炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

人災で「日本らしく」玉砕した日本代表

日本代表は、 ベルギー代表に2-3で敗れ、ワールドカップが終わりました。

 

 

記録としては今までのタイ記録であるベスト16と、アジアとして南米勢に初勝利という歴史の扉を開いた大会として終えました。 

結果だけで言えば、戦前に予想されたものよりもはるかに良く、選手たちの頑張りによって望外の成績を得られたといえるでしょう。初戦から豪運にも恵まれ、相手の自滅も手伝い、個人的には完全に予想外な展開でした。普段からサッカーを見ている方ほど予想できなかったのではないでしょうか。

 

ただし、今回の結果によって、日本という国がステップアップしたということは決してあり得ません。残念ながら経験値として持ち帰るはずだったものは、サッカー協会の手によってゴミ箱へ棄てられました。この4年間、アギーレ監督をはじめに招聘して積み上げようとしてきた所謂「弱者のサッカー」は成功したのかどうかすらわかりません。今大会の結果としては現れましたし、おそらく個人的には日本に向いているようにも感じたのですが、検証のしようがありません。

もしハリルホジッチ監督だったら…という仮定も、もはや無意味です。初戦の退場者が出て先制する展開が同じ形で出ることは100回繰り返してもまずありません。そしてそのイレギュラーが今回の決勝トーナメント進出に最も強く作用している以上、再現性は皆無です。今回のイレギュラーが日本選手のパフォーマンスによるものなのか、コロンビア選手のパフォーマンスによるものなのか、それは油断からくるものなのか、その油断は日本そのものへの油断か、監督交代をしたバタバタによる油断か、真相はわかりません。全く同じ形でベルギー戦に臨めたとしたら、最後の玉砕はしなかっただろうくらいしか予想できませんね。

 

しいて言えば、守備的に戦えばうまくいくケースのほうが多そう、くらいの素人の感想くらいは言えそうです。若手に経験を積ませたわけでもなく、結果だけを求めた結果、本当に結果しか得られなかった大会となりました。

 

加えて、その結果も予想外に良かったとはいえ、あらゆる豪運を引いてきた末路としては物足りません。これほどツキに恵まれ、決勝トーナメントに進出できる大会は今後しばらくはないでしょう。チャンスとしては最高クラスの大会でした。

 

しかしながら、そのチャンスを万全に生かす準備はむなしくも積み上げてきませんでした。振り返れば3大会前のオーストラリア戦の逆転負けから、ザッケローニ期のコンフェデ杯イタリア戦、前回大会のコートジボワール戦、そしてほんの数日前のコロンビア戦まで、日本代表は少なく見積もっても12年前から、公式戦の真剣勝負で勝っているときの試合運び、試合の締め方に課題を残しています。

具体的には、攻めて突き放したい攻撃陣と、守って逃げ切りたい守備陣の意思の統一がされません。それにより中盤に謎のスペースができます。同時に、横パスで時間をつぶす所謂「自分たちのサッカー」がいきなり影を潜め、妙に好戦的な攻撃ともらったほうが困るバックパスと帳尻を合わせるための不要なファールが繰り返され、致命的なミスが起こり、同点にされます。そして、追い付かれた焦りから余裕を失い、リスク度外視の玉砕攻撃に転じ、時に本当に玉砕します。

 

結局振り返れば、ベルギー戦の最後の予兆はコロンビア戦にありました。相手が一人少ないからこそ追い付かれただけで済んだのであって、失点の仕方は過去の歴史に見事に合致します。賭博師西野監督の大博打は、終わってみれば2度当たり、2度外れです。最後には賭博で隠し切れなかった準備不足がすべて溢れ出たように思います。

 

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きわめて残酷ではありますが、上動画の1:23~(3失点目)は、直してこなかった日本らしさの集合体であったように思います。

 

・ケイスケホンダのコーナーキックは相手GKがキャッチ。

1. 時間帯を考えると、延長戦も選択肢になる時間帯です。ただし、コンディションの都合や23人を走り切れる選手で揃えなかった指揮官の判断ミス、ジョーカー枠の不在から、泥試合に持ち込みPK戦まで引っ張るといった選択肢は欠落していました。とはいえ、もとから90分で走り勝つには久保選手、浅野選手、中島選手といった適した人材が不足していました。どっちに転んでも用兵のミスです。

また、ポーランド戦で柴崎選手を休ませることができず、もっとも重要な試合でフル稼働させられませんでした。そのポーランド戦も、結局は「日本らしい」試合運びから不用意に失点し、不要な博打に頼っています。

 

2. それゆえ、攻めるしかありませんでした。攻めるか守るかを勝率を考えて能動的に選んだわけではなく、攻めるしか選択肢がありませんでした。少なくともケイスケホンダは決めるつもりであのボールを入れたと思います。ただ、チーム全体で意思統一はされていたのでしょうか?そのわりにはボックス内に4人しかおらず、何が何でもここで叩き込む感はありません。ベルギーのほうが屈強な大男が多い以上、高さ勝負にすべてをかけるのは賭けとしてもちょっと無謀な気がします。正直わかりません。あのピッチの緊張感がそうさせたんですかね。

 

3. クルトワ選手のスローイングを誰も妨害していません(できなかった)。細部の執念、負けないための準備を怠った結果とも、フェアプレーに徹しすぎた結果ともいえるでしょう。失点につながる可能性のある箇所を詰め切れなかった報いでしょう。

 

スローイングはデブライネ選手の足元へ。

実はこの時点で詰んでいます。ベルギーの選手が5人に対し、日本の選手は3人しかいないのです。山口選手の対応について世間では騒がれていますが、根本的に山口選手とデブライネ選手がタイマンで対峙する時点でベルギーの思惑通りに事は運んでいます。正直あの状況で山口選手にできることはなかったと思います。突っ込んで「僕頑張りました!!」というアリバイタックルを見せれば批判は避けられたかもしれません(笑)どっちにしてもデブライネ選手を止められるタイミングは皆無でした。

数的不利の時点で、相手のミスを祈ることしかできなくなっていましたね。なぜそうなっていたのかは、「賭けに負けた」の一言に尽きると思います。

 

・パスは右に展開され、残りの守備陣は不利な対応を強いられる。

あの状況で2人で守るのは無理です。どういう選択をとっても、逆を突かれるのみです。GKとしても、ケアしなければならないことが多く、致命的な選択肢を切るのが精一杯です。ただ、こうした形で守備陣2人とGKが理不尽な形にさらされるのはザッケローニ監督期に散々ありました。いまだに克服されていない「日本らしさ」の一つですね。吉田選手や川島選手が理不尽に批判されることが多いのは、許容量を超える無理なタスクを尻ぬぐいさせられることが多いからです。会社員の皆様も自分のキャパシティを大幅に上回る仕事を吹っ掛けられたら信じられないミスの一つや二つはするのではないでしょうか。

 

こうした形でそもそも人材不足、指揮官が準備不足、極限状況で個人の頑張りのみで解決と日本らしいミスが積み重なれば、失点は必然であり歴史を繰り返したにすぎません。

 

 

私は、ワールドカップ前、「日本らしさ」は虚構であり、惨敗することになると予想しました。しかし、その予想は結果的に大きく外れました。

 

 

というのも、ハリルホジッチ監督の指示を半ば無視したウクライナ戦後の解任で、中心選手たちは、監督を追放してまででも「自分たちのサッカー」と心中して、自分たちの卒業公演を飾りたいのだろうとばかり思っていました。

※ここでの「自分たちのサッカー」は、自分たちがショートパスでボールを能動的に動かし、相手を疲弊させるサッカー。ケイスケホンダが2013年11月に監督とミーティングした際に理想として述べたことが『通訳日記』に記載されています。

 

つまり、当時の「自分たちのサッカー」は監督を追放してまでも彼らにとって追求する価値があり、敗北したとしても悔いのない、美しいものとして共通認識されていると思っていました。それだけの価値があると選手たちが考えていたのであれば、監督と根本の思想が合わないわけですから、解任は妥当だったわけです。

 

ところが、本大会で披露されたのは劣化ハリル式ともいえそうな、ロングボール主体で相手の守備陣形が整う前に仕留めるサッカーでした。ハリルホジッチ監督を追放してまでやるサッカーどころか、追放しないほうがむしろ完成度が高かったのでは?と言いたくなるようなサッカーでした。加えて、コロンビア戦のリードした時間帯、ポーランド戦の無失点の時間帯、そしてベルギー戦のリードした時間帯など、彼らがあれほど固執したはずのかつての「自分たちのサッカー」を披露できる機会はいくらでもありました。しかし、そんな時間は最後まで訪れることはありませんでした。

 

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そして、あれほど信奉してきたパスサッカーはどこへやら、「自分たちのサッカー」の中身さえいつの間にかケイスケホンダの中で変わっていました。ケイスケホンダの中で変化したということは、当然日本代表全体での変化を意味します。「ごもっともだが」と監督の指示を懐柔できるキャプテンはいても、選手主導の内紛を統率できるキャプテンはこの8年間ずっといませんでした。

ここが、最大の誤算です。想像以上に「自分たちのサッカー」への拘泥が弱かったこと、想像以上に監督への私怨が蓄積していただろうことが状況証拠として残っていることははっきり言って衝撃でした。確かにハリルホジッチ監督はやさしく教え諭す指導者ではなかったとは思いますが、指図されたくないという理由で私怨で監督を追放するまでに至るとは(2大会連続で監督と対立し、キャプテンが統率できず、一体感のないまま本大会に臨むこと)さすがに想像していませんでした。

平たく言えば、「高度な要求をされ、自分たちができないことを口うるさく偉そうに言う外国人が気に食わなかった」といえるだけの茶番を、誰も止められないままこの8年を浪費したということは、あまりに滑稽かつ残酷です。

 

そもそも目指してきたはずの「自分たちのサッカー」は、いつの間にか中身が反転し、どう目指してきて、どこまで達成したのかも曖昧です。言葉が同じまま、ゴールだけが流転して何のためにブラジルW杯で惨敗したのかもはやわかりません。

結局、「自分たちのサッカー」と言いつつも、内面に自信はなく、今度こそ結果が出なかったときの批判を怖がっていたのでしょう。結果のためならパスサッカーは簡単に捨てられるほど軽薄なものであり、捨てた結果豪運と博打で結果だけは得ました。

 

・ベスト8, ベスト4へ行く大チャンス(50年に一度の豪運)

・4年間の連綿とした積み上げ

・追求してきたはずの日本らしいパスサッカー

・我慢して学んできたはずの相手を見て弱点を突くサッカー

・日本という国の今後の方針

・若手の育成、本大会の稀有な経験

・4年に一度の進捗振り返り、反省

 

これらをすべてかなぐり捨てて、得た結果がベスト16と考えると、何とも無謀な賭けでした。準備期間が不足していた以上、挑戦が無謀となるのは必然でした。

 

その結果、結果以外のすべてを失いました。

探し求めてきた「日本らしさ」は、リスクを顧みない玉砕精神にあったというあまりにも空虚な経験値が残るのみです。そういう意味では、今大会実に日本らしいサッカーだったといえそうです。

 

何も残らないように拍車をかけるように、次への期待に必死に話題をそらす報道が出ていますね。ハリルホジッチ監督より体脂肪管理や選手個々人の管理に容赦のないクリンスマン監督を招聘してどうするつもりなのでしょう?

 

オールジャパンを貫く胆力も、「自分たちのサッカー」を貫き通す自信もなかったのでしょう。それが、今回の結果で正当化され、美しい歴史として語り継がれてしまいます。すでに歴史は修正されつつあります。本大会で結局11人の相手に一度も勝っていなくても、結果は結果です。

 

ただ、いざとなったら簡単に捨てられる自分たちのパスサッカーになぜあれほど拘泥したのかという問いの答えは、どうやら得られそうにないのが残念です。

 

 

 

 

 

 

 

 

おそらく、"ブームだった"の一言が案外日本人らしい答えなのかもしれません。