炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

イクメンが無意味なことを皮肉にも証明する記事

 

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こんにちは。火力不足です。

 

現在放映されているドラマ「コウノドリ」から、出産後の夫の育児への貢献が足りないことを指摘する記事です。一応データをもって指摘しているらしいのですが、相変わらずこの手の記事で良く感じる突っ込みどころが例外なく存在しております。特に、データの扱い方で不審なところがありますね。

 

実際のところ、この記事によって共感は集まるかもしれませんが、何一つ現状は解決しないでしょうし、むしろ悪化する危険もあります。そもそも、導入として挙げているドラマ自体、ドラマ化に伴って女性受けがいいように改変が入っています。それを基準にする時点で、「男が何とかしろ」系の文章だろうなとは感じましたが、大方外れていませんでした。

 

本日は、記事に感じた違和感について突っ込むことを目的とします。

 

 

目次

・方針がおかしい

・都合の悪い部分は無視

・夫ができることとは

・現実から逃げ希望にすがる愚

 

 

・方針がおかしい

 

“産科医・下屋(松岡 茉優)が言った「赤ちゃんを増やそうってみんな言っているのにどうしてこんなにお母さんが生きづらくなっていくのかな」という言葉は、現代を生きる女性が子どもを産み、安心して子育てしていくためのサポートの必要性を提起している。妻にとって一番のサポーターは身近である夫であり、家族だ。

 

そんな男性の育児参画を推進する「イクメンプロジェクト」は、2010年の発足から7年が経過した。「イクメン」とは子育てを楽しみ、自分自身も成長する男性や、将来そんな人生を送ろうと考えている男性を指す。2016年度の男性の育児休業取得率は3.16%と低いながらも過去最高となり、年々、その割合を伸ばしつつあるものの、日本の男性が家事・育児をする時間は他の先進国と比べて最低水準であることは変わらず、育休制度の浸透率を考えると、「イクメン」という言葉だけがひとり歩きをし、時には都合のいい解釈で語られる現状は否めない。”

 

 

夫がサポーターとして、育児の当事者として関わる重要性は存じ上げております。父親として関わることが必須だからこそ2010年からプロジェクトを立ち上げたのでしょう。ただ、7年経って男性の育児休業取得率が3%というのは、個人的には最低クラスの進捗だと思います。一般のプロジェクトであれば大失敗でしょう。これだけ浸透しないとなると、解決策自体が間違っているか、まだ未解決の重要な事象を発見できていないかを考えるのが先でしょう。そもそも進路が間違っているかもしれないのですから、いったん根本的にこれだけ数字が低いのはなぜかを考えるのが先決ではないでしょうか。なぜ先進国で最低なのか・日本に足りていない何かを見つけるのが先ではないでしょうか。

それにも関わらず、イクメンという言葉が都合よく解釈されることを心配しているこの記事は、なんとも呑気なものですね。要は、イクメンという言葉が独り歩きするのは頑健な定義を設定していないからにすぎません。「草食男子」と似たようなものなので、独り歩きを防ぎたいならさっさと頑健な定義を提案すればよいだけの話です。「子育てを楽しみ、自分自身も成長する」なんて自己啓発じみた文章を自分で書いておいて、都合のいい解釈とは呆れますね。それも「イクメン」という言葉の都合のいい解釈なのではないですか?

どの程度主体的に子育てに臨むとか、具体的にこういった行動をとる、○○時間以上子供に関わる生活をしている、育児に関わる15項目のうち、10項目以上達成していたら…など、やりようはいくらでもあるでしょう。そのうえで、項目を達成することに忙殺されて自慢するような夫が出てきて初めて、定義の心配をすればよいでしょう。解決する気あるんですかね?

 

また、母親生きづらい世の中なのは肯定します。まぁ目を引くことを目的にしたドラマの台詞に抗議するのはお門違いだとは思いますが、そういった「悲劇のヒロイン」性に辟易とする方もいらっしゃるとは思います。断言できますが、母親の負担だけを軽くしても、育児の問題は解決しません。その負担は消えず、夫が背負ってごまかすか壊れるか、社会に溶かして貧困や犯罪という形で浮かんでくるだけだからです。道にポイ捨てしてもゴミは消えませんよね?

なぜ母親に負担が生じているのかを考え、「時には母親以外の人間を公的に支援することが、結果的に母親の負担軽減につながる」といった、一般人では発見の難しい因果関係を明らかにしうるのがこういった専門家のお仕事だと思うのですが。

 

 

・都合の悪い部分は無視

 

 “第2話、第3話で放送された産後うつに悩まされた佐野彩加の夫、佐野康孝 (ナオト・インティライミ)もその一例だ。「会社ではイクメンと呼ばれている」と胸を張るも、妻が妊娠、出産を迎えても、仕事中心の生活は変わらず。心室中隔欠損の我が子を迎え、育児不安を訴える妻に、「大丈夫、一緒に俺も手伝うから」とは言うが、妻の退院後も協力体制はおろか、仕事中心の生活は変えない。また、彩加の異変に気付いた新生児科医白川(坂口 健太郎)が、夫婦での育児相談を提案しても多忙を理由に時間を作らず、育児休暇もとらない。たまに家に帰れば、育児ストレスで苛立つ妻に「出産してから性格が変わった。このままじゃ俺しんどい」とぼやくありさまだ。さらに窮地に追い詰められ、自殺未遂を起こした妻に「なぜこんなことを。言っただろう、夫婦は2人でひとつだって」と無神経な発言をしてしまうのだった。”

 

一言で言えば、夫婦間のコミュニケーション不足につきます。

夫はどうあがいても出産はできない以上、自分の貢献できるフィールドは仕事にあると考えやすいでしょう。子供が生まれたことで、父親になるという意識が芽生えて大黒柱として期待されていると考えるでしょう。妻は何も言ってはいませんが、ここ日本では間違いなく経済力が必須です。経済力なしに、育児参画をしようとしても「働け」の一言で一蹴されるでしょう。少なくとも一蹴されない社会ではないですよね?そこはさすがに認めますよね?

また、「多忙を理由に時間を作らず、育児休暇もとらない」は妻目線の主観が入っています。実際その通りかもしれませんし「多忙が理由で時間が作れず、育児休暇もとれない」かもしれません。わからない以上何とも言えません。ただ、後者であれば、夫個人の問題というよりは社会構造の問題でしょう。「企業での評定に響いて昇進は遅れるけど、俺は育児に後悔したくない」という夫を妻が満面の笑みで受け入れられる土壌が整ってからこういう発言をしてほしいですね。

また、夫はサンドバックではないので、イライラをぶつけられていたら弱音も吐きます。ATMなら吐きません。イライラが育児に起因する以上どうしようもありませんが、夫がどの程度なら貢献できるかを考えるのは、残念ながら一部の家庭を除けば妻の仕事です。育児においては対等と言いつつ上司は大抵妻なので、最初の説明責任や相談は妻がやった方が楽です。夫に命令していなければ対等なのでその必要はありませんし、どんどん夫に相談しながら育児を協力するとよいでしょうね。

自殺未遂に関しても、急すぎます。そもそも夫がやってくれないことについてはいくらでも記述があっても、やっていることの記述が全くありません。やっていないことから数えれば不満を抱いて当然です。もしかしたら夫は現在やっていることで既に十分と勘違いしているのかもしれませんし、「妻の仕事を奪っても申し訳ない」という邪悪な善意を持っているのかもしれません。実際領分を奪われて妻が自己肯定感を失う例もありますからね。

例えば、記事の例であれば「俺も手伝うから」の真意を聞いて、手伝うの具体的な中身を聞きつつ、その中身で足りないようであればお願いしたいことと自分の現在の窮状を正直に伝え、「手伝う」という意識もできればやめてほしいことを伝えつつ気持ちには感謝して、話し合いを設けるのが先でしょう。大抵は意思疎通で解決が利くと思いますが、もしそれでもなお夫が無力なら初めて自殺の選択肢が浮かぶのではないでしょうか。

察してくれないって悲劇のヒロインを演じても何も解決しません。とんでもない偏見ですが、こういう人に限って夫が参画しようとすると自分ルールに従わない夫を叱責した挙句「もういい!」とか言う傾向にある気がします。

 

 

“実際、佐野夫妻のように夫が妻に育児を任せっきりになってしまっているケースも少なくないのではないか。そこで、男性が子どもを迎えるにあたって必要なことや、育児サポートの現状について述べたい。

 

 第1子を妊娠、出産する母親にとって夫からの物理的・情緒的サポートは、初産を迎える妻にとって非常に重要なこととされる。これを踏まえて、「妻の妊娠中における夫の変化について、夫と妻に認知の差があるか」(2004)という興味深い研究が行われている。その結果、夫が妻の身体を気遣うようになり、他の子どもに対して興味を持つようになったと感じる点では、夫と妻の意識の差がなかったが、夫は意識的に、帰宅時間を早くし、妻の話を良く聞くようになったと自身を評価する一方、妻は、夫が妊娠を期に家事を手伝うようになったが、より一生懸命に働くようになったとも感じており、夫婦に捉え方の違いが顕著に現れる結果となった。”

 

男女平等と言いつつ夫に稼ぎを求める風潮が未だに根強く、労働時間の短縮も進まない以上、妻に育児を任せっきりになるのはやむを得ません。夫の意志に関係なく、やむを得ません。両立できるスーパーマンは凡人のところには降りてきません。また、研究を上げているものの2004年の研究でやや価値観が古いことと、紀要の論文であることから、正式に査読を受けた論文と比較するとやや信憑性が落ちるところが気になりますね。

こうした夫婦間での認識の差がどういった原因によって生じやすく、またどういった行動をとることでこうした齟齬を修正できるかが、10年以上たってそろそろ出てきてよいはずなのですがね。

 

 

・夫ができることとは

 

“出産前に夫ができることは、今の自分の働き方の見直しと職場へ子どもを迎えることの周知をし、協力を得ることである。そこで、産前産後の夫の育児サポート状況の詳細を示した調査結果を紹介したい。

 

父親の出産前後の休日取得状況とサポートの実態」(2014)によると、育児休暇をとった男性は全体の51.5%で、その内訳は、「有給休暇」が38.4%、「勤務先が定めた、配偶者出産休暇などの特別休暇」が17.4%を占めた。また、休暇取得時期においては、「出産当日」が73.8%、ついで「産後8週までの期間」が53.9%、「出産前に取得」が32.7%で、取得日数は「3日」が20.0%、ついで「5日」が17.7%、「2日」が14.2%であった。

 

この調査で産前産後に半数以上、産後6週から8週にあたる出産後の女性の身体が出産前の状態に戻るとされる産褥期を踏まえて夫が休暇をとっていることがわかったが、育児休業制度そのものを利用したのは全体の4.3%に過ぎず、その理由として「忙しくてとれそうもないから」が29.1%、「職場に迷惑をかけるから」が27.2%、「特にない」が21.1%となった。また、子どもの出産後4ヶ月間に、夫が取り組んだ育児については、「赤ちゃんのおむつをかえた」が74.2%、ついで「赤ちゃんを抱いてあやした」が69.9%、「ごみを出した」が67.4%となり、育児や生活のサポートがトップ3を占めた。また、「配偶者の話し相手になった」が65.8%と高い割合となり、妻への心的サポートについても配慮していることも明らかになった。”

 

協力を取り付けると簡単に言いますが、これも負担の行き着く先が議論されていません。結局は仕事量が多すぎるゆえ、それだけの負担をどこに捨てるのかが解決できない限り、ただの理想論です。余裕の奪い合いの繰り返しです。個人的には、女性主導で労働時間の短縮化とベーシックインカムの整備を進めるのが現実的だとは思います。

日付を見ても、とても育児参画どころではありません。育児休暇は権利ではありますが、一人が錬金術のごとく延長し続ければ、後には続きづらくなりますし、残った人の負担も重くなります。育児休暇を吸い尽くすような利用方法も根絶されないと男性への浸透は難しいように思いますが、そういった現状の利用についても全く記述がありませんね。

加えて、これは男性のうちの3%の話です。3%の育児休暇を取れる層でも、一週間が限度というわけです。もう夫の頑張りを搾取するのやめませんか?明らかに夫が一人頑張って何とかなる話ではないでしょう?建設的な話をするなら、「話し相手になった」と夫は考えていますが、実は妻目線では相手になっていなかったとか、愚痴を聞いてほしかったのに解決策を粛々と提案されたとか、その逆といったコミュニケーションの齟齬に起因する問題を掘り起こすことが解決に繋がりそうです。

 

 

・現実から逃げ希望にすがる愚

 

 

共働きの夫婦こそ早い段階から妻自身の仕事を含め、計画的に夫と話すことが理想的だ。

 

 

 しかし、マイナビニュースで行われた共働き女性読者、100人へのアンケート調査では、育休中に共働き(復職)について話し合う機会をもった人は全体の20%に留まり、互いに仕事をもった夫婦だからこそ、厳しい現状となっている。とはいえ、「パートナーとの役割分担」、「パートナーとの会話」、「パートナーとのスケジュールの共有」が共働きをする上でもっとも重要なことという意見が全体の80%以上を占め、互いの協力なくしては、子育ては成立しないことが示された。”

 

そして、文中でも同じ結論に至り、さぁどうやって現実問題解決しようかと踏み出そうとした瞬間に、ひどい調査で邪魔が入ります。

まずたかが100人に聞いただけではろくに傾向もわかりませんし、結婚年度・年収・年齢差・双方の労働スタイルなど、考慮しないと始まらない類のものが一切考慮されていません。加えて「皆がパートナーとの会話が重要だと認識しているにも関わらず実態として行われていない問題」という非常に見解の別れそうな重要な課題に対し、「協力なしで子育ては成立しない(意訳)」はあまりにもひどすぎるでしょう。本当に解決する気あんのかと心底思います。

 

・まとめ

実際、コミュニケーションが重要なことは皆わかっているでしょう。それにもかかわらず、なぜ多くの家庭でそれが行われないのかを仮説を立てて検証するのがこういった調査の役割なのではないでしょうか?

例えば…

「コミュニケーションをとる時間がない」→十分な時間があれば解決するか?

 

「コミュニケーションをとる気力がない」→十分な気力があれば解決するか?

 

「コミュニケーションの取り方がわからない」→重要な話をどういった形で双方合意に収めるかという、交渉や会話の能力の不足→学習環境が足りない?異性への不理解?言語化能力の不足?

 

「伝えたいことが話すうちに曖昧になる」→あらかじめメモにまとめる、メモや議事録を使って進行する、パートナーと価値観を確かめながらじっくり話し合う

 

「そういった重苦しい場を設けるのが怖い」→相手を信頼できていないのでは?嫌われたらとか自分を守る欲求の方が強いのでは?

 

「相手が変わってしまうのが怖い」→あなた方にとっては育児とこれからの生活は些細な恐怖に負けるほどのものなのか→そういった恐怖はなぜ生じるのか?克服は可能か?察することを相手に期待しすぎている?大切な人なら察してくれるというバイアスの存在?

 

「誰かに相談できない」→家庭のことを自身で解決しようとしすぎているのでは?→視野狭窄に陥る原因は?→ストレスをどうすれば低減できるか?

 

 

こういった形で、見解のわかれそうな複数の仮説がすぐにでも立てられます。

しかし、そうならないのは、本当は皆それを望んでいないからかもしれません。

 

もっとも賛同を集めたコメントが端的に示しています。

 

“男は育児を「手伝った」らイクメンとほめられ、女は少しでも息抜きしたら母親失格とばかりに責められる世の中だよ。”

 

事実現状はその通りだとは思います。しかし、例え完ぺきにこなしたとしても、また別の形で「妻に配慮していない」だとか「育児に酔っている」とか書かれて賛同されるだけでしょう。

そういった形で「女性側の男性への無理解」が予想できてしまうからこそ、絶望や諦めに近い感情に苛まれます。

 

 

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