無駄遣いとしては妥当なライン
こんにちは。火力不足です。
2016年度の税の無駄が874億円だったというニュースです。凡人からすれば途方もない金額ですね。ということで無駄遣いが多すぎるという声が上がっております。当然ですね。
ただ、非常に残念ながら、今後もこうした無駄遣いがなくなることはあり得ません。むしろ、本文中にあるように874億は少ない額であるとさえ言えてしまいます。
理不尽極まりないですが、本日は無駄遣いとして妥当である理由について記すことを目的とします。
目次
・国の歳入
・無駄遣いの中身
・まとめ
・国の歳入
2016年度の国の歳入(収入)は約96兆円です。そのうち、税収が占めているのは約50%です。法人税・所得税・消費税の3つで、国の収入の半分を占めていることになります。よって、約48兆円が国税によって発生していると考えるとします。公債金も最終的に国民の借金になることを考えれば含有してもよい気もしますが、ひとまず税金のみで考えます。
そして、この48兆を様々な費用に振り分けていきます。具体的には、社会保障費や地方交付税交付金、公共事業費や研究費などですね。振り分け終えて最終的に出た金額が874億という大金になるわけですが、元の金額はいくらでしたでしょうか。
元々が48兆円という途方もない数字なので、当然ですが無駄遣いも巨額になります。おおよその割合で考えると、1%だとしても4800億ですからだいたい0.15~0.2%くらいの浪費ということになります。額が大きすぎるのでわかりづらいですが、年収400万の家庭で考えると一年で6000~8000円の無駄遣いということになります。スマートフォンの契約を軽視したり、ちょっとした服の衝動買いをしたら簡単に発生しそうな金額ですね。それくらいの無駄遣いもしてない!と断言できる方はちょっと少なそうです。
ちなみに公債金を除いてこの割合です。公債金を含めればもっと割合は小さくなるので、ますます無駄遣いの額は相対的に小さくなります。
金額だけ見れば確かに冷静になるのは難しいですが、常軌を逸した浪費だとか、怠慢だとかいうのは難しいように思います。一般家庭でも0.5~1%以下くらいが浪費の範囲になるのではないでしょうか。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/002.htm
・無駄遣いの中身
森友・加計学園問題をごねて重要な外交について議論できないというような、誰が見ても時間と金の無駄遣いとしか言いようがないものも確かにあります。しかしながら、実際無駄遣いというのは誰がどうあがいても無駄にしか見えないものの方が稀です。身近なところに置き換えてみても、大抵は使うと思ったものが意外と使わず無駄遣いになってしまったとか、事前調査が甘く使えないのに返品もできないといった蓋を開けてみて初めて気づく類の無駄遣いの方が多いはずです。わかりやすい無駄遣いは回避するように基本的には努めますし、できないときは大抵疲労かストレスが蓄積していて判断が鈍っているだけにすぎません。
また、無駄遣い自体がなくなって効率化された結果、天国が待っているわけでもありません。生きる上で皆が粛々と最適化を図るようになったら大抵の産業は崩壊するでしょう。あるいは、無駄であるとして周囲を切り捨て続けた結果、最後は自分が他者に切り捨てられるという笑えない展開を迎える可能性もあります。
・まとめ
「無駄」という言葉を聞くと敏感に反応してしまうのかもしれませんが、実際のところ人間自体無駄の塊ですし、まっとうに暮らすうえでは感情など不要です。感情の生起によりパフォーマンスが左右されてしまうのは生物として致命的でしょう。娯楽や趣味も生存所関係ありませんから、本来そう言ったものに時間を割くのは悪手です。
しかし、それでも我々は感情に基づいて生きていますし、時に無駄遣いもします。
まぁ実際の感覚としては無駄遣い以上にプラスの収支を上げてくれれば個人的には気になりません。山尾志桜里みたく不倫の分を取り返す仕事が一切ないと「違うだろー!」の一言ぐらいは言いたくなりますがね。
あまり周りを責めすぎても苦しくなるだけでしょう。874億という金額の大きさに辟易とするのは感覚的にはわかりますがね。