炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

女性差別ではなく、学問信仰の限界

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こんにちは。火力不足です。

 

就職活動において、女性が差別されていると言わんばかりの記事です。確かに場面によって女性が不利になる場面は就職活動において訪れることがあります。それは否定しがたい事実です。ただ、一方で場面によっては男性が不利になる場面も訪れます。残念ながらこれも動かしがたい事実です。女性だけが過剰に苦しんでいるわけでもありません。

 

そして、記事本文を読んだ結果、私はこの女性に関して一つだけわかったことがあります。極めて普通の就活生ということです。記事のコメント欄では「プライドが高い」だの「志望先がミスマッチ」だの「人生をなめてる」など散々ないいようだったのは本当に不思議です。

正直私はインタビューを受けた女性についてはこれだけの記事では判断のしようがありませんでした。しかしながら、女性差別という方面では多分におかしな点が見つかりました。

 

本日は、記事について思ったことを学問と絡めながら記すことを目的とします。

 

 

目次

・この女性が普通である理由

・教育構造の不備

・女性の不利な点を強調する卑怯さ

・まとめ

 

・この女性が普通である理由

そもそも、今回の場面で話している相手は記者であり、多少「女性として感じた理不尽さ」を回答として期待されています。自身の進路が決定したうえで就職活動を回顧するなら、理不尽さや自身がよく思われなかった経験について思い出し、少しでも怒りや納得いかなさを抱いてしまうのはおかしなこととは思いません。いわば、記者に向かって就職活動の愚痴を吐いているような状況ですから、もちろん自身の誇りや自負を否定された場面は自然と思い起こされるでしょう。なぜなら面接の場ではありませんからね。相手からも場面として求められているわけですし、隠す理由がないわけです。そんな愚痴の場面を捕まえて「プライドが高いせいで採用されないんだろ」というのはいささか奇妙な気がします。実際ほとんどの人間が働く理由は金銭であるにも関わらず、やりがいやら社会貢献やらを面接では口にするわけですから、本音と建前があることは皆わかっているわけです。その中の本音を捕まえてマウンティングをするのは何か違う気はします。

それが証拠に、この女性は就職活動で苦戦はしているものの惨敗してはいません。一次面接から次に呼ばれないということもなく、最終面接やその一歩前まで進んでいます。そこまでたどり着いているということは高すぎるプライドが見え隠れしていたり会社にぶら下がる気質が見え隠れして、すぐ祈られる人ではないでしょう。「相性」という部分で誤魔化されてしまうような微妙な声の高さやわずかな言葉選び、もっと言えば選ぶ側との共通項が結果的にはほんの少し不足していたのかもしれません。タイムリープして次にもう一度やったとしても、早ぬけするかもしれないし、もっと時間がかかるかもしれないごく普通の人でしょう。わかるのは、高橋まつりさんのような「選ぶ側」の人間ではなかったというだけのことです。

 

・教育構造の不備

コメントでも一部指摘がありましたが、むしろこの女性において活動の足を引っ張った可能性があるのは人文系の修士であったこだと思います。性別に限らず、文系の修士は一般的に民間就職は難しいと言われています。2年間で企業にとって文系学士との明確な能力差を示す指標を習得するのが難しいからですね。

結局のところ、文系においては大卒という肩書が総合職での労働に求められてはいるものの、大学で学問に取り組んでもなんら就職に貢献しないというところが全てなのかなと思います。大学でさえ学問は就職においては最低限しか要求されないのに、まして大学院で学問を専攻することが就職に好影響を及ぼすはずがありません。

つまり、構造上大学が「大卒」の肩書を手に入れるための通過機関にすぎず、真面目に勉強せずに単位をノート丸写しで誤魔化しながら、就職に本腰を入れて授業は勝手に休むのが研究者にならない大学生の最適解です。真面目に学生の本分は勉強であるとわきまえ、要領のいい人間に見せるノートをせっせと作るような大学生が就職活動では苦戦します。それを「自分のために取捨選択できない」と取るか「真面目な人間が損をしている」と取るかは受け取る人によって異なると思います。

よって、就職という多くの人間が通るルートに対し、学問が価値を与えられていないというのが現状の問題点と考えます。スポーツで人生を生き抜こうと考える人間でなければ、スポーツが人生の大きな助けにならないように、学問で人生を生き抜こうと考える人間以外は学問が人生の大きな助けにはならないということでしょう。学問を信奉してきたいわゆる「頭のいい」人間が、学問を万能と考えすぎたあるいは学問を絶対視して傲慢になりすぎたというのが妥当なように思います。「学問は役に立つ」という思考停止が、就職で苦しむという形で役に立たないことが蓄積されてしまった以上、今後も学問は衰退していくでしょう。役に立つことを示せなかった教育の敗北だと思います。

 

・女性の不利な点を強調する卑怯さ

よって、今回の記事の女性が苦戦した要因としては、女性であることの影響はゼロであるとは言えませんが、学問を信じすぎたことの方が影響としては大きいでしょう。高学歴が苦戦するというのは男性にも見られる話ですし、文系修士が経済や法を除けば就職が難しいのも性別によって変わる話ではありません。せいぜい、体力面で男性並みの要求をされる点くらいでしょうが、誉められる話かどうかはともかく男性がやっているのなら女性がやるのは当然のことです。そこで女性なのにと考えるのなら優遇であり怠慢です。ジムで鍛えてでもパフォーマンスを調えるのが男女平等です。

また、文中にあるような「頭良すぎていらないんだよね」というような一見辛らつな言葉も、言われた瞬間は腹が立ちますが、実際は面接の時点で明らかなミスマッチを言ってくれているのは有り難く、従順な馬車馬にならずに済んだのだからむしろ喜ぶべき事案です。ここも女性でなくても言われる話でしょう。

よって、殊更女性に不利に働く点はありません。よく指摘される出産の問題も本来は自立した女性が提案し解決するべき問題です。出産できるという女性のアドバンテージを捨ててでも働きたいのか、コストを負担してでも労働と結婚のマルチエンディングを維持したいのか、働かず家庭に入りたいのかは女性が決めることであり、男性には決められません。男性が決めてもきっと文句や不満しか出ませんし、根本的な女性の自立にも反します。何より、女性を意思決定できる自立した存在としてみなさないやり方ですから、男女平等とはとても言えません。

それにもかかわらず、「女性で良かった」と感じている層も無視し、ただ女性が不利な点だけ挙げるこの記事の女性優遇と女性蔑視には反吐が出ます。本文中にあるように男女雇用機会均等法施行から30年あまり経っているわけですから、そろそろ優秀な女性による女性のみを対象としない改善か、女性の不利な点だけを強調しないフェアさ、対等さは期待したいのですがね。いまだに、女性のみを対象としない改善を大々的に実現したのは高橋まつりさんくらいですし、男女平等を訴える記事くらい男女平等を貫いてほしいところです。

 

・まとめ

もしこの記事の主題が「頭のいい」学生はいらないのか:ある国立大文系院生の就活リアル なら納得できる話ですし、学問の神聖化に歯止めをかけるよい記事であったのではないかと思います。ただ、女性であることに変にスポットを当ててしまった結果、色々な意味で月並みな記事、あるいは悪文と化してしまったように思います。

個人的には、今回の記事のように学問信仰に則って痛い目を見た人間が今後社会を形成するわけですから、間違いなく学問は衰退していくと思います。自分がやって後悔したことにお金を出したがる人間なんていませんからね。