炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

凶悪な差別意識に基づいた女性差別の極み

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こんにちは。火力不足です。

 

ノーベル賞と女性の数に関する記事ですが、本気で男性越権主義の結果と考えている方がいらっしゃるのなら病院に行った方がよいでしょうね。この記事を載せた新聞としての資質を疑いますが、まぁそこは朝日新聞なので大きな驚きはありません。

正直、こうした過剰な男女平等を進めることを当然と考えるような人種とお近づきになりたい人は少ないでしょうし、おかしいという感覚を抱くのが一般人だと思います。

 

こんな記事を批判しても仕方がないので、今日は実際こうした措置を行うとどうなりそうかを考えることを目的とします。

 

 

目次

・賞の格が下がる

・優秀な女性の研究がかえって妨げられる

・まとめ

 

・賞の格が下がる

そもそも、学問上多くの人間に寄与するような重要な発見を成したり、多くの人間の知見を深めるような意義のある研究を報告することで他の研究者から推薦されるわけです。そこに性別は一切関係ありません。職業柄論文はある程度読みますし、読む人間も知人に複数いますが、「著作者の性別によって読み方を変える」アホはいません。というより著作者が女性かどうかなどほとんどの研究では心底どうでもいいです。なぜなら、影響がないからです。それよりも、著作者の所属する研究機関や論文を投稿した雑誌、論文についたインパクトファクター[1]などの情報の方が何倍も有益ですし、研究の価値をある程度客観的に証明します。

つまり、研究の貢献度や質を証明するうえで全く当てにならない性別を基準に推薦すると、それは恣意や差別以外の何物でもありません。カネで金賞が得られるモン○セレクションなら笑い話で済みますが、世界的に影響のあるノーベル賞で行えばあっという間に権威は失墜するでしょうね。女性を侮蔑するやり方にはなりますが、「女性ノーベル賞」「キュリー夫人賞」などを創設した方がまだ建設的だと思います。そんなことをしないといけないほど女性が無能だとは全く思えませんがね。

ノーベル賞がもし骨抜きになれば、優秀な男性研究者がさっさと別の賞を新設して、数年後にはそちらが最高峰の研究を決める式典になっているでしょう。それくらい性別で推薦するのは無意味かつ愚かかつすべての研究者をコケにした行為です。

 

・優秀な女性の研究がかえって妨げられる

仮に、ノーベル賞への女性研究者の推薦を増やしたと仮定します。すべての研究者を性別に関係なく尊重する研究者ばかりなら何も問題ないのですが、ノーベル賞の威光欲しさに女性を利用しようとする悪い人間も必ず現れます。日本だと小保方のSTAP細胞の件を思い浮かべるとわかりやすいと思います。さすがに小保方クラスにひどい研究者はそうそう出てこないとは思いますが、女性研究者というだけで、研究の質が不十分なのに神輿に担ぎ上げられてしまう事例が起こってもおかしくはないでしょう。否、確実に起こると思います。あるいは、研究内容を押し付けられてしまい、自分の研究を妨げられてしまう可能性もあります。それが本人にとって幸運なこととは私には思えません。

またあるいは、ノーベル賞に値する素晴らしい研究を成し遂げた女性が、今回のような「優遇措置」のせいでかえって正当に評価されなくなってしまう危険性もあります。邪推の余地を与えてしまうことで、優秀な女性が正当に評価されない土壌ができてしまえば、若い優秀な女性は別の分野を選んでしまうのではないでしょうか。

加えて、男性研究者は相対的に評価されにくくなるわけですから、優秀な男性も研究から遠ざかってもおかしくありません。性別に関係なく、優秀な人材が研究者から遠ざかることは、世界から学問上の発見が減少することを意味します。それは研究という分野自体の衰退につながるでしょう。

 

・まとめ

本当にまともな人は誰も得しないと思いますね。喜ぶのはごく一部の一部の平等狂いと無類の女好き研究者だけでしょう。そもそも生得的に物理や医学など好む女性が少ない分野もありますから、構造上男性が多くなりがちなのは仕方のないことでしょう。

今更優遇措置を採用したとしても日本の男損女肥に散々慣れた私としては別に驚きはありませんが、優秀な女性にとっては厳しい時代になるでしょうね。

というよりそもそも、「推薦を増やさないと女性がノーベル賞を十分に取れない」という考え方自体が女性に対する強烈な差別のような気がします。そんなはずないでしょう。

 

[1] ある雑誌の論文数と、その論文の掲載されている雑誌全体の被引用数から算出される指標のこと。異なる雑誌の重要度を比較するのに有効である。