炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

どうなったことが革命なのか

2年前にもがき、1年前に苦しんだこの季節が今年もまたやってきました。

 

夏場の勢いはすっかり消え果て、他クラブより数試合多く残していた心理的優位性は蒸発し、過密日程のしんどさばかりが募る肌寒い時期が訪れております。 

 

役者を替えども買えども、昨年度と同じ道を通っています。

未だに来季の所属カテゴリーを確定させていない以上、今シーズンオフの移籍市場も少なからず出遅れることになるでしょう。今季前半に苦しんだ理由として挙げた方もいらっしゃいましたが、誠に遺憾ながら来期にも足枷が残ってしまいそうです。

 

そして、いよいよ佳境を迎え、風間氏を信奉するのが難しい人々が胸に抱えていた疑問の内の一つの答えを垣間見れる日がやってきました。

 

「判断力・ボール扱いといった個人の総合的な能力を高めることで優位を得ようとする風間サッカーは、質で優位が得られない相手にぶつかった時どうなるのか?」

 

勿論、今までも「質による優位が得られないときに大丈夫なのか?」という疑念はピンチのたびにありつつ、最後は圧倒的な外国人選手の煌めきが幾度となく名古屋を救ってきました。あるいは、救われずに勝ち点を落とした試合も十数試合ありました。

それでも、神戸さんほど質の優位性について迫られるクラブはいませんでした。

 

なぜなら、名古屋が質の優位性を迫る側だったからです。そしてそれは横浜さんとの試合や、ガンバさんとの試合で自分たちが笑う側として散々今シーズン体験してきました。

 

そして蓋を開ければ、「質で優位を得られないときどうするか?」はまったく準備されていないことが明示されました。もっとも、これに関しては身内のレジェンド人事も絡んでより根深いクラブもあるのですが…

 

 

話を戻します。加えて、ボールを保持するためにどうするか?を練ってきたチームとそうでないチームとの差が浮き彫りになった試合でもありました。日程の差によるコンディションの影響もゼロではなかったでしょうが、主因は準備の差だったように思います。

これが大きな挑戦の過程で必然的にある失敗というのなら、さすがに同じ過ちを繰り返しすぎて停滞しているように思います。蛮勇という言葉のほうが今は適切ですね。

 

ボールを持つことを選ぶのは方針であり自由です。ボールをきちんと保持できれば、能動的に時間や攻撃をコントロールできるようになります。成熟すれば相手の精神さえコントロールできるようにさえなります。圧倒的なポゼッションは、相手の心を完膚なきまでに叩き折ることさえ可能です。
風間氏の代名詞ともいえる「止める蹴る」にしても、「自分が何でもできる位置」にボールを置くことで、その後豊富な選択肢から最適なものを選び、相手の先手を取り続ける(そして最終的にはゴールと勝利につなげる)が本質的な目的です。パススピードの向上(そのための脚の筋肉強化・身体つくり)・ターンによるスムーズな次フェイズへの移行・パターン構築による認知負荷の節減・囮の配置によって相手を惑わす手など、様々な方法があるうちの一つとして正確な位置にボールを置くことを採用しているにすぎません。

 

ただ、ボールを正確に止める場合、少々要因を考えると、

・味方のパススピード

・味方のパスの球質(グラウンダー・ロブ・バウンド・アウトサイド回転など)

・芝の状態 特にアウェイの場合制御不可能

・雨や風といった自然現象 芝への影響もあり

・味方のパスの正確性、自分の利き足側に来ているか

 

相手が一切いない練習状態を仮定してもこれだけの不確定要素があります。ここに相手が加わり、さらに自分の体勢がベストの状態でなくなることも十分あり得ることを加算すると、プロの選手でも、試合中「自分が何でもできる100点の位置」にボールを置き続けるのはちょっと現実的ではない気がします。自分にとっての100点の位置を的の中心としてピッチ上に的を描くようなイメージだと、練習によって85~90点くらいの位置がアベレージになるような気がしますね。それ以上上げるのは投資としてわりに合わないように思います。正確に止めることは、正確に蹴る確率を上げるだけであって、正確に蹴ることを保証するわけではないのですから…。

個人的には、悪いなりに80点のパスをどう収めるか、80点のパスでもどうすれば十分な状況を作ることが可能かを考えたほうが建設的なようには感じますが、そこは個人の主観ですね。正解は決してありません。


そのような手段を蓄積した先に理想があります。最終的な理想が素晴らしいのはたいそう結構なことですし、実現できれば大変甘美なものを拝見できることでしょう。ただし、素晴らしい理想には綿密な準備とリスク管理が必須です。うまくいかないときが訪れないことなど、サッカーに限らずあり得ません。


例えば、今チームでしている例では、ランゲラック選手の起用や、中谷選手・丸山選手の補強といった個人での解決があります。たとえピンチになろうとも、個人の力で奪える選手・守れる選手でリスクを低減するというのも一つのやり方です。

また、ボールを取られてしまった時、あるいはボールをそもそも失わないように、味方の位置を決めておくこともリスク管理の一環といえます。究極にはすべて選手が自主的に判断できるようになるのが目標ではありますが、守破離という言葉にもあるように、パターンから入り型を守るのも重要な過程になるでしょう。

そして、個人の頑張りに依拠するという解決策は、解決策として不十分であると現在の数字は囁きます。これは昨年度のJ2でもがいていた時期からずっと変わらない点です。頑張って何とかなるとき、うまくいくときはそれでもよかったのです。勝ちという目の前の結果がすべてを癒し、甘き美酒に酔いしれることができたのですから。

ただし、その陰で置き去りにされてきた一人一人が認知すべき情報量、担保するべき相手と管理スペース・タスクといった個人の負荷量の調整は一切行われていません。2年という時間がそろそろ経過しようとしている中、うまくいかないときどうするか、頑張りだけではどうにもならないときどうするかは何の進捗も得られませんでした。

なぜなら、気づいて頑張れる人が頑張っているのですから、そんな配分の見直しはできないわけです。そして責任感の強い選手や、いろいろできる選手が割を食い、故障や目に見えるコンディションの低下という悪影響を受けるわけです。

勿論、どんなチームでもキーマンやエースが調子を落とせば苦労します。勢いに乗れれば何事も好転しますし、負けが込んでいるときは全てが裏目に出ます。そこは平等ですが、調子を落とさないための準備はいくらでも変えられます。食生活・睡眠・メンタル管理とチーム内の健全な競争・時にはエースを休ませる覚悟とそれを伝えられる信頼といったいくつもの要素が今現在を形創っています。

 

そういった状況をありのままに反映したのが今回の神戸戦だったように思います。決して「うまくいっている」とは言い切れない状況が眼前に突きつけられたのではないでしょうか。

 

正直に言えば、傍からみてもかなり豪華な陣容と補強・哲学に賛成する方々に囲まれ恵まれた環境であったとは思いますが、いささか新しい風・異質な風が不足してしまったのかもしれません。完全なたらればにはなりますが、降格の憂き目にあった小倉期にも今年ほどの夏季大型補強と観客増員の大幅な取り組みがあれば、降格はなかったのでは?と思えてしまいます。それほど恵まれた陣容をしていますし、期待外れの選手もおらず強化部の仕事も評価されてしかるべきです。 

いまや競争は皆無で、元々実力の高い選手たちが順当に試合に出続けています。それは半分は当然ですが、もう半分は成長の鈍化を意味します。

J最高の攻撃陣に半年以上さらされ続けたはずの守備陣は昨日も夏になってやってきたメンバーが中心で、必死に個人で頑張っておりました。一流の攻撃に晒されながら自分で考え、伸びなければならないという最高のスパルタ環境で日々研磨したことによる成長は、他クラブさんでの鍛錬を経て名古屋へ来てくださった選手たちに未だに及んでおりません。

コンバートにより新境地を開拓した選手も、元々の守備能力にビルドアップ能力を上乗せした選手も、中盤で急所を見抜いて相手を抉るパスを出せる選手も、前線で違いを見せる選手も魔改造ではまだ出てきていません。今はすべてが外注です。ただし、これは2年未満という期間では短すぎるかもしれませんが。

激しい選手の入れ替わりがあり、多くの選手が残念ながら名古屋を去ったうえで、未だに魔改造による成功例がゼロなのは気になるものではあります。所謂「目を揃える」ことで選手としての市場価値を大きく上げたプレイヤーがまだいないのは、ガラパゴス化へ邁進していることと同義です。風間サッカーの申し子とされる八反田選手が札幌戦のようなことを起こしてしまったこともそれに拍車をかけます。

たとえ魔改造なるものがあったとしても、試合で価値(勝ち)を証明できないならそれは魔改造でも進歩でもないでしょう。酔狂という言葉が失礼ながら相応しくなってしまうのではないでしょうか。

 

かつて多くのサポーターたちを期待させた新風は、2年近い時を経て澱み新しさを失ってしまったのでしょうか。程度の大きさ・規模の大きさ・方針の見直しなどやりようは色々ありますが、新しい風を入れる時ではあるのかなとは感じます。2年前がそうだったように。

それは監督の入れ替えかもしれませんし、コーチの入れ替えかもしれません。あるいは目標とするサッカーの軌道修正かもしれませんし、練習メニューの変更かもしれません。望みはしませんが選手を再び入れ替えるのも方法の一つではあるでしょう。もう今季のうちにできることはほとんどありませんがね。もう今できることをするしかありませんし、今監督解任をするのは愚の骨頂です。何が良く、何が悪かったかさえ得られないまま最悪の結果を招く危険があります。

 

今期の勝ちは10勝です。開幕から2勝と中断明け後に7勝、それとサポーターの方々が阿鼻叫喚している柏さんから薄氷の勝利をしています。残りは守備陣の頑張りで引き分けた試合が4試合です。実は点を激しく取り合う引き分けは一度きりありません。

相手に対策する情報か選手の質という実力があった際、ほとんど勝ちに結び付いていません。それでもなお選手はプロとしてピッチへ向かい、監督は選手をピッチへ送り出すのでしょう。

 

 

しかしながら、これはサッカーである以上当然のことです。相手に対策されて何も変更なく、なお勝ち続けられるチームなど世界中見まわしてもほとんどありません。ゴールキーパーとストライカーに確変が偶然起これば時期限定では見られますかね。現に今年の日本でも観測できたお話です。単に風間サッカーも例外ではなかったというだけにすぎません。 何が結局革命であったのか、どうなったことが革命だったのかは申し訳ありませんが私にはわかりかねます。きっと、もっとお詳しい方が懇意に説明してくださることでしょう。

 

この2年積み上げてきたことを継続するのは選択肢としては有力だと思います。しかし、継続を選んだ場合必ず話に上がるのは川崎さんです。名古屋が主体的にどうなりたいかではなく、川崎さんが成功したからという理由が良く目に入ります。川崎さんで5年必要だったから名古屋でもそのくらいの積み上げは必要という意見もありましたね。

 

勿論当然ながら川崎さんは川崎さんです。一つの他クラブとして敬意を払うべきであり、特別に先輩だとか成功例だとか認識する必要はないでしょう。名古屋は川崎さんではないし、川崎さんには決してなれません。尤も、なる必要もないのですが。

そういう意味では、ネット選手が来てくださったことは喜ばしくとも、ネット選手に今も頼っていることは個人的には何一つ喜ばしくありません。

 

未だに「風間サッカーはなぜ川崎で成功したか?」という答えは見つかっていませんし、おそらくこれからも見つかりません。後付けの分析やぽえむは出てくるかもしれませんがね。

「風間サッカーに中村憲剛選手は必須なのか?」という問いについては名古屋の成績をもって一つの結論が出ることでしょう。

 

その結論が出た際に、今年名古屋を選んできてくださった選手たち・ジョー選手がかみ合わないチームの象徴として批判されたり、アーリア選手が降格請負人だと揶揄されたりするだけでも十分な屈辱ですが、もう一度降格した瞬間の悲愴に満ちた最悪の雰囲気を目の当たりにすること、並びにまたしても応援してきた選手たちがいなくなることを迎えたとしたら、その時はどうなるのでしょうか。

 

うまくいっているときのチームが魅力的で強いことはもう十分わかりました。しかし、

 

万が一うまくいかなかったとき、どうするのでしょうか?

 

あれだけJ2の恐ろしさを肌で感じ、その恐怖が風化するほどの期間も経ず、あれだけの有力選手を抱えて満身創痍の小倉期と同じ轍を踏むのであれば…

 

昨季は紙一重で運が良かったです。今季はどうなるでしょう。