炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

誰も得していない教員の過重労働

 

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こんにちは。火力不足です。

 

多くの教員が部活や授業の準備など、多岐にわたる業務に疲弊しているという記事です。

疲弊状態では部活の指導は勿論、本文の教育も疎かになってしまうのは想像に難くないですし、そういった状態は先生本人に良い影響があるわけありませんし、生徒にも良い影響はないでしょう。一体誰が得するのでしょう。誰にメリットがあるのでしょうか。

 

これだけ生活にインターネットが浸透し、動画付きで色々なものを自力で学べるようになったうえで、何もかもの指導が教師だけに膨大な責任とともに圧し掛かっているのは明らかにおかしいと思います。正直なところ「子供が教育を受ける権利」が十分に達成されていないように思います。求められる能力の劇的な変化に、学校が全く追いついていないですね。

 

本日は、学校が遅れている点と、報われない教師について記述することを目的とします。

 

 

目次

・学問の多角化

・スポーツの高度化と低年齢化

・まとめ

 

・学問の多角化

学校のそもそもの目的は、労働をするうえで十分な知識と集団生活の素養を身に着けることだと思っています。そのうえで必要になる能力として当初考えられて採用されたのが国語・数学・理科・社会・英語の5科目と言われるものでしょう。ただ、ほとんどの情報は知っているに越したことはないですし、プログラミングに日本の伝統芸能、解析や統計学、経済学なども学ぶ価値はあるでしょう。また、他者とのコミュニケーションを細分化した会話術や交渉、議論の仕方や相手をおだてる方法なども三角関数よりは人生で使う頻度が多い方は少なからずいるでしょう。育児や介護に関する知識も間違いなく必要でしょうね。

しかしながら、これだけの広範な知識を学校の教師が全て教えるのは間違いなく不可能です。万が一教えられたとしても、子供の為にはなっていないでしょうね。

加えて、男女平等を進めたいのであれば、教師に「男だから…」「女だから…」といった性別による決めつけは絶対にさせてはいけませんし、差別は論外です。教師がそう育っていない以上非常に精神的に負荷がかかるでしょうが、それでも絶対に性別による押し付けはしてはなりません。本当に男女平等を進めるのならばそれくらいやるべきですし、そのためのコストは投じるべきでしょう。現状のように曖昧な男女平等っぽいことを続けると無意識のダブルスタンダードを子供に押し付けることになります。それは子供の為にもなりませんし、教師のためにもなりません。

 

よって、優れた教師による動画授業方式を採用した方が、少なくとも今よりは好転するように思います。先に進みたい生徒は予習もできますし、ゆっくり進みたい生徒は同じ授業を何度も復習できます。何より全国選りすぐりのプロの授業になるので面白く感じる生徒は間違いなく増加します。これは学校の先生が無力というわけではなく、部活に保護者との調整に授業にと雑務とストレスに追われていたら、どんな人間でも授業の質はなかなか上げられません。時間もアイデアもありませんからね。

また、教師としても、単純に使える時間が増加します。動画を見てもわからなかった生徒への質問対応が中心になるので、最初こそ手さぐりになりますが、Q&Aが徐々に蓄積していくでしょう。一から「アイデアと面白さと実用性を兼ね備えた授業」を考えなくてもよいのです。技術的には確実にできますし、そろそろ導入した方がよいと思います。

 

・スポーツの高度化と低年齢化

一方で、部活に関しても徐々に片手間で素人ができるものではなくなっています。一昔前では「センス」や「才能」という言葉で片づけられていた要素が膨大なデータや分析により言語化され、上を目指すために必要になる要素がどんどん増加しています。本気で勝ちを求めるのなら、今やネットで膨大な情報が手に入りますし、プロと交渉して雇うこともできるようになりました。時間と意欲を持って突き詰めれば大抵のことは習熟できるでしょう。

その中で、部活というのは非常に立ち位置が中途半端です。勝てるに越したことはないですが、勝ちの為に全精力を注いでいるのかというとそれはノーだと思います。身体は悲鳴を上げるまで動かしていても、頭を使ってトレーニングの改善が津々浦々で行われていることはないでしょう。上下関係に基づき、思考停止のトレーニングを繰り返して勝利を追求する部活もまだまだあるでしょう。また、大学におけるサークルのような気軽に参加できるものが用意されていません。サークル運営や戦略構築を合わせて生徒に行わせることで成長を促したいという明確な目的があれば進めるのも一つの手だとは思います。しかし、現状のままでは本気でやるには精神論に頼りすぎで、ゆるくやるには厳しいか場所がなく、生徒も先生も苦しいという本末転倒な状況でしょう。

個人的には、本気でやりたい人がクラブに所属するか、部活運営・トレーニングメニューの考案・実行も併せてやらせるか、有志がお金を払って専門家を招聘するかのどれかだと思います。現状維持は何の解決にもならず、色々な才能を潰すだけになるでしょう。

 

・まとめ

今学校に通っていない人たちに、学校の勉強がどの程度役に立ったかを問えば、役に立たなかったという声の方が多く返ってくるでしょう。それもある意味当然のことで、疲弊した人間から練られていない授業を受けても面白くなく、かといって生涯にわたって使う知識を大量に伝授されるわけでもなければ役に立つ方がおかしいでしょう。AIに負ける単純労働者を大量生産することにもなりかねません。

先生が命と自分の時間を削り働いた結果、子供の才能は埋もれ、若い時間は浪費され、将来の為に必要な知識もその身に着け方もわからないまま育っていき、国に貧困の種がまかれるというのはさすがに無駄を通り越して自爆か自暴自棄の類でしょう。勿論、すべてを動画で代替するのは難しいので、議論や集団での行動にはまだまだ学校はあった方がよいでしょうから、教師全員が路頭に迷うこともありません。

AIで代替されてしまって働くことすらできない人間が多くなって初めて失敗と言っていては遅すぎるように思いますし、才能を潰しながら「これだから日本の若者は」と言っていても何も解決しません。

実際本意でない過重労働って誰の為になるのでしょうね?経営者としても悪評と割り増し賃金が発生するので割に合わないのではないでしょうかね。