炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

名古屋グランパス2つの謎

 名古屋グランパスがクラブとして掲げている目標はいくつかあります。

 

明文化されていなくても、実現できれば良いと考えているものもあることでしょう。

 

ACL優勝

・満員のスタジアム実現

・J1優勝

・有望株の輩出(高額な移籍金の獲得)

 

実際もっといろいろあるとは思いますが、こうした目的を実現するにあたって、現在クラブは風間氏を監督に据え、3年目政権を過ごしております。そして、攻めるサッカーを貫くというスローガンのもとで攻撃的サッカーを志向しており、実際他クラブ様やサポーターの方からもそのように評価していただいていると思います。

 

ただ、3年目も半ばになり、2つの謎が浮かんできました。

 

・志向している「攻撃的なサッカー」の謎
・シーズン序盤に絶賛された「ソリッドな守備」の謎

 

まずそもそも、攻撃的なサッカーとは実際どういうものなのでしょうか?

  

シュートが多いのが攻撃的なサッカーでしょうか?

ボールが足元にある時間が長ければ攻撃的でしょうか?

枠内シュート率が高く、効率的・効果的なシュートで攻撃が完結しているのが攻撃的でしょうか?

90分間のうち、「おおっ!」と声が上がるようなお洒落なプレーが何回か見られるのが攻撃的でしょうか?

相手陣内でボールが足元にあるのが攻撃的でしょうか?

自陣で完璧な止めて蹴るが披露されれば攻撃的でしょうか?

デュエル上等でピッチのあちこちで戦うのが攻撃的でしょうか?

なんか格好良い選手たちがそれっぽく動いていれば攻撃的でしょうか?

 

正直、私自身はどれでも正解だと思います。私も知らないスポーツを見て、相手のゴールに近いところで何かしていたら、「なんかよくわからないけど攻めている気がする」と感じると思います。攻撃的という言葉自体が解釈の余地が広い以上、その理解についても広義にならざるを得ません。

とはいえ、実際のところ、何をもって攻撃的としているのかはさっぱりです。多分ファミリーの皆様に統計をとっても違う答えが返ってくるでしょう。あるいは、「ボールを保持して主体的に攻める」みたいな、どうとでも取れる回答が集中するのではないでしょうか。じゃあどうすることが主体的なの?となると、効果的なエリアにボールを運ぶとか、ボランチ落として相手のプレスを回避するとか、ドリブルでサイドから揺さぶるとか、キーパーから一枚一枚相手を無力化するとか、その瞬間最適なのかはともかく、手段自体は大量に存在します。

別に素人の回答ならそれで何ら問題がないわけですが、ピッチ上でその「主体的な攻め」のために採用する手段が一致していないとミスになってしまいます。大抵の場合、ミスが増えると負けが近づきます。自分たちの意図していることができていないのですからね。

 

加えて、攻撃「的」であることは別に勝敗に直結しません。実際に効果的なエリアに侵入して何度ネットを揺らしたかが結果として攻撃の有効性を表し最後の勝敗に反映されるだけです。攻撃「的」なのはあくまで傾向や印象であり、何となく感じる印象や直観にすぎないわけです。守備「的」も同様ですね。

つまり、何となくおおまかな印象やイメージの共有は間違いなくありそうですが、実際にピッチ上で攻撃しているサッカーを実現するうえでは、思ったほどそうしたイメージは効果的に機能していないように感じます。

 

風間氏はなりたい理想を他者にイメージさせる能力は、ピッチ内外ともに異様なレベルで高い鬼才だと思います。3年経ちマーケティングの取り組みもあって攻撃「的」なイメージ自体はかなり強く浸透してきたのではないでしょうか。一方、実際にピッチに反映がされるのは決まって「能力の高い選手が新加入してから数試合(10試合未満くらい)」というあまりありがたくないサイクルに嵌まりつつあります。

特に、今現在選手の個人ごとの能力で言えばお世辞抜きでJリーグ屈指の陣容といって差し支えないと思います。それでなお継続できない・理想に近づいている片鱗が徐々に観測できなくなっていくとすると、選手の能力・頑張り・精神状態・疲労だけにすべての理由付けをするのは少々厳しく感じます。

 

話は長くなりましたが、要は攻撃的という言葉だけが先行していて、ピッチ上の実態と乖離しているのではないでしょうか。

何となく攻めている風のサッカーをすることが目的であれば今は100点の出来だと思いますが、そこが目的地ということは決してないでしょう。(いや、もしかしたらそこが目的なのかもしれませんが…)主導権を握っていると感じることに意味はなく、実態として主導権を握り相手に不利な選択肢を突きつけたり、自分たちに有利な選択肢を生み出して初めて主導権を握っている意味と実態が伴います。

 

改めて、名古屋グランパスが志向しているサッカーはどうやって点を取るサッカーなのでしょうか?今現在理想として掲げているのはほぼ間違いなく堅牢な相手を崩し切ってゴールを量産するサッカーですが、現実は、相手が崩れた状態を(個人のスピードや判断・あるいは相手のミスから)創生し、能力の高い数人で完結して点を取るというのが今名古屋最大の武器です。

この武器が最も輝くのは、一般ではオープンな展開という言葉であてはめられる状況になる場合です。中盤に選手が少なくなって空洞化し、両チームのゴール前をボールが行ったり来たりするような状況になれば、よりシュートを決められる質の高いストライカー・相手を剥がせるプレイヤー・最後の場面で守れる優秀なゴールキーパーがいるチームが勝ちやすいのは必然です。その点を満たしているのはJではほかにガンバさん・神戸さん・川崎さん・鹿島さんあたりですから、それ以外のクラブさんを相手に狙って空洞化を引き起こすのであれば、悪い策ではないと思います。

一方、もっとも空洞化が起きないのは相手陣内に押し込んだ時です。最大の武器を活かすために一番苦手なシチュエーションに取り組んでいるとすれば、偏愛ともいえるボール保持は理解できます。

 

ただ…そうではないですよね?そんな高尚なスタイルの構築を目指しているのであれば、もっとボールを保持して運ぶことに真摯に向き合っていることがわかるシーンがピッチ上に現れるはずです。

ボール保持率80%だろうが、全試合5-0で勝つだろうが、自分たちのサッカーをするだろうが、いつも通りやるだろうが言葉なぞはっきり言って何のあてにもなりません。インタビュー自体騙し合いの一面もありますし、馬鹿正直に自チームの狙いや弱点を試合前にペラペラ話す愚将なんてほとんどいません。

※ゼロではありません。

 

よって、ピッチ上で起きている現象でしか説明はつかないのですが、ピッチ上で起きている現象だけ見ると「ボールをゴールまで運ぶ」には道半ばにしても本当かよと思えてしまうわけです。(味方の)ゴールまで運ぶならわからんでもないですが、まさかそんなはずないでしょう。事実、「決定的なチャンスは量産したが相手が当たりすぎていて負けた」なんていう試合はほぼありませんでしたが、「何となくボールは足元にあったが終わってみれば完敗だった」という試合は、ここ2年で嫌というほど思い出せます。

 

攻撃的だとか名古屋らしさ・自分たちらしさやらの聞き心地よい言葉は確かに増えたでしょうが、クラブの目的地ってそこなのでしょうか。

 

理想に掲げているほどには、攻めることを貫けていないのではいないでしょうか。攻めることを貫くための手段が間違っていたり、手段の徹底が不十分なのではないでしょうか。あるいは、攻めることは共有されていても、どう攻めるかが統一されていないのではないでしょうか。

 

折り返し地点付近で、理想の武器と現実の武器は対極にあります。理想で釣って現実で叩き折るのは他クラブさんの対策もあり今年も簡単にはいかなくなりました。

(毎年対策されたり選手が順応したりすると同じ現象が起こっているので、別にチームとしてレベルが上がっているわけではありません。個人としては上がっているというか上がった人が来るというか…)

理想の武器を実現するための選手は揃っていると思いますが、残りシーズンをどうするのでしょうか。運任せのガチャサッカーを続けて、何となくふわっと楽しそうな路線を継続するのでしょうか。

 

 

また、ソリッドな守備についても同様のことが言えます。攻守一体という言葉がよく用いられるように、適切に相手からボールを奪うこと、奪えなくても能動的に守備をして相手を制限することは攻めていることに同義です。

よって、攻めることを貫くのであれば守り方もどこかで必ず具体性をもって向き合う必要があるはずなのですが、ソリッドな守備とかいうこれまた曖昧模糊な誉め言葉らしきもので実態を伴いません。

では、ソリッドな守備とはどのような守備なのかを問うと、これまた人によって解釈が分かれると思います。前線から狩りのように追い込むイメージをする方もいらっしゃるでしょうし、一糸乱れぬブロックを自陣に敷くイメージをする方もいらっしゃるでしょう。前者でしたら昨日の大分さんと神戸さんの得点シーンはまさにソリッドでしょうし、後者でしたら今はセレッソさんがそのイメージには近いと思います。

名古屋グランパスのソリッドな守備ってどちらですか?と言われれば前者でしょうが、後者も後者で武器を発揮する場面づくりには十分活用できます。勝ちたいのであれば投資効果の高い手段として着目されるでしょう。

ところが、うまくいっていたシーズン序盤と現在でやっていることは変わっていません。中盤の米本選手・シミッチ選手が刈り取るために前に出ているのは一貫しています。それがうまくいけばソリッドと評価されて、うまくいかないと選手個人であったり、守備がもろいと評価されてしまうのはアンフェアに感じます。

 

そもそも、どういう点がソリッドなのかが個人同士でバラバラになってしまい、結果論での後追いで評価されてしまっています。

 

とはいえ、個人単位でそれをやるのは迷惑をかけすぎない範囲で個人では自由です。

 

ファンなりサポーターなり、ファミリーなり、その他なり個人としての目的は様々ですし、一致している必要性は一切ありません。適当に話の合う人をリアルなりネット上なりで見つけて、合わない人には特に関わらなければ済む話です。
勝ちを追い求める・格好良い選手を追いかける・地元だから何となく応援する・話の合う人に会いたいから行く・様々な動機があります。
勿論、様々な目的に応じてそれぞれが行う手段や行動も変化します。毎試合ゴール裏で応援なさる方もいらっしゃいますし・DAZN観戦は欠かさない方・グッズを揃える方・あるいはもう少しライトにかかわる方もいらっしゃることでしょう。

 

ただ、せっかく関わるのであれば、何らかのポジティブな変化はあってほしいですね。何か名古屋グランパスをと関わることでどんな形でも進化したいものです。

 

                                  了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※風間氏を信奉していてこんな僻地に迷い込んだレアな方が万が一いればここでお戻りください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※風間氏を信奉していてこんな僻地に迷い込んだレアな方が万が一いれば本当にここでお戻りください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、攻撃と守備には分けたものの、「目的地がふわっとしていて、至るための手段が具体性や有効性に乏しい」という意味では謎は1つだけです。

そんな謎よりもっと深い謎が残っています。

 

私自身は 選手は勿論、監督もコーチも、フロントもスタッフもサポーターも、そのほかクラブのイベントに関わる方々も名古屋グランパスを通して関わり学び、経験して成長していければよいなと思うのですが、なぜか風間氏限定で異様に甘いケースがあるのが名古屋グランパス最大の謎です…。

選手に、フロントに、価値観の違うサポーターに、「もっとこうしてほしい」「変わってほしい」「もっと楽しもうぜ!」「わかってない」として(特に選手に対して激烈な)進化を求める割には、風間氏限定で「それが風間八尋という男なのサ…」「哲学者だから(変わらなくてよい)」「今日もヤヒってる」というよくわからない宗教じみた思考停止になってしまい、それを指摘するとアンチと揶揄されてしまいます。

 

風間氏が名古屋で指導者として監督として引き出しを増やし、タイトルを獲れるような勝負に徹した思考と実現する手腕を身に付けて優勝する瞬間は垂涎ものではないでしょうか。

いつか必ず来るお別れの時に、「名古屋で指導者として、監督として次のステージに行けた」とおっしゃっていただけたら、それはとんでもなく素晴らしいことではありませんかね。別に素晴らしくありませんか、そうですか。  

 

 

karyokuhusoku.hatenablog.com

 

約一年前の記事ですが、本質的には選手の質以外何一つ変わっていない気がします。