炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

因果の読めない名古屋の逆襲劇

2014年以来の3連勝です。

 

J1でこれだけ勝ち星が続くのが久しいことであるという事実が、ピクシーと別れてから目指す未来を見失い、西野期・小倉期でいかに彷徨ったかを伝えています。もっとも、西野期も中位ではありましたが…。

 

すべてのサッカーチームに付きまとう問題として、勝利と魅力の天秤があります。
魅力的なサッカーをして勝てれば最高ですが、なかなかその両立はあり得ません。というのも、勝ちというのは往々にして不確定要素を淡々とつぶした先にあることが多いです。危険につながるスペースをあらかじめつぶしておいたり、相手に乱された時の優先順位を決めておくなど、準備を進めつつも、本番で準備に拘泥しすぎないことで実現するものだと思います。何が起こるかわからないなりに、起こりそうなことを予測し、粛々と対応したり、時にはやりたいことをかなぐり捨て、現実的にできることをする堅実さも必要です。
一方で、魅力というのはある種の不確実性やハプニング性に基づくわくわく感によって生じやすく、何が起こるかわからないこそ発生する期待という側面があります。また、やりたいことをやりきることは楽しく、見ていて面白く感じる人が多いのは点を取り合う展開でしょう。

 

現在名古屋が進めているサッカーが、魅力的かと問われればその通りなのでしょう。シーソーゲームや息もつかせぬ逆転劇が起こる中、現地の雰囲気はよい意味で異様な盛り上がりに至りました。豊田スタジアムの歴代記録も鹿島戦で更新しています。勿論レプリカユニフォームの配布など販促戦略もあるうえでの達成ではありますが、観戦者数というわかりやすい指標が今の魅力を端的に示しています。そしてそれはクラブ運営上素晴らしいことです。
それだけの観衆の前で、かなり不利な判定の中鹿島さんに勝ち切ったという事実は非常に大きいでしょう。これで後半戦は全勝です。

こうした8月の圧倒的な追い上げは昨季を思い起こします。昨季も新井選手やシャビエル選手が夏に加入し、上昇ムードに包まれました。勝つことが何より重要な時期に、勝てていることは非常に大切なことです。
まだまだ最下位ではありますが、前半戦よりはチームを覆う雰囲気は明らかに改善されています。チームを構成するメンバーが変わった影響は大きいですね。

 

ただし役者は変わっても、やることは良くも悪くも変わっていません。
依然として、個々の選手の質に大きく依拠しています。勿論それはどのチームでも起こりうる話ですが、「選手が加入して質が上がった」をまだまだ繰り返している状況です。今年はもう残留に切り替えるべき時期ではあるので、目先の勝ちを取りに行くために質で圧倒していくことは正しいと思います。もしこれが来年以降も続くのであればそれはまた別の話になりますが…。

しかし、それ以上に痛感したのは、今の混沌としたJリーグで判断を誤ると、冗談抜きで転落しかねないという恐ろしさです。そして、転落しかねない側にまだまだ立っているという現状です。


後半戦では幸運にもすべてドラマティックに勝利しているものの、そうした魅力ある勝利は引き分け・敗北が紙一重であったことも示しています。

仙台さんは数的優位の構築に取り組んでおり、決定的なシュートチャンスを幾度も作られました。最後はポストに助けられつつ選手の質の優位性でぎりぎり勝利しました。仙台さんは一貫したスタイルの構築を進めているものの選手の質で優位になり切れない試合もあり、個人の質が目指すスタイルの実現に肝要なことを再認させられます。とはいえ、質だけでは個人の頑張りに依存する危険な状況になってしまったり、時に頑張りが無駄になってしまいます。
改めて個人と組織を両立する難しさを痛感させられます。ただし、どちらかだけではもはや降格の足音を聞くことは避けられなくなりつつあります。どちらもなければ降格です。

ガンバさんは開幕戦でそもそも名古屋の立ち位置をわからなくしたチームです。初戦のガンバ戦でBrazilian Storm が躍動したことでJ1でもいけると確信した方はいらっしゃると思います。加えて、宮本監督が急遽登板するなど監督交代のゴタゴタもあり、控えめに言っても順風満帆とはいいがたいチーム状況での対戦でした。また宮本監督も引き出しが豊富な監督というよりはモチベーションで戦う派の監督のようで、嵌めてくるような厭らしさも秩序だった守備も見られませんでした。まぁ就任2試合目でそこまでのクオリティに仕上げてくるほうが恐ろしいですがね。したがって、ガンバさんへの勝利で「行ける!」と確信するのは早計でしょう。同じ轍を踏むことになります。

鹿島さんも往年の厭らしさ・堅さはどこへやら、名古屋の攻撃陣の輝きを考慮してもとても「鹿島らしい」とはいえないレベルの守備です。前までは昌子選手と植田選手という日本代表クラスの個人CBが何とかしていたということなのか、たまたまコンディションの谷間が来たのか、完全アウェーの雰囲気に呑まれた選手が多かったのか、判定に恵まれすぎて戸惑ったのかはわかりませんが、常勝軍団といわれてきた鹿島さんでさえ、ついにジーコスピリットに基づく精神的な強みだけではうまくいかなくなりつつある時期に突入しつつあるということでしょう。あと多分ですが大岩監督があまり選択肢を保持していないことも大きいと思います。レジェンドを監督に据える安易な人事はよくありません(経験済)。クラブもレジェンドもサポーターも得しません。


DAZNマネーの獲得により、監督やコーチ・分析チームにフロントの質、ひいてはそういった分野への投資によりどういったクラブチームを目指すかという判断の速さが問われています。その中で神戸さんの取り組みは非常に顕著ですね。湘南さんもキジェ監督のもと着実にクラブとして強くなっていると思います。もっとも、万が一キジェ監督でうまくいかなくなった時やマンネリに陥った時どうなるかという難しさはありますが、今の取り組みではそんな懸念は杞憂に終わりそうです。一方、マリノスさんのように一貫した強化がなかなか勝ちに直結しないというもどかしさにぶち当たることもあり得ます。その際に「気持ちで頑張る」だけではもはや通用しなくなりつつあるわけです。どうして今やっていることを信じられるのか、今やっていることをどれだけの期間積み上げることでどうなるのか、がある程度妥当性をもって論じられなければなりません。もちろん、無益な遠回りも避ける必要があります。その間に周りはどんどん前に進んでいきますからね。

 

選手が頑張るのはある種自然なことであるとともに当然でもあります。頑張らずして選手がピッチに立つことはほとんどあり得ませんし、頑張っていてもピッチに立てないことは往々にしてあります。また勝ちたくない選手はいませんし、それはクラブに携わる人間やサポーターとしても同じ話です。試合に負けて後味の悪いまま迎える月曜日の陰気さは何とも言えないものがあります。特に、選手が個々で頑張っているだけで無惨に負ける試合を見た後の徒労感、生じる怒りや嘆きは何とも言葉にできない心地悪さがあります。

個人の実力の向上は重要なことです。個人の質がなければ、掴める勝ち星は遠ざかってしまいます。それを体現する立場としてこの2シーズンを過ごしてきた以上、覚えのある試合はいくらでもあるでしょう。だからこそ、クラブは風間氏を招聘し、個人の力の底上げに取り組んでいるわけです。そして実際、相手を外してボールを受ける力については、確かに磨かれたと思います。
ただし、絶対的な適性がなければ、ベンチにすら入れない選手が数多くいらっしゃることもまた事実です。現在名古屋にいるレジェンドの楢崎選手・玉田選手・佐藤選手の現状が適性の大切さを強く示唆しています。お三方とも語るまでもなく偉大な選手であり、どんなサッカーであろうとプロとしてベテランとして全力で取り組まれる方々です。しかし出場状況には大きな差ができています。加えて、「止める蹴る」に適応し、魔境で生き残ってきた青木選手や櫛引選手も新加入の選手たちによってスタメンの座を追われ、ベンチを温める日々が続いています。
「止める蹴る」「外して受ける」がまったくもって不要な技術とは思えませんが、さんざん言われる守備をはじめとして、ヘディング・セットプレー・スローインなど様々な「観測外の技術」に辛酸を嘗めさせられる機会はJ2時でさえ数多くありました。連勝している今でさえも、毎試合失点はしています。今はそれ以上に点を取れていますが…。
適性のある選手だけで固めることは、適性だけではうまくいかないときに打開策がないことも意味します。また、「止める蹴る」による認知判断を含めた総合的な質の向上が遅ければ、際限なくいい選手を買い続けるというスパイラルに陥ります。そうしたレアル化ともいえるビッククラブ路線を進めたいのであれば個の力を高め続ける今の道は正しいと思います。しかし、そういう路線をクラブが望んでいるとは思えません。

 

現在、ピッチ上での判断は選手個人に強く依拠しています。当然最後の判断は選手自身がなさることでしょうし、何から何まで指示することはできません。しかし、「止める蹴る」に基づく認知判断の向上、それによるスペースの把握とゲームの支配を目標とするのであれば、ピッチ外から根本の認知判断を支援することは個の力の向上と矛盾しないのではないでしょうか。ボールの奪いどころを決めたり、大まかにでも選手の位置を定めたり、リスクを減らせるような安全策のパスルートとリスク上等のパスルートを併設したりしておくことで、ピッチ上で姿勢よく顔を上げた状態で認識する情報は整理されないでしょうか。一度に入る情報を減らしたり、あらかじめ安全策を手元に保持しておくことで、判断の遅れや情報のオーバーフローによる判断ミスは減らせないでしょうか。そうした致命的なミスを減らすことは、選手個人の自信・チームの結果を高めるうえで大切なことではないでしょうか。チーム全体の構造欠陥を一人の選手がしりぬぐいさせられていて、スケープゴートを探し求める状況が健全といえるでしょうか。

「選手の可能性を信じている」というのは美しい言葉ですが、可能性に殉ずるのであれば無策に等しいです。そういった美しい言葉をつぶやくほど、窮状の際に「選手に勇気がない」とか「受け身になった」といった言葉に転じます。例えば、いきなり敵地で本気のマンチェスター・シティバイエルン・ミュンヘンアトレティコ・マドリーと真剣勝負をするなら確かに相手に委縮して勇気を失ったり、受け身に回ることはあり得るでしょう。しかし、勝手知った日本のピッチで、未知の相手でもないJのチームと戦って受け身に回ってしまうのは、単なる精神面以上の問題が隠れていると考えたほうが良いように思います。仮に本当に精神面の問題だとしたら、それはそれで戦う準備がまったく整っていないことになるのでより大きな病巣があることになります。また、勇気についても入念な準備の下、できるという確信のもと生じるものです。もっとも、根拠がなくても勇気が出ることはありますがそれは蛮勇とか無謀という表現のほうがふさわしいです。恒常的に頼れるものとは決して言えませんね。

勇気が必要ならば、勇気を持てるような準備、ひいては勇気がわく状況が要るわけです。それはメンタルコーチの帯同かもしれませんし、技術の言語化かもしれませんし、勝ち星かもしれませんし、満員のサポーターで埋まった非日常的なスタジアムかもしれませんし、脳の手術や洗脳かもしれません。手段として妥当かはともかく、個人の勇気に期待しても無意味です。方法を言語化するなど経験値としてクラブが保持しない限りは、何度でも同じ問題に突き当たります。

 

今後J1で生き残っていくうえでは、個人の強化も、組織の強化もどちらも進めていく必要があります。今は、個人の強化のほうが重要だという体で、個人の技術という山から登っている状況です。しかしながら、ボールが足元にない時の振る舞いは個人の頑張りに依拠しているのが現状で、ボールを保持できないときにどうするのかという壁に再びぶち当たった時、どこまで頑張れるのでしょうか?

 

おそらく、昨年同様再び壁にぶち当たる時期は訪れるでしょう。それでも、方針はもはや変わらないと思います。いえ、変えられなくしてしまったと思います。
今の道を邁進するなら、守備の細部を整備できる副官を据えるか、認知負荷を低減できるような攻撃パターンを導入するかが現実的な解決策になりそうですが、そういった融通は間に合うのでしょうか。もし間に合えば、今度こそ3年目で取り組みが正しかったのか証明する機会が訪れることでしょう。

 

ただ、どう取り組むのかという悩みはすべてのクラブに共通します。

 

急激な転換期に、どこのクラブも苦労しています。何が正解なのかはわかりません。だからこそ、わからないなりに目に見える課題は解決しておかないと、何に裏切られるかはわかりません。ただ確実に一つ言えるのは、頑張りが強みにはなりえません。至極当然ですが、みな頑張っています。どう頑張るか、頑張りを浪費していないか、頑張りに甘えていないかを突き詰められず、根性や美学に逃げたクラブから降格するでしょう。サッカーが個人の煌めきと根性だけでなんとかなる時代は終わったと思います。また、質を揃えきれなくても降格の憂き目に遭うことでしょう。


二度とそうならないことを祈るばかりです。ここ3試合を連勝出来たことは最後の最後きっと効いてきます。