炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

妊活の理想に潜む不公平感

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こんにちは。火力不足です。

 

妊活を進めることを奨励するための記事です。まず、妊活という言葉があること自体驚きです。普通に出産ではだめなのでしょうか。活動として組み込まないと達成が難しいということなのでしょうか。仕事をしていても自分の人生を大事にして、子供を産むのは権利であるということを進めるために生み出された言葉のように思えます。

ただ一つの条件を除けば、妊活は皆が賛成すると思います。少子化を解決するうえで多産は最重要項目ですし、一人でも多くの方が自分の人生でやりたいことを選べるというのは間違いなく素晴らしいことです。

 

ただ、その一つの条件がシビアです。「自分の身の回りにいないこと」ですね。つまり、自身が観測できない範囲で起こっている分にはほとんど害を被ることもありませんし、むしろ益に近いかもしれません。しかしながら、自分の身の回りで妊活を堂々と宣言されようものなら、これほど不公平なことはありません。

 

よって、単に好き勝手にニーズを広めても、現状では結局ゆがみが生じるだけだと考えます。勿論周りに主張できて支援が受けられるような社会は理想ですが、そこまでの余裕を周囲に期待できるのは良くも悪くも図太い人間くらいでしょう。

 

本日は、妊活に潜む不公平感について記述することを目的とします。

 

 

目次

・出産自体は素晴らしいこと

・周囲の理解が「当然」になる

・負担に対するメリットは皆無

・まとめ

 

・出産自体は素晴らしいこと

重ね重ね申し上げますが、出産自体は個人単位でも国単位でも為してほしい事柄です。そのための基準やスタートラインを設けるやり方として、妊活を宣言するのも方法の一つではあります。周囲に伝えることで、お互いが行動しやすくなるということはありますし、出産自体が否定されるような仕事地獄の社会は私も心底見たくありません。

したがって、方法として妊活を宣言するまではありでしょう。ただし、治療の出費や確率の低下を含めると若いうちから何とか動けなかったのか…?という思いはどうしても生じてしまいますが。

年齢によって自身の考えが変わることがあるとはいえ、色々な点で若いうちから動いた方がよい要素が多いようには感じます。その辺りは教育で補うべき観点でしょう。

 

・周囲の理解が「当然」になる

ただ、こうした女性がらみの話で毎回気になるのが、周囲の理解が前提条件になっているところです。この感覚には甚だ違和感があります。基本的には、あらゆる物事は自分自身で知ったり、調べたり、詳しい方に聞いたり時にはお金を払ったりして自分で何とかするものです。どうしても何とかならないときに初めて他者や周囲を頼るというのが個人として生きる上では割と一般的な感覚なのかなと個人的には思っています。

確かに個人で解決するのは難しい話ばかりであるのは事実ですが、にしても周囲の理解ってそんな当然に得られるものなのでしょうか?理解しない方が狭量だと簡単に断言できるものなのでしょうか?我儘かもしれませんが、周囲だって協力する人間は選びたいです。殊に女性がらみのこういった問題については、協力したくならないような人間も少なくない印象はありますし、肌感覚にも一致します。

個人的には、金銭的、時間的に余裕があれば、割と受け止めきれる話ではあります。その方の普段の行動と合わせて、生じる不満が決定するという感じですかね。大抵普段の行動が悪い奴ほど、余裕のないタイミングや周囲に理解のないやり方をするという経験則はあります。

周囲の理解が足りないと開口一番にいう人間ほど、周囲を理解していないとは思いますね。そもそも理解する必要性を感じていないの方が妥当でしょうか。

 

・負担に対するメリットは皆無

こうした妊活宣言を受けて、周囲の人間はどうなるでしょうか。まず間違いなく周囲の人間の負担は増えるでしょうし、よくは思わないでしょう。正確には、よく思えるようなメリットが個人単位で一切ないというのが適切かなと思います。30年後くらいに月間の収入が1000円増えるくらいのメリットはあるかもしれませんが、そんな話を職場で持ち掛けても間違いなく一蹴されるでしょう。

「30年後から月に1000円ずつ渡すから仕事半分以上やってくれない?」って同僚に持ち掛けたらどうなるかは単純に気になりますね(笑)

目の前の仕事を引き受けた結果劇的に給与が上がるわけでもありませんし、今目の前で時間は過ぎ、帰る時間は遅くなり、疲労や不満は蓄積します。理想としてはわかっていても、感情や実際の負担を考慮すると納得するのは難しいのではないでしょうか。お互いさまとは言っても、そのお互いの場面が決して訪れないことは何となく(特に男性は)わかってしまっているわけです。癌や難病などの、本人も意図しない辛いものであれば「自分もなるかも…」という感覚を抱くことができるので、妊活よりは共感して負担に納得感は得られやすいとは思うのですが、妊活となると共感するのはどうしても難しくなります。年齢を重ねていればなおさらですね。

 

・まとめ

結局のところ、「つらい時はお互い様だよね?」とつらい側にいる人間から押し付けられているような、人の善意に付け込むやり方への違和感と、その「つらい時」が自分には訪れない可能性が高く、単純な損得で言ってしまえば助け損になってしまうこと原因なのかなと思います。本当は8割くらいで常に回る職場環境を作っておくことが重要ではあるのですが、その余裕を持つために特に女性が取り組んでくださることについては驚くほど語られません。余裕が大事、余裕があるといいよね、ということは語られるのですが、その余裕がどこから発生するのかということは、もはや考慮すべき事項だと思います。皆余裕がないのですから。

記事についてコメントで最も賛成されているのは「自分の人生だから、好きに生きるべき」という意見でしたが、大切な場面で好きに生きるために日々周囲との関係を良好にしておくという視点は皆無でした。迷惑をかけすぎない範囲で好きに生きるか、負担を飲むことによって改善することの提案を期待したいものです。

例えば、企業向けには「訳アリ人材は今後もっと増えるのだから現在のうちにシステムを構築することは将来への投資に繋がる」とか、周囲を日ごろからお互いさまを言う立場として助けておくとか、妊活を認めるような多様な働き方の実例を還元することで、独身者も事情により柔軟な働き方ができるような価値観を作るとか、現実的かはともかく無策よりはできることはたくさんあります。

ただ、これを考え実行すべきなのは本来は女性、特に妊活をするような方です。現状、妊活について上司が聞いてもセクハラで封殺されて終わりですし、かといっていきなり言われても対応は難しく、周囲が無理をする形で補填するしかありません。男性が解決策を考えても無駄です。否定されて、足りないとか男はどうせわかってないとか言われて終わりです。

記事にして主張するのは、大切なことですし、出産も非常に素晴らしくかつ重要なことです。ただ、ニーズだけ伝えても誰も解決できませんし、得をしません。感謝さえも多分されません。取り組むモチベーションが皆無なわけです。それならば、せめてアイデアだけでも提示して社会全体で考えるきっかけを作るのは、妊活宣言をしたい方がやるべきことではないでしょうか?

私たちの妊活を推進すれば、巡り巡ってこんなに良いことがあるのだ、と。