炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

孤独よりも恐ろしいもの

こんにちは。火力不足です。

 

未婚化に伴い、独身での人生の歩み方がどんどんと整備されています。単純に自由に使える金銭が多いため、消費者として注目されつつあるように思いますね。今後ますます多くの商品やサービスが独身者に迎合していくのではないでしょうか。

 

そんな独身者の弱点として孤独であること、ならびに将来が孤独死しかねないことが挙げられています。確かに工夫しなければ孤独になるのは避けられないでしょう。

 

ただし、孤独そのものが恐ろしいのかどうかを考慮すると、それは違うのではないかなと感じます。本日は孤独の恐ろしさについて考えることを目的とします。

 

 

目次

・恐ろしいのは選択肢がないこと

・人がいるにも関わらず孤独

・まとめ

 

・恐ろしいのは選択肢がないこと

確かに孤独は時と場合によっては恐ろしいものになりえます。人によっては自殺用のロープになるほどの脅威を時に持つのが孤独の力ですね。その一方で、自分自身と深く向き合い内省し精進することができるのも孤独の力です。孤独をどうとらえるかは個人の考え方とその時の状況に応じて異なると思います。

ただ、確かなのは孤独が万人にとって忌避すべき危険物ではないということです。恐ろしいのは、むしろ孤独そのものより、孤独しか選ぶことのできない状況でしょう。逆に言えば、常に周りに人間がいるような状況であったとしても、それしか選ぶことができないのであれば自分自身を内省するのは少し難しかったり、突発的に起こった孤独な時間に対して脆弱になってしまう可能性もあります。自分から能動的に孤独を選ぶこともできるという状態が個人的には一番望ましいと思います。一人になりたいという時間や、誰にも話せないことに自分で向き合う時間が必要な場面は必ずあります。

したがって、孤独ではないことを手放しで喜べるわけではないと思います。孤独になれないこともそれなりには不幸であるように思えますね。バランスが最も重要と言えそうです。

 

・人がいるにもかかわらず孤独

そもそも孤独というのはどういう境遇を表すのでしょうか。物理的に一人でいることが孤独なのでしょうか。周りに人がいれば、配偶者がいれば孤独ではないのでしょうか。もしそうなら孤独死などあり得ませんが、現実は皆婚時代に結婚した熟年層が熟年離婚を起こし、孤独死の危機に陥っています。つまり、人がいること、配偶者がいるだけでは必ずしも孤独にならないわけではないことを意味しているといえるでしょう。孤独を自分のクリティカルな部分(妥協できない部分)を理解しようと努力してくれる人間がいないことだと仮定するならば、配偶者や他者がいるのに理解されないという状態の方がより孤独感を感じるのではないでしょうか。むしろ、最初から一人ならば諦めや割り切りもできますし、いい意味で期待もありません。いないものに期待のしようがありませんからね。

そう考えると、繋がっていると思っていたロープが繋がっていなかったという孤独状態の方が恐ろしく感じます。絶望感もひとしおではないでしょうか。

 

・まとめ

人生のうちで孤独でない時間を歩み続けられる人間の方がまぎれもなく少数派でしょうから、孤独を恐怖として認識するよりは、自分自身と向き合う時間として昇華した方が建設的なように思います。同時に選択肢としての孤独は大切にするべきでしょう。勿論、同程度に他者と触れ合い、理解しあう時間を設けて初めて孤独を選択肢にできますし、時に自分の傷を一人静かに癒すこともできます。しかしながら、わかってほしい人間に理解されず棄てられる真の孤独は本当に恐ろしいです。結婚した結果かえって孤独になるという恐怖が知れ渡ったのも未婚率の増加には大きいのではないでしょうか。