炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

「貫く」の軽さ

風間氏の監督就任が発表されたあの日から、ずっと避けたかった最悪の展開がありました。

 

何もかもが失敗し、「いくら風間さんでも焼土の名古屋は立て直せないよね~」で終わり、時間と金だけを浪費するという未来だけは避けたいと思っておりました。

当時も、火中の栗を拾ったという称賛の声がほとんどの中、私の中で恐怖として残り続けた話が2つありました。

「名古屋の予算規模は大きいし、川崎以上に好き勝手出来る。失敗したら状況が最悪すぎたことにして逃げられるし、それができるカリスマ性もあるからどう転んでもオイシイ話だ」

「自分のクラブでは絶対やってほしくないけど、賭けとか娯楽として眺めるのにはこれ以上ない」

どこまで本気かもわからないような他サポーターさんの何気ない書き込みでしたが、今もなお覚えております。

 

そんな与太話から2年半が経ち、いつか来る日が訪れました。 

 

 

 

技術に基づいた攻めるサッカーを貫く。ブランディングやプロデュースの一環とすれば実に見事です。しかし、その実に迫ろうとしても、現れるは虚ばかりなのです。

 

「止めて蹴る」「外して受ける」「技術」「目を揃える」「未来への蓄積」「選手の最適な判断」etc…

様々な言い換えで理想に近づくとされるキーワードたちが闊歩しました。

 

止めて蹴る、他クラブさんのほうができてませんか?繰り返すほど精度が落ちていませんか?いつ逆脚を使うのですか?

 

では技術とは何でしょうか?すべては技術。走ることから、体の向きから、ボールがない時の動きも、勿論ドリブルも。ドリブルさえ、重心によるフェイク・一瞬の加速・目線を用いたやり方、偽りの成功体験を蓄積させる手段など様々ですね。単体で見てもすべてが「技術」これが複合した合わせ技にもなりえます。

 名古屋において推奨される技術の中に含まれていない「観測外の技術」という表現を以前用いましたが、今もそれは変わりません。 スローインも、網を張る守備も、ターンもすべて技術です。観測外の技術に幾度となく苦杯をなめる日々が続きましたね。

技術が重要というのは、「全部できれば最強」と同義です。そりゃすべてできれば当然に強いでしょう。それができないからどのクラブも苦労しますし、限られた時間で特定の技術に投資するわけです。不可能という点にさえ目をつぶれば夢は見放題です。

よって、クラブの将来などどうでもよくて、夢を肴に好き放題内輪で語りたいのであれば現状はこのうえなく快適だと思います。そんなサポーターがいるはずもありませんが。

 

積み上げたものも同じです。「積み上げたもの」とよく言われますが、具体的に何になるのでしょう?当然時間をかけたのであれば何らかの積み上げは得られます。家で24時間寝ていても、「長時間の寝転がる姿勢に耐えうる肉体と精神」は蓄積します。

現在の主題は蓄積の有無ではなく、クラブの基盤たりうる継続性・能動性がピッチ上でどの程度プレーとして断片的に表象されているかどうかです。積み上げ自体は生きていれば得られはします。ただ、それは目標の達成に不可欠で、他クラブさんと比較して優位性のあるものでしょうか。いくら5年で積みあがろうとも、他クラブさんが4年で同等の積み上げをしていたら不利です。

 

目を揃えるも同じです。揃えば確かに良いでしょう。ではどうやって揃えましょうか?

そもそも目を揃えるって何でしょうか?イメージの細部まで共有する必要があるのなら、なおさらゼロからイメージを擦り合わせる必要がありません。とりあえず簡単なパターンを組んで、派生させ、最後に独自のやり方に至る「守破離」で問題ありません。

守破離」をしないことこそが独自性だと言われたものの、結局その良さは最後まで明らかになりませんでした。一方でその悪さは明らかでしたがね。この辺はどうなんでしょうか?自分らしさに拘る美学にときめきを感じるものなのでしょうか。

加えて、目を揃えたから勝ったのではなく、勝ったことで目が揃ったことになったという逆の因果も起こりえます。「目が揃う」意義を証明するためにも、どういった事象が目が揃うことを意味するのか明確にしておくべきでしたが、未だになされていません。ここを揃えておかないと、「目が揃うって何?」への回答の目が揃わないという滑稽な状況に陥るのですが、たぶんその程度の概念なのでしょう。

 

最適な判断についても同様です。判断が最適だったものの、実行と乖離していたフェーズも同時に論じないと、ミスは後追いで「やっぱり判断が最適ではなかった。もっと選手は適切に判断できる」と遡及して結果論で言えてしまいます。目が揃うに関しても同様です。

勝つための手段として最適な判断をするはずなのに、勝利をもって最適な判断ができていたことになってしまうという逆の因果ができてしまいます。

野球で言えば、「ピッチャーが最適に判断し続ければ相手選手の逆をとり完封できる。もし点を取られたらそれはピッチャーがミスを犯したからだ」というのを信用できるでしょうか。無茶もよいとこですね。

  

 

それに拍車をかけるのが、真偽の疑わしい数々の武勇伝です。 

 

風間氏の謎エピソード① 「力をセーブしろ」と監督から言われた。

 

初めて耳にした瞬間、いくらなんでもアドバイスとしておかしすぎるのでは?と感じました。王様に合わせてチームを作るならともかく、王様を下僕のところに引きずりおろすメリットがありません。あるとすれば、王様は実は下僕にすぎず王様ではなかったという仮説くらいです。

完全な推測にはなりますが、監督がバクスター監督であり、松田浩監督の著書から引き継がれた考えを推察すると、「力をセーブしろ」という言葉は、

 

「タスクを一人で背負おうとしすぎるな」

「何でも自分でやろうとするな」

「お前にはお前の仕事がある」

 

といった言葉で、真意は「お前がピッチのあちこちに顔を出すと、一番怖い位置に一番怖いプレイヤーがいるべき時いなくなってしまう。だから味方を信じて待ち、動きすぎるな」くらいのアドバイスではないでしょうか。個人的にはこれが一番辻褄が合います。元の文章も、状況証拠すらもない完全な妄想ぽえむですがね。

今名古屋のジョー選手で起こっていることを鑑みれば、そんなに遠からずとも思うのですが、どうでしょうね。いずれにせよ真相は闇の中です。

 

風間氏の謎エピソード② 戦術を仕込んだら簡単に勝ててしまいつまらなかった。

まず、いつの話でしょうか?次に、どこでの話でしょうか?あるいは、どのチームを相手にした時の話でしょうか?

対策されない数試合に氏がめっぽう強いことは既に知られた話ですが、シーズンを通した継続性となると、ピッチ上の監督なしでは通年もたないのでは?という疑念が尽きない状態です。よって数試合のみでこの結論に到達したのであれば、仮説としての真偽はさっぱりわかりません。数試合ならそれは対策されてないし強いよね、と。

そもそも、今や数年で最前線の監督が時代遅れになってしまうこともあるこの時代に、いつの話かも明確に分からない過去の杵柄で語られても「凄いのはわかったので早く今の名古屋で見せてください」としか私は思えませんね。

そんなに偉大ならできるでしょ?と。選手揃ってたし、Jクラブ有数に希望する補強はできていたよね、と。嫌みの一つも言いたくなります。

ビルドアップ一つ未だに整備されていないのを見ると余計に拍車がかかりますね。古き良き屈強な大男たちが最後尾に陣取るクラブではもはやありません。

たとえビルドアップの方法を知っていたとしても、実際にピッチに落とし込む手腕については疑問視されてしかるべきではないでしょうか?時間をかけて改善の兆候が見られないのですから、ある日いきなりできるようにはなりえないでしょう。やれ理想だ未来だと語ろうとも、未来は現実の延長線上にしかありません。

したがって、仕込んで宣言通り易々上位争いまたは優勝を果たして、その道を礎としたうえでなおも確固たるスタイルが必要だと、今の道に踏み出すのであればまだ腑に落ちましたが、ピッチの上で見えないことには何とも言えません。絶対負けられないはずの昨シーズンの湘南さんとの試合でアレだったので、甚だ怪しいですがね。

 

風間氏の謎エピソード③ とんでもない負けず嫌い

 

そもそも、プロになるような選手は世間一般をはるかに上回る負けず嫌いです。

よって、プロの方を評する際に負けず嫌いというのは、実態として何一つ表現していません。プロとして生きていくうえで負けず嫌いになっていくのか、元来負けず嫌い気質の方だけがプロになり、生き残っていくのかはわかりかねますが、いずれにしても負けに対して異様な嫌悪感や恐怖感は有しているはずです。

しかしながら、理想に対する拘泥はあれども、勝負に対する拘泥については特別リーグ有数とも思えません。ここも完全な私の主観ですが、トップリーグに携わる人間として常軌を逸したレベルではないでしょうね。

 

 並べて見て初めて感じましたが、妙な全能感を抱いた思春期の学生のようですね。

元のエピソードの理解が誤っていたら、そこから得られる教訓も勿論ずれたものになります。そう考えれば私自身は腑に落ちます。あくまでも私自身はですがね。

 

 

話がそれましたが、現状へ回帰します。

そして、現状を語るうえで外せないのが、「攻めるサッカー」ですね

 

攻めるサッカーと一言にいっても、多種多様なやり方があります。その中でクラブは、ボールを保持するやり方を選び、そのオーダーを果たせる監督として風間氏を選びました。

ある程度の期間があって、部分的に片鱗は見られる時期もあったものの、オーダーに合致した物を継続してピッチ上に表現できなかったのです。結局はそれに尽きるのです。

 

よって、風間氏そのものは、自己演出の非常に巧みな監督がオーダーに合致した演出ができなかったというだけの話でしかありません。

海外旅行のチケットを買うという契約をしたのに、金を振り込んでチケットは出てこなかった。契約とは違っていた。それだけです。

 

それ以上に嘆きとなるのが、後任の一貫性のなさですね。
フィッカデンティ監督の能力そのものの可否ではなく、さんざん継続・クラブの基盤を作ると公言していたにも関わらず、熟慮されたとも思えない決断がぽろぽろ出てくる稚拙さが突き刺さります。

 

・風間氏が順調にいかなかった時の次善の策の乏しさ

・目標とするスタイルの曖昧模糊さ

・風間氏に求めていた仕事の範疇(ACLか若手の抜擢かスタイルの構築か)の曖昧さ

 

わからないことばかりです。それでもまた、数日後には追いかけているでしょう。

 

 

とはいえ、ピッチ外に目を向ければ観客は増えていますし、地域にも少しずつ根付き始めています。

ここまで順風満帆であった観客動員に関しても、将来一時的に減りは見せるでしょう。強化部が出場機会以外での移籍交渉に苦戦したように、営業も観客の定着という別フェーズに移行すればいずれ苦戦する時期は来ます。その時期だけをもって、風間氏がいなくなったことと短絡的に結びつけないよう留意しておく必要があります。加えて、風間氏個人のカリスマ性で観客を惹きつけられるのだとしたら、猶更期間を限定してカリスマ性に依拠しなければなりません。個人のカリスマ性は継続とは対照にありますからね。カリスマ性への依存をよしとしながら継続を語るのはお笑いもいいとこです。

 

 

 最後まで、何を貫きたかったのかはわからなかったですね。