炭火のような生き方

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二倍で評価されることの魅力

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こんにちは。火力不足です。

 

欧州サッカーは移籍の時期で、選手が続々と新天地への移籍を起こしたり、周囲も騒がしくなっています。

 

その中で、どうしても切っても切り離せない永遠の問題が、情とステップアップとカネの3項関係です。特に、カネについてはあまり良い評価はされません。例えば、中国サッカーへの移籍は終わった選手がするものなどと揶揄されており、こうしたことを公言する現役選手もいます。こうしたケースはサッカーにとどまらず、労働環境においてもより良い待遇を求めた転職というのは近年活性化しています。

 

しかしながら、カネをとることはそんなに悪といえるのでしょうか。カネ自体が自分自身を幸運にしてくれることはないとしても、不幸を避けるためにはカネは重要です。亡者であってもいけないとは思いますが、生きていくうえでは不可欠でしょう。人生の判断基準としてカネは正当だと考えます。

 

本日は、カネを判断基準とすることの正当性を記述することを目的とします。

  

目次

・二倍で評価されること

・情だけを払う人間はいくらでもいる

・まとめ

 

・二倍で評価されること

今現在のあなたの年収を思い浮かべてください。あなたの能力を評価してその年収を二倍にしてくれる方が現れたとき、あなたはどんな選択をしますか?

現状の自分自身のパフォーマンスを、二倍で評価してもらえるという事実は、外野の人間が想像する以上に本人にとって甘美で喜ばしい事実なのではないでしょうか。自分にしかわからない努力や、苦難の時期も必ずあるでしょうし、その人にしかない特有のしがらみや、もっと直接的な野望もあると思います。そうした思いが交錯する中、市場価値という明確な指標において現在の二倍で評価されて、心が揺れない人間の方が珍しいのではないでしょうか。勿論環境の変化や評判など様々な情報を考慮することは前提として、きっぱりと断れる人間なんてほとんどいないと思います。

それこそ、大幅なステップダウンが予想されたり、現状によほど恩義を感じていれば別ですが、スポーツ界を除けば大抵ステップアップが市場価値の上昇と比例するので、結局恩義かカネかという話になるのかなと思います。

 

・情だけを払う人間はいくらでもいる

この世の中に、カネを払わずに済ませるために情を払える人間はいくらでもいます。普段は情のかけらも見せないのに、自分にとって大切な瞬間だけ情をここぞとばかりに払うまぁろくでもない上司のような(笑)人種を想像して頂ければだいたい該当するかと思いますね。勿論、カネさえ払えば好きなようにこき使えると考える人種もいるので、カネが全てではありませんが、カネを出さない方がたちが悪いですね。その点、評価に基づいてカネを支払うことを約束する契約を結んでもらえるのは、魅力的に感じるでしょう。

 

・まとめ

おそらく、金銭的に評価されたい願望と、情によって承認されたい願望が我々の中に渦巻いているのだと思います。この二つが、自分たちの状況と時代背景を合わせて、どちらかに偏りながら満ちていくのだと思われます。ただ、今は余裕のなさからどちらも失われつつあるのかもしれません。悪い意味でバランスを失い、どちらかに偏ることさえなくなりつつあるように感じます。