炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

夢を語るのに飽きた日

夢や理想って、空からいきなり降ってこないんですよね。

 

『ある朝いきなり…』なんて話はフィクションでよく登場する話ですが、現実は現実です。

ありもしない能力がいきなり覚醒したりはしないわけです。一日一日積み上げたことがそのまま表れるだけにすぎません。

ある日突然魔法のような速いパスが自由自在に蹴られるようにはなりませんし、ある時いきなり守備が堅牢にもなりません。ボールを保持することに真摯に取り組まずにボールを保持できるようにはなりません。

何度記述したかもはやわかりませんが、やっていないことはできないのです。

(散々やったはずの止める・蹴るも大してできていないのは内緒です。)

 

名古屋の夏は、連勝街道を驀進するはずの8月はいかがでしたか?もう9月に入りますが、「まだ名古屋は8月の進化を残している!」と7月に仰っていた方がいらっしゃったことが懐かしく感じられますね。8月はいい夏になりましたか?旅に出かけられましたか?美味しいものを召し上がりましたか?旧知の仲を温められたでしょうか?

 

理想論としてボールを保持し主体的に攻めるのであれば、どんな道を通るのであれ

・ビルドアップ(後方から前方へいかに質の高いボールを届けるか)

・無謀なシュート・無謀なパスの削減(いかに相手にボールが渡る機会を減少させるか)

 

この2点は避けては通れません。

「90分とにかくシュートを打ちまくれ!」と「相手にボールが渡らなければ失点しない!」は相いれないのです。共存しえないのです。

枠内に入るシュートだけ打ち続ければよいじゃないかと思うでしょうか。

そうなった瞬間、コンセプトは妄想へと姿を変えます。野球で言えば「相手に打たれないストライクを投げ続けろ。俺の言うとおりにやれば必ず勝てるし、もし負けた時は、俺の言うとおりにお前がやり切れなかったからだ」というのと同義です。

できればそれは勝てるでしょうが、それのためにどれほどの偉人が挑み、鍛錬を積み、実行するために知見を重ね、失敗を続けたのかを何一つ省みておりません。

歴史に学ばずして、理想に至れるわけがありません。

(繰り返しにはなりますが、オーソドックスなゾーンなど一通り浸透させ、優勝には至らなくてもある程度勝利して、そのうえで名古屋らしさを目指すのであれば私は大賛成です。先人が積み重ねてきた先行研究への畏敬の念と実行力をもって、まだ見ぬスタイルへ進むのは偉大で素晴らしい挑戦と感じられます。それが一切ないから蛮勇もよいとこですがね。)

 

着実に理想は浸透している・パズルのピースはもうピッチ上に揃ったというのもあまりに稚拙です。

ピースが揃ったのであれば、可能性に乏しい質の低いシュートは淘汰されこそすれ、増えていくことはあり得ません。無駄なシュートは90分間足元にボールを持ち続けるうえで妨げでしかありません。

究極のビルドアップは、閃きが介在する余地はないでしょう。一定以上のスペースに淡々と一定のパスを繰り返して、穴を広げていく繰り返し作業になるのですから。

 

夢は相手を90分間支配するサッカーでも何でもよいのですが、実現してほしいからこそ夢を見るんですよね?『いいなー』と口を開けて受動的に待って祈るのでしょうか。

ピッチ上に合致したお似合いのスタイルかもしれませんね。

 

 

 

夢を持つくらいいいじゃないか、という恨み節が聞こえてきそうではありますが、こうした「ボールを何となく持っているが効果はなく、淡々と負ける」のをここ2年半で何度繰り返しているのかということです。個人的にはこうした状況に陥るのは現体制では4回目だと認識しています。かなり多い数字だと思いますし、屈辱的なことに、理想より余程継続性と再現性があるのですが如何でしょうかね。

 

①2017J2前半戦 

湘南さんなどほかの昇格候補クラブさんたちに置いて行かれ、結局自動昇格圏に最後届かない差が残りました。

さすがに体制の船出直後と大解体して集ってくださった選手の集まりでは、理想の浸透は難しいだろうとのことで、この時点ではJ2はやはり難しいくらいの認識だったと思います。チームの骨格を固めるのに、シーズンの半分を費やしましたね。

(恥ずかしい話、当時の自分自身は単なる嫌悪で語るしかできなかった未熟者であったのを思い起こしますね)

 

②2018J1前半戦 

シーズン前の大型補強もあり、2勝1分けで順調な船出をしながら、クラブ史上最悪レベルの勝ちなしに陥りました。

やはりJ1は甘くないという声と、今は継続することが大切という声と、選手の質が足りないという評価が多かったですね。また、とにかく残留に舵を切らざるを得ず、「3年目に真価が発揮される、今年は特殊すぎてピッチ上の評価のしようがない」という声がサポーター内で囁かれておりました。確かに、5年スパンで見るとして、折り返し地点でどうなっているかを評価するのは一定の妥当性はあります。実際は3年スパンで見なければならないのですが、しれっと1年延ばすくらいは常套手段なので何の驚きもございませんね。ちなみにこの時から「今監督を解任しても後任が居ない」「体制が崩壊したら2016年に逆戻りする」というご意見は確実にありました。

 

③2018J1後半戦終了間際

Jリーグでも歴史に残ると思われるレベルの降格しないための本気の補強を夏に行い、破竹の連勝街道に乗り、漸く他クラブさんに追い付きました。しかし、確実降格枠だったはずの名古屋が異様な追い上げを見せたことで、残留争いは混沌さを増します。

自分たちが引き上げた残留ラインに、最後は自分たちが躓きそうになりながら、川崎さんとジョー選手と主審にお助けいただいて首の皮1枚で生き残った昨シーズンです。忘れようもありませんね。

相変わらず、「今やめたらry」「後任はry」でしたね。

実はこの時点で、「1年間経って、継続できそうな後任が一向に思い当たらない」という極めて芳しくない状況に陥っています。

万事うまくいかない可能性を考慮し、代案を立てることすらできていません。クラブの運命を決めかねないプロジェクトに対するリスクヘッジとしては正直危ういでしょう。

コンセプトを能動的に「貫く」状況ではなく、選択肢がなく「貫く」しかない状況に追い込まれたといえるでしょう。一発逆転で変わる可能性もありますが、そもそも一年で再び一発逆転が必要な状況に追い込まれた経緯について伺いたいところです。

 

④今

あの時大いなる輝きを放った選手たちが来シーズンは初めからいるんだ!という希望に満ち溢れた期待に加え、ジョアンシミッチ選手・米本拓司選手というJ最強クラスのセンターハーフを補強し、最高の希望をもってシーズンを始めました。「真価が見られる」と言われ、ついに選手も揃った3年目。どうしても期待は高まりましたね。

そして、毎年恒例、補強後の連勝街道に開幕から乗り、FC東京さんとの首位決戦もありました。選手の良いところだけが見え、頑張りが結果につながり、アンチは黙る三方よしの蜜月の時を過ごしました。それももう数か月前の話ですがね。同じようにFC東京さんと戦い、敗れた今はどうでしょうか。理想は浸透しましたか?真価は発揮されましたか?そろそろ「来年こそry」が必要ですか?まだ諦めたくないですし、選手の皆様に名古屋というクラブを諦めていただきたくないんですがね。

(昨年度12月時点で、玉田選手と別れたことを後悔する日が必ず来る、と断言なさっていたサポーターの方は慧眼ですね)

 

そして、サポーター内の声は今年ついに、「今のスタイルが本当に未来につながるのか?」というのが徐々に主流になりつつあると感じます。今までのシーズンはここまでスタイルへの懐疑心は強くありませんでした。そいて、それに対する反論も、「諦めたくない」「無駄にしたくない(無駄だったと知るのが怖い)」に変わりつつあります。壁を越えた先にあるものが見たいという猛者もいらっしゃいますが、とりあえず壁が何なのかご教示いただきたいところです。

賢明な方が既にご指摘していらっしゃいましたが、サンクコストの呪縛というやつですね。

 

個々で見れば、絶対に負けるわけにはいかない試合できわどい判定に毎度助けられているうえ、順当に勝ち切ったゲームが一切ないことにお気づきでしょうか。

どの試合も大切ですが、特にジェフ千葉さんとのプレーオフ・福岡さんとのプレーオフ決勝・湘南さんとの最終戦と、クラブの命運を決める死線をくぐるような試合は、いずれも判定に助けられていますし、「もう一回やっても多分結果は変わらないだろうね」と、相手サポーターの方からおっしゃっていただけるようなゲームでもありませんでした。

 

過去のデスマッチだって、昨日の試合だって、ゴール前に一番相手にとって脅威になる選手が居続けた時間が、一番攻めていたのです。当たり前じゃないですか?

 

ゴール前に一番脅威になる選手が居続けるための攻撃的なサッカーのはずですが、実態はジョー選手が降りてこないとそもそも前進もままなりません。

この現象は、単純に練習していないことがすべてだと思います。

 

ハーフコートマッチを丹念に練習で積み上げた結果どうなるでしょうか。

まず、近視眼的に周囲を視て安全かどうかを把握する能力は身につくでしょう。近くを把握しないとすぐに囲まれるので、遠くを見ている暇はありませんし、ハーフコートで遠くを視てもリターンに乏しいです。近づいてボールを回すのであれば、遠くへボールを蹴る筋力や肉体の使い方も徐々に褪せていくでしょうね。練習で不要ですし、不要なものは培われません。培っても意味がないものは忘れていきます。

ゆえに、遠くに正確なボールを届けるための筋力もボディバランスも身体の向きも自分で学ぶしかありません。練習で貪欲に学ぶという言葉だけ聞けば耳さわりは良好です。

しかしながら、自分自身で考えどうにかしようとするほど、情報は多くなります。多くなれば、取捨選択する時間は長くなります。傍目には「迷う」ように映るでしょうね。

そして、ボールを奪われたという結果をもって、直前の行動が「自分自身の能力向上のための熟慮」から、「周りを見えていない緩慢で迷ったプレイ」に事後で置き換わります。よほどチーム内で絶対の立場にある選手ならともかく、大抵の選手はそんな選択はできないですし、しようとさえ思わないでしょう。わざわざスタメンが危うくなるような行動をとる意味がありません。

試行錯誤の過程が間違いなく必要になりますが、試行錯誤すればするほど、チャレンジを伴わないミスも増加するでしょうね。試行回数が増加するほど成功の回数も増加しますが、失敗の回数も増加します。失敗が増えれば、見た目の印象は悪くなるでしょうね。

 

 目先のリターンに乏しく、「迷った結果ボールを失う」という客観的に評価の下がりそうなプレーを見て、選手選考の権利を有した人間はどんな判断を下すでしょうかね。

  

 

この2年半言われ続けた継続性とか、確固たるベクトルに基づいた進歩とかは、地味な鍛錬を続けて叶えにいくものです。筋力・敏捷性・視野を確保する姿勢・身体の向き・ポジショニング・一つ一つのパスの回転・ボールの速度・トラップする脚など、詳細に拘り徹底し続けて初めて得られるのです。営業活動だって、無料の配布・地域イベントへの参加・当日の細やかなスタッフの配置からいざという時の対応など、数々の準備・想定が結果へと結びつきます。
細やかな「そんなところまで気遣うの?」という塊が成功への礎です。入場の導線・宣伝の頻度やタイミングなど、まだまだ手付かずのところはあっても、細やかな積み上げが今の満員のスタジアムに寄与しているのです。当然、その過程には、嫌なこと・やりたくないこと・地味で退屈なことがさぞかしあったとこでしょうし、これからも膨大に現れるでしょうね。


 もし、練習ではcm単位でパスの精度に拘り、利き足という概念がなくなるくらいの練習を全選手に課し、実際の試合でも前半3分くらいにある選手のいい加減なパスミス一つで選手交代をするくらいイカレた監督であれば、もはや納得するしかないでしょうね。

 

うわごとのように「今のまま続ければ…」「続けることが大事」「今諦めても後任が居ない」と、1年以上前から繰り返した結果が今です。

 

 

 

 

 

レギュラーが居ないからしょうがない?

全ては積み重ねです。過負荷がかかりやすい構造・退場のリスクを作りやすい構造・移籍に心が傾くマネジメントはありませんでしたか?過密日程で選手のターンオーバーはありましたか?

負荷のかかりすぎた選手から怪我したり、パフォーマンスを低下させたりしていませんかね?それとも、怪我をするのも選手の自己管理不足でしょうか?

 

不運とか、仕留めきるとか、こんな日もあるとか、そんな次元の話はとうの昔に過ぎ去りました。一年前にやりましたし、一年前はピッチ上の理想の進捗が確かに棚上げにされたのです。不運で片づけるには「不運が起こりかねない現象が繰り返し発生している点」が邪魔ですし、仕留めきるで片づけるには「文字通り仕留めるだけのチャンスが量産どころかゼロに近い点」が邪魔ですし、こんな日もあるで片づけるには「ここ2年間はむしろこんな日のほうが多い点」が邪魔になりますね。

 

また貴重な理想成就のための一試合が終わってしまいました。

今の選手たちで戦えるのも10試合ちょっとということになります。

 

 

 

これだけ、色々揃ったシーズンはなかったと思います。こんな形でこのままズルズルいくとすれば、あまりにもな末路です。