炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

目標とピッチ上の不協和音

 

いみじくも、風間氏は試合前このように語りました。

「どこのチームと戦っても押し込めてしまうほどの力」はある、と。

 

そんな力が、あるかないかで言えばあるでしょう。氏は間違いなく嘘は言っておりません。いつも通りですね。

瞬間最大的に、34試合のベストの数分間を切り取れるのであれば、このチームの最高到達点はリーグ屈指に高く、Jリーグの他クラブさんであれば間違いなく押し込めます。

 

そして、残留を争ううえで、一分でも長く相手のチームを押し込め勝利をもぎ取る必要がありました。勝ち点差はわずか3で、最近の試合結果を見て「飛ぶ鳥を落とす勢い」とは言えそうになく、むしろ現状を打破しようと試行錯誤なさっているという表現のほうが適切であろう清水さんを相手に、その力を発揮できるかはいろいろな意味で重要といえる試合でした。

勿論相手のある勝負ですから、相手が堅牢であればどうしても絶好機は少なくなるでしょう。そういった点では、ここ数試合複数失点の続いていた相手ということで、チャンスすらろくに訪れないという展開は考えにくいものでしたし、実際その通りにチャンスがあったように思います。

ACL圏に到達するという目標の意味でも、今現在を戦うという意味でも、残留を争う相手を蹴落とす意味でも、相手チームを押し込める力を証明する意味でも、絶好の試合でしたね。

 

34試合のうち、重要でない試合など1つもありません。しかしながら、6ポインターと呼ばれるような直接対決においては、特に重要性が増します。そんな試合で披露されたのは、またまたいつも通りの展開でした。

2点差をつけられるという、そもそも起こる時点で順調ではない状況がいつものように発生して漸く、ゴールへ向かい点を獲ることに目が揃います。自分たちが主導権をもって相手を押し込めるどころか、相手とスコアに思いきり左右されています。

 

とはいえ、クラブが目指す方向性として、34試合の記録に残る試合より1試合の記憶に残る試合を創造したいと考えるのであれば、現状のやり方は腑に落ちるものです。記憶に残る瞬間が欲しいのであれば、必要なのは継続性より最高到達点です。可能性は低くとも、揃えば輝くものを抱え、ひたすら揃うまで試行回数を重ねるというのはある程度合理的です。例えば、ゲームなどで最高ダメージを狙うのであれば、低確率でも効果の大きいものが選ばれますね。

 

しかしながら、実は継続性より目先の瞬間を追いもとめていたという説は根拠に乏しいです。中長期的な積み重ねを疎かにして目先の結果を取るのかという紛糾は、飽きるほどこの2年半見られました。その中で、「記憶に残る一瞬のために戦っている」といった趣旨の主張は、私が存じ上げている範囲では皆無でしたね。散々キーワードにされてきた継続性とは対を成すようなものなので、当然と言えば当然ですがね。

 

クラブが降格後から掲げ続けたACLで勝てるクラブになるという目標と、継続性・クラブの基盤・貫くといった連綿と続くことが前提のキーワードたちと、風間氏のサッカーを翻訳できる炯眼をお持ちの方々による積み重なった知見を組み合わせれば、実は継続性よりも記憶に残る一瞬を追求していたというのは、まずあり得ない話です。さすがに揃いも揃って目標とのミスマッチを見逃し続けるのはいくらなんでもおかしな話ですね。

 

 名古屋に携わる数々の方の知見を拝見する限り、やはり継続して攻め続けるサッカーが目標なんだろうなというところは揺らがないわけですが、ピッチ上との不協和音がノイズとして現れ続けています。15試合で1勝で、「順調に目標へ向かっています」とはなかなか言えません。「○○選手が帰ってくれば… 」も消費期限の過ぎた言い訳です。

いくら潜在能力や最大到達点の魅力を語られようとも、

 

・最大のパフォーマンスが発揮されるための条件がシビアすぎる点

・発揮されないときは凡庸と呼ばざるを得ない点

・最大のパフォーマンスが発揮できるかどうかが強く相手に依存している点

・実際に発揮された場面があまりにも少ない(限定的な)点

 

このように制約が多すぎて、実現可能なレベルになっていないと断じられます。そして、すべてがかみ合っても5-0では勝てません。「全試合5-0で勝つ」という宣戦布告から2年半が経過し、アマチュア様からJ1トップまで様々な相手と戦い、未だその光景は小倉期の福岡さんとの試合以来眼前に収められていません。

試行回数を一定以上担保できるゲームでやるとしても、リターンが乏しすぎて割に合わないのではないでしょうか。ロイヤルストレートフラッシュを待ちすぎて、betできるコインを失ったような感覚です。そして待っていたのはせいぜいフラッシュだったと知ったような徒労感を覚えます。

 

以上のことから、能動的でもなく継続性も別にないという状況では、そもそもクラブの礎としたいものも創りえません。受動的で臆病で何となく博打が当たることを祈るサッカーを名古屋のスタイルにしたいのですかね?そんな能動性も継続性も一切ない蜃気楼を未来永劫連綿と続けたいのでしょうか?

そうならそうとおっしゃっていただけないと詐欺になってしまいます。砂上の楼閣でも夢を見たいと。夢を見るのが目的で、継続性はそのためのダシにすぎないとね。

 

継続性が懐疑的になった途端に、「今この瞬間を戦っているんだから雑音はいらない」

といった趣旨の言葉を見かける機会も最近は増加しました。大変殊勝なことで、称賛されてしかるべきお考えだと思います。

ただし、今この瞬間を戦うには、誰であれその瞬間以外に訪れる「準備」という戦いを制す必要があります。スタジアムで飛び跳ねるにはそのための体力・健康が必要ですし、当日に合わせてコンディションを揃えなくてはなりません。

「遠征考えるのダルいし、筋トレとか体力つくりなんて面倒でやりたくない」と語る傍らで、「90分応援したいのに体がもたない!なんで?」とほざいているサポーターが居たら、覚悟と実行力が足りないと一刀両断にされるでしょう。

 

ピッチ上で90分相手を制圧するために、実行可能なレベルに「目は揃って」いるのでしょうか?清水さんと戦うための準備はできていたのでしょうか?今まで多くの他クラブさんに突かれてきた穴は中断期間で処置してきたのでしょうか?その答えは名古屋グランパスに愛がある方ほど痛感しているのではないでしょうかね。

 

そして、「目が揃う」についても、未だ謎は解明されていません。

 

 シーズンが始まる前に、私は「選手が入れ替わるから目が揃うまでの時間が取れない」という仮説を立てました。ところが、試合は進めどメンバーを固定せど、一向に目は揃うそぶりがございません。正確には、「目が揃ったことにより起こるピッチ上の膨大なリターン」をほぼお目にかかっていません。選手同士の意思疎通によりコミュニケーションが深化しだんだんと目が揃うのであれば、試合を重ねるにつれ内容は上向いていくはずです。現実はそうはならず、もっとも輝くのは大規模な移籍直後のむしろ「目の揃わない異分子になりうる選手たち」がたくさんピッチ上にいらっしゃる時期です。

 

「ゴールを獲る」という点にフォーカスすれば、一番目が揃っているからだというご回答がいただけるかもしれません。

最もなご回答です。

同時に、その解釈がありになると失うものも大きいですが。

 

その理由を考えるために例を挙げてみます。 

 

後半も半ばを過ぎたところで、自チームは1-0で勝っています。時間帯もあって、お互いに疲れが見えてきて、徐々に走れなくなりつつあります。

 

さて、どうしましょうか?

 

サッカー経験者なら一度はピッチ上で突きつけられたことのある悩みでしょう。

変な欲を出すと崩れかねません。バランスを保って今のまま行きましょうか?

2点目を取ればかなり楽になります。とどめを刺しましょうか?

1点を守り切り始めてもよい時間帯です。逃げ切りに入りましょうか?

 

 目の前の試合に勝つという点では、当たり前に目は揃っています。さすがにここで揃っていないことは八百長がまずないJリーグにおいてはあり得ません。

ところが、そのために実行する手段で目が揃いません。

前線の選手は突き放して楽になりたいでしょうし、後方の選手はゴール前を空けたくありません(名古屋は空いてるじゃんというツッコミはなしでお願いします)

 

こういった判断が分かれかねない場面で、意思統一し実行できることが「目が揃う」ことの最大の優位性であり、他クラブさんとの差別点となりえるのです。

こうした曖昧な部分を統一し、実行できるからこそ「目が揃う」ことに価値があるのであって、「やりたいことやって勝ちたいという気持ち」で目が揃っても意味に乏しいですし、それを「目が揃う」と呼んでしまえば、意義は毀損されることでしょう。

「勝つことに執着できるチームにしました!!」というのは簡単ですが、勝つためにさぼりたいこと・怠けたいことを淡々と排除し、厳しくてもチームのために必要なことを実行できるレベルになっているクラブさんは多くはありません。残念ながら、短くない時間を費やし、まだまだ目標は遠いと言わざるを得ないでしょう。

 

ACLを諦めはしませんが、目標は依然遠いままです。

そして、J2に降格して、風間氏が来てくださったあの時から、こうなることも当然あり得る未来でした。プロジェクトとして本気ならば、こうなりうることも予見しておくべき事態です。

 

・中村選手というピッチ上の指揮官の不在

・J2で勝ちながらJ1で勝つチームを作る難しさ

・選手の大幅な入れ替わり

・風間氏の監督としての充電期間(休息期間・勉強期間)がないこと

・スタイルの確立の進捗が順調か

 

様々容易にはいかない原因がある中、「監督の方向性とクラブの方向性が合致しないこと」は遅かれ早かれいずれ起こる話です。勿論風間氏に限った話ではありませんが、最も衝突の見えやすい立ち位置なのでわかりやすいです。

引き継げる人が居ないという話も耳にしますが、根本的になぜそこまでガラパゴスな道に邁進したのでしょうか?なぜ2年経って未だに引き継げる人の話題さえ出ないのでしょうか?そもそも引き継ぐ価値のあるものなのでしょうか?

 

継続を掲げて、なぜ「継続できない」という状況を引き起こしているのでしょうか?

 

ピッチ上のみならず、継続と現実の不協和音も障りますね。継続したい・スタイルを創りたいと声高に言いながら、邁進するのは逆方向です。

 

そんな中でも時間は過ぎますし、終わった試合は帰ってきません。

まだ次がある、次の試合がベストになる、このチームはこんなもんじゃないと感じたのならば、ちょうどよい言葉がございますね。

 

 

「今この瞬間を戦っているんだから雑音はいらない」