炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

時間と時間当たりの質は反比例するという話

こんにちは。火力不足です。

 

労働時間は8時間でも長すぎるという声が上がっております。世の中が便利になり、徐々に労働時間を減らしていくどころか、空いた時間に重い仕事を詰めるようになっている以上、昔と比較して仕事の密度は上がっているでしょう。しかしながら、可処分所得はどんどん下がり、なんとも世知辛い世の中です。カネだけでは幸せになれませんが、少なくとも不幸を避けたりストレスを遠ざけることはできます。ここまでカネが手に入らなくなったのも平等を進めた弊害ですね。

 

こんな労働環境では、忙しさ自慢や、労働時間自慢もしたくなる世情ではありますが、正直なところ8時間本気で働いている人間はほとんどいないと断言できます。

 

本日は、8時間本気で働いている人間がほとんどいない理由を記述することを目的とします。

 

 

目次

・構造上ほぼ無理

・そこまでするメリットが皆無

・まとめ

 

・構造上ほぼ無理

人間の構造上、本気で集中しても8時間は持ちません。物理的にエネルギーが不足するか、集中力が必ず切れるかのどちらかです。一日だけ万が一できたとしても、何日も続くことははっきり言ってあり得ません。なぜなら、極限の集中状態は短距離走を走るようなものであり、限られた時間だからこそ出せるパフォーマンスになるからです。

100mを10秒で走れる山縣選手や桐生選手に、1500mを150秒で走ってくださいなんて言えるわけありませんし、できるわけがありません。ところが、仕事になると途端に似たようなことを要求されるのは不思議を通り越して訳が分かりません。

限られた時間を調節し、本当に必要な場面で適切に100%の力を発揮するのは紛れなくプロの仕事だと思うのですが、どうにも評価されているところをあまり「社会」では見かけません。

ちなみにごくまれに集中を持続させられる人間もいますが、その才能の分どこかにひずみが必ずあります。天才と言われた歴史上の人物が軒並み人としてお近づきになりたくない人種というのと同様、人間のリソースは有限なのです。身体が壊れそうな場合は無意識でブレーキがかかるのが生存上の機能ですが、そのブレーキに逆らえるという才能であると同時にブレーキが肝心な時に利かない咎も持っているわけです。

 

・そこまでするメリットが皆無

一般人はただでさえ集中を長時間持たせることはまずできません。加えて、する必要がある場面が訪れません。仕事の上では、100%をいったん出してしまうと、それが基準に成りかねません。100%を評価基準にされたら必ず壊れますし、100%を出した結果年収が3倍になるわけでもありません。自分は摩耗し、他者の評価基準は厳しくなり、別に収入も変わらない状態で、誰が好んで100%を出すのでしょうか。もっと言えば、100%を出していると突発的な事態に対応する余裕を失うので、むしろ失敗のリスクを向上させることにもなりえます。年収2000万円クラスの本気で集中することを社会的に要求される人間ならともかく、一般人は本気になる理由が全くありません。まぁ好きなことならいくらでも本気になっていいんですがね。

これだけマイナスの条件がそろってなお100%全力で労働に挑める人間がいたら素直に尊敬します。もはや才能だと思いますね。

 

・まとめ

極限の集中はもって数時間です。それ以上は身体が悲鳴を上げるでしょう。もし8時間あることに集中して疲労が少ないのなら、それは単純作業にすでに体が順応したのか、上手にサボっていたかのどちらかでしょう。疲労度は単に時間の長さで決まるものではなく、時間と行動の質(強度)で決まるものだと思います。一概に時間の長さだけ比べても、中身の強度がわからない以上、評価のしようがないでしょう。

ただ、強度まで含めて評価されることはほとんどありません。よって、余力を残しながら上手に時間を使って「長く一生懸命やっている」ように見せるのが最適解なのでしょうね。

だからこそ、他者に忙しいアピールや一生懸命アピールをする余裕が残っているのでしょう。別にそれが悪いこととは思いませんがね。