待された助っ人が満足にプレーできなかった。

・チーム状況をごまかせる反則級の選手はいなかった。(シモヴィッチ選手は最高だったが)

・初めて指揮を執り、GMまで兼任する監督の仕事が多すぎた。

上記のように、新米監督が様々折衷するには、チーム状況に余裕がなさ過ぎた状況とは今は違います。

 

今は違うはずです。それなのに、コンセプトに適切なベクトルで向かえていないような気がしてなりません。そして、あっと言う間に3年が経とうとしています。

横浜さんがエリク・モンバエルツ監督の下、現在のサッカーの礎を固めるのにかかった期間が、経過しようとしています。

 

 

おそらく、目先の勝ちはそう遠くないうちに味わえるでしょう。が…

理想を追うか、結果を追うか、それとも楽しさを追うか

シーズンも半分が過ぎ、湘南さんとの試合が今年もやってきました。

ここ数年間、毎年名古屋の現実を照らしてくださる素敵なクラブさんです。

 

名古屋はここ一週間で、神戸さんに選手の質とコンセプトの差で敗れ、鹿屋体育大学さんの練度の高いサッカーに完敗するなど順風満帆とは言い難い状況でした。一方の湘南さんもリーグ戦5連敗に天皇杯での敗退が加わり、傍目からでは順調と呼ぶのは少々難しい状況です。お互いに結果が何より欲しい試合でした。

 

その結果、こうなりました。

 

3年前は勝てば残留できる場面で、完膚なきまでに敗れました。

2年前はシャビエル選手を故障で失いつつも、撃ち合って価値を証明しました。

1年前は審判とジョー選手と川崎さんに助けられながら、紙一重で生き残りました。

今年は攻めて攻めてやりたいことができているように見せかけて、結局勝つために必要なことは何一つできていませんでした。そして、要所は締められ順当に敗れました。

 

内容はどうあれ、このような結果になったことは事実です。丸山選手の怪我が不運であろうと、点になりそうなチャンスが何度あろうと、オフサイドでゴールネットを美しく揺らそうと、得点はゼロです。負けです。負けた時は価値を証明できない因縁の相手に0-2でホームで、特別理不尽な判定もなく敗北したのです。

 

とはいえ、もはや今シーズン中に風間氏に別れを告げることは、個人的にはあり得なくなりました。

 

今解任をしてしまうと、後任は未定です。

 

結果良い監督に巡り合い好転すれば何の問題もありませんが、もしうまくいかなければ、「あのまま風間氏を続けていれば良かった…」という一生解決しないifが発生してしまいます。希望に沿った大型補強・充実した環境・フロントと一体の3年政権の集大成を見届けなければ、あるはずだったとされる未来に苛まれ続けることでしょう。ここまで投資して、やっぱりよくなさそうだから頓挫なんてのはもはやあり得ません。もう戻れません。戻れないなりに最後まで今シーズンの結果と進捗を見て、3年という現代サッカーにおいて膨大な時間と、数十億の投資を経た結果を見届ける義務があります。

もし、見届けずに撤退すれば、今後何か名古屋グランパスが暗礁に乗り上げそうになるたび「風間さんが監督の時はフロントと選手とスタッフとファミリーが一体になれていたのに…」というあるかもしれなかった未来が語られるわけです。それが本当に今の積み上げの先に存在しうるものなのか、それを確かめられるのは今このシーズンしかありません。

 

ここから先、名古屋に残った分岐は以下の通りになると思います。

 

・大型補強をこの夏行うか?

(具体的には、3人以上の即戦力級選手の獲得 and それに伴う現有選手のレンタル放出など)

まずここで、YesかNoかが分岐します。

 

Yesであれば、ほぼ間違いなく残留争いの目は消えます。今までの傾向と、他クラブさんの状況を鑑みれば最低でも勝ち点15は積み上げられるでしょうから、勢いが長く続けばシーズン開始時に目標としていたACL圏への到達もあり得るでしょう。一方で、5年10年続くようなスタイルの継続性はいったん脇に置き、クラブとして結果を優先したというメッセージにもなります。即戦力選手が起用されるということは、若手が実力で割り込む壁がまた厚くなるということです。

使いたいと思わせるようなプレーができる機会そのものが減衰していくわけですから、これでスタイルを根付かせることを優先したと強弁するのは厳しいでしょう。

 

Noであれば、ここ2年を振り返る限り目標未達は濃厚になるでしょう。さすがに降格まではいかないと思いますが、残留争いの冷汗をかかずにシーズンを終了すると信じ切るのは少々楽観が過ぎるという感覚です。最悪冷汗で済まないかもしれません。すべては関わる方々のうち、まだ余地を残した方の成長次第です。

 

おそらく、移籍市場を見る限りでは、この回答は"Yes"になります。

今のところ、二人の日本代表経験者がいらっしゃる可能性が高いですね。太田選手も柿谷選手も間違いなく、実力が発揮できる「自分の土俵」に乗った時の強みは日本屈指の実力者です。

 

結果を求めるのなら無論Yesでよいのですが、ここで問題が発生します。

いざ大型補強で勝ち続け、ACL出場圏に到達してシーズンを終了したとして、結果以外に何が得られるのでしょうか。何もなかったスタート地点で、風間氏と邂逅した意味と目的は何だったのでしょうか。

 

勿論、結果は至上です。ピッチで表現されることがすべてです。

 

しかし、結果だけを求めて当初風間氏の監督就任を喜んだ方はほぼ皆無でした。

むしろ、目先の結果だけに拘るのが嫌で、風間氏とともに行く道を選び、氏の哲学に投資したのがスタートでした。氏に正直あまり期待をしていなかった私自身をよそに、氏が来ることを歓迎し、「数年かけて風間氏と名古屋のスタイルを作るんだ!!」と息巻いていた方々のポジティブさが眩しく思い出されます。

何かを述べようにも、当時は「火中の栗を拾ってくれた」という事実があまりにも強固でした。今でも当時の監督就任に感謝はあります。

 

J2で苦しんだ時も、J2では反則級の戦力ながら自動昇格を決められなかった時も、J1のほぼ半分を敗北で埋め尽くした時も、いつも

 

「監督ガチャに未来はない!」

「目先の結果を求めた結果2016年にどうなった?」

「今諦めるのは簡単だが、そんな覚悟で名古屋のスタイルは根付かない。」

「諦める奴は本当のサポーターじゃない」

「負けた時だけ批判に出しゃばってきて厭らしい」

 

というありがたい言葉を胸に、補強なしでピッチ上でスタイルの表現ができない・進歩できないチームを観てきました。名古屋のために尽くしてくれた選手を競争という名目のもと、一人また一人市場価値を上げられないまま事実上放出のレンタル・完全移籍を続けてきました (ごく一部の十代の有望株は例外) 。名古屋で成長できると考え、悩みながら決断してくださった選手たちが、移籍当初輝きを放ち、やがて失い、失うとともに一部ファミリーの興味は別の選手へ移り、やがて短期間で事実上カテゴリーを下げる移籍を決断してしまうというケースが何度も起こりました。決して一人二人のプロ意識に欠けた選手だけの話ではありません。そもそもそんな選手はいらっしゃらないと思いますし。

 

個々がもっと規律に守られれば、やりたいことと一切矛盾しない組織の整備があれば、個々の技術をもっと細分化した詳細への拘りと挑戦があれば、もっとプレーや表情も輝きを放てるはずの選手・監督・スタッフ・サポーターの方々を見続けてきました。

 

良いところなく負けるたび、関わる全ての方々の頑張りや熱意が虚空に溶けるのを見て、揺るがない土台を作るという偉大な目的の前に虚しさを沈めてきました。

 

確かに、コンセプトなき安易なガチャは全く持って無意味です。

目先の結果を求めて目に見える部分だけを替えても、作ろうとしたコンセプトが台無しになるだけです。

 

では、そんな崇高な目的を胸に過ごした今の実態はどうでしょうか。

 

きわめて屈辱的な現状ですが、ぐうの音も出ないくらい見事に選手ガチャをしていると思います。

 

実態は今まさに選手ガチャ3年連続でしてますよね。監督ガチャ・フロントガチャはしていませんが、ガチャをしていないかと問われれば明確に回答は"No"でしょう。これで本当に揺るがない土台はできているのですか?

中盤の心臓部に将来を担う司令塔は君臨しましたか?

今のスタイルに不可欠な単独で相手を止められて足元にも長けたCBは育ちましたか?(そもそも希少すぎて市場に流れないので、指導・育成に定評があるのなら育てたほうが楽なはず。一人育てば実績やノウハウも蓄積するうえ、突発的な海外移籍にも将来的に対応できるので、継続性あるスタイルを実現するなら最優先するべき事項の一つ)

 

言いたくないですし、認めたくもないですが、選手を入れ替え、来てくださる能力の高い選手に各ポジションをアップグレードしているのは事実です。補強自体は悪でも何でもないですが、困ったときの解決手段が補強しかないのは健全には程遠いでしょう。

新加入選手が名古屋を選んで来てくださること自体は嬉しいですが、それ以上に

 

「練習で身につく技術<移籍してきた選手の技術」

 

という現実がコンセプト確立の妥当性を疑わしくさせます。他クラブさんの数倍時間がかかるわりにリターンの低い結果しか導かないコンセプトなんて無意味ですからね。

コンセプトはあるでしょうが、それは理想に即しており、現実的なピッチで表現しうる手段として妥当なものでしょうか。コンセプトは、あれば崇高で素晴らしいというものでもないでしょう。

野球で「俺の言うとおりにすれば必ず勝てる!! 全部相手に打たれないストライクを投げろ!!」と言っても仕方がないでしょう。それができたら苦労しないですし、それができないからこそ様々な形で勝利に近づくのが面白いわけです。

 

少々話がそれましたが、上位互換にどんどんスタメンが入れ替わるというのは、なんとなくピッチの上以外でも思い当たるものはあるのではないでしょうか?

 

これは既視感のあるシステムです。ソーシャルゲームを思い起こします。

往々にして、愛着を持って育て続けてきた「好きなキャラ」より、課金ガチャで当たる「強いキャラ」のほうが使い勝手がよく、無慈悲なほど強いです。そして好きなキャラはいずれ倉庫番となるか、限られた起用しかしなくなります。(そもそも見る機会も減ってだんだん好きでもなくなる)

そして、(見た)目が揃うと言わんばかりに星が揃っていきます。最高レア度のキャラを並べるがごとく、課金ガチャでチームに入った即戦力を並べ、難しいクエストの攻略に今日も向かいます。愛着を持ったキャラはほとんど倉庫に去り、上位互換が今まで出てこなかったキャラだけがチームに残り続けています。

当然、星が増えて能力が上がる課金アイテムはこの世にありません。現実は非常です。

 

現に誰も、怪我した青木選手の話をしなくなってしまいました。名古屋の至宝も、日本の中盤を背負うのが義務とまで評された超逸材も、不慣れなポジションに押し込められ、愛の無知を受けながら殻を破れずにいます。

 

 それでも、ここまで投資をしてしまった以上、損切りして撤退する局面ももう過ぎてしまいました。撤退すれば、あるかもしれなかった美しい将来を10年は語れますからね。そんな美しかった過去にして語るために今があるわけがありません。

 あるかもしれなかった過去を語る将来よりは、目に見えて選手が、監督が、スタッフが、様々な熱さで関わるファンが、目を輝かせて明るい表情で意気揚々といられる将来のほうが良いですね。

それが現状を続けた先に実現しそうな未来だとは、残念ながら最初から今までなお思えません。

 

                                  了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、2年半の時を経て、氏が来ることを歓迎していた方々は即戦力の補強を歓迎しているように見受けられる一方、氏に対して好意的な評価をしていなかった私のようなマイノリティが目先の結果を重視した補強に賛成しないようになっているとは、何とも将来はわからないものですね。

特に今日に関しては内容はよかった、やりたいことは表現できていた、で納得を得られるゲームと相手ではないですが、果たしてどのような展開になるのでしょうか。

ネット選手とシミッチ選手のファンタジーでドリームが見られてロマンあふれるファンタスティックなゲームだったから点は入らなかったけど次は勝てる、とかいうふわふわした楽しそうな感想があふれるのでしょうかね。

ただ、素人ならば別にそれでよいんですよね。やりたいことしかやらなくてもよいのが素人ですから。だからそこにお金は発生しません。やりたくなかろうが、苦しかろうが、目的のために淡々と必要なことを分析し、実行できるのがプロだと思いますし、極度の負けず嫌いというのは往々にして敗北原因と徹底的に向き合い、一つ一つ負ける原因を叩き潰していくものですから。自分を変えない人というのは往々にしてファッション負けず嫌いです。

なぜなら、

負けることの恐怖<自分が変わる恐怖(自分が変わったことで今あるものを失う恐怖・周りから何か言われる恐怖)           

だからですね。

 

あるいは、勝てないのは選手が不甲斐ないせいだ、という帰結になるのでしょうか。 もし本当にそうなったらもう笑うしかないですね。かつて一人のサポーターとして声を涸らしたクラブはもうないのだと。

このままだと、太田選手や柿谷選手といった、日本代表経験のある実力者がいくらいらっしゃっても、 結果から逆算して不甲斐ないことにされるだけだと思いますよ?特にお二方ともチームのために堅実で愚直に汗をかける、というイメージには乏しい選手たちですから、何となく楽しくなくなった時、イメージで槍玉にあげられてもおかしくない気はします。