炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

介護から生まれるネガティブの押し付け合い

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こんにちは。火力不足です。

 

最近、介護現場での事故、事件が連日報道されております。数年前には施設で大量殺人を起こした方もいましたね。

ただ、こうした事件がなくなることは残念ながら金輪際ないでしょう。むしろ、増加の一途をたどる中で妥協案を見つけるのが現実的な策になるでしょうね。理想論で殺人はダメとか、環境がよくないとか言っても、悪化することはあっても決して改善はしません。

この記事の例も、拘束をしておかないと介護者側が精神的に持たなかったのでしょう。例えば、徘徊がひどすぎるとか、暴力が止められないとかそういう深刻な理由が被介護者にあったうえでの決断だと思います。そこを無視して、正論を述べても何も解決しません。

 

本日は、高齢介護で今後起こりうる事象について考えることを目的とします。

 

 

目次

・やりがいでは片付かない

・絶対的な金銭の不足

・まとめ

 

・やりがいでは片付かない

既に介護については問題が表面化しているように思いますが、まだ「やりがい」と「待遇の悪さ」でぎりぎり片づけられています。ただ、非常に懐疑的なのが、やりがいを抱けるほど待遇が良くなったところで介護に携わる人間は劇的に増加するのでしょうか?

やりがいがあれば、認知症が入って話の通じない人間を相手にできるのでしょうか?時に暴力を振るい、見張らないと勝手に徘徊する人間を相手にできるのでしょうか?肉体年齢を医療によって延長することはできるようになったものの、脳の退化を食い止める手段は現状ありません。真面目な人間が真剣にやりがいを持って相手をしようとすればするほど、自分の無力さと相手から振りまかれる負の感情でおかしくなると思います。

ただ、絶望的なのが、介護士と言われるようなプロに委託したとしてもこうなる可能性が一定以上の確率で存在するということです。ある程度のお金があって幸運にもプロに委託できたとしても、相手にしなければならない高齢者が絶対的に増加するので、何の解決にもならない「理想の正論」が介護業界を追い詰め、環境を悪化させる可能性は十分あります。国が多少補助金を出したとしても、価値観自体を変えない限り地獄は続くでしょうね。

お金があっても解決が難しいにもかかわらず、お金がないともっと絶望的なことになります。

 

・絶対的な金銭の不足

介護を委託するにも金銭が必要ですが、その金銭を入手する方法が限られます。高齢者向けの単純な仕事は今後どんどんAIや機械、あるいは外国人労働者に奪われますし、働く意図があったとしても難しくなるでしょう。65歳を過ぎて馬車馬のような使い捨ての働き方ができるとも思えませんし、本人も望まないでしょう。もしかしたら70歳になるかもしれませんし、そうなれば一定数の男性は既に労働どころではない状態にあるでしょうね。

また、唯一頼みの綱として喧伝され続けてきた年金も、全額まともに払ったところで十分な補償が受けられると考えるのは楽観的過ぎるでしょう。払っているのに払っていないことにされたり、既に死去したことにされかねないという不安もそうですし、受給年齢の引き上げと受給金額の引き下げは今後も行われるでしょう。実際、70歳以降にしてしまったら男性が納付するモチベーションは間違いなく下がると思います。3人に1人は1銭ももらうことなく旅立ってしまうわけですからね。制度としてはちょっと厳しいものがあるでしょう。町で「君が70歳になったら、月○○万円ずつもらえる(一方的に不利な条件に変更されるかもしれない) から、若いうちに月○○万円ずつ払わない?」と言われたら、大抵の人は首を横に振るでしょう。

ソーシャルゲームのガチャ程ではないにしろ、制度としてはあまりにリターンが期待できない金食い虫になるでしょう。だからこそ若者が見切りを付けているのでしょうね。

そして、十分な収入も貯金もなく、介護の放棄もできなくなるともう在宅介護しかありません。しかし、貧しい生活に加えてストレスが膨大にかかる介護を続けようものなら、介護者が先におかしくなります。おかしくなった結果として、被介護者を傷つけたり、膨大な負担から逃れるために殺してしまうわけです。殺人とはいえ、道義的にブレーキをかける認知機能は日々の生活でどんどん摩耗するでしょう。何の生産性もなく拘束されるがままに人生を吸い上げられる感覚に耐えられる人間はまずいません。それでも耐えるか殺してでも解放されるかを選ばざるを得ない人間が今後どんどん増えてしまうのです。そのうち、ブラック介護という言葉が出そうです。

 

・まとめ

生きている人間の人権と、理性を失った人間の人権のどちらを重視するかという問題に今後まもなく日本はぶち当たるでしょう。「介護を受ける権利」と「介護を辞める権利」の折衷を行わないと、どんどん負の感情を生きている人間に溜めるだけになってしまいます。個人的には、安楽死を導入して、介護を辞める権利を早急に認めるべきだと思いますね。なぜなら、どれだけ人権を訴える人間が抗議しても見ず知らずの老人の為にお金は出ませんし、腑の感情の蓄積は止まらないからです。要は理想論をわめいているだけで解決どころか悪化につながるからです。

一部の人権派(笑)にとっては極めて不謹慎ですが、捨てたり安楽死を認めるようなやり方を認めざるを得ない段階が近づいていると思います。まして、馬車馬労働で脳を摩耗した層が今後は被介護対象になるので、介護者への悪口や暴力というのが間違いなく今以上に起こるのです。

悪気のない悪意を、誰が進んで昇華するのでしょうね。