炭火生存日記

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ドイツの保育園だって理想郷ではない

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こんにちは。火力不足です。

 

ドイツでは保育園に理解があり、日本が遅れているかのような記事となっております。

確かに、日本は世界一の速度で少子高齢社会と女性の社会進出を同時に進めている国であり、急な意識改革や保育園の増設の渦中にあります。人間の意識や社会システムがそんなに容易に変わるわけがなく、結構な歪みが生じてもやむを得ない状況があります。せめて女性の社会進出を計画的に数十年かけて進めていればもう少し楽に諸々進行できたのですが。

ただ、物事には何事も裏表がありますし、ドイツが本当に理想郷ならすべての国はドイツを真似て憂いは消えるはずです。そんなはずはないでしょう。だからこそどの国も独自の道を進んだり、リベラルの沼にはまり壊れかけていたり、人口ボーナスを謳歌していたり様々な事情があるわけです。

 

本日は、保育園とモラルについて考えることを目的とします。

 

 

目次

・問題になるのは子供の悲鳴

・ドイツの憂いはどこに?

・まとめ

 

・問題になるのは子供の悲鳴

保育園ができることによって問題になるのが、近隣の交通状況と子供の声の二つです。どちらも実際に蓋を開けてみるまではどうなるかが予想しづらく、送迎時間の工夫や、記事中にあるような音の出にくいおもちゃ・防音壁など音を抑えるための手段を可能な限り採用することである程度は対応できます。正直保育園を建設し、周辺住民を納得させるのなら必須の投資だと思いますがね。子供に静かにさせたいというより、何とかストレスになりかねない要素を抑えようとする姿勢などできる限りの対応なしに、子供を神様のように奉り寛容さを一方的に求める傲慢な姿勢では受け入れられるはずがないでしょう。

ただし、どうしてもストレス要因として避けられないものが一つだけあります。子供の悲鳴です。奇声と言ってもよいかもしれません。子供は時に金切り声のような悲鳴を突発的に上げます。別に本人たちにとっては何の意味もありませんが、これが周辺住民にとっては凶悪なストレスになりえます。「子供の元気な声くらい寛容になれ」といった類の意見に容易に賛同できないのは、この奇声も「子供の声」にどうしても含まれるからです。

普段の生活で他者の悲鳴や奇声を聞けば、まず身構えたり警戒するはずです。それが本能であり、そうしないと生存に関わるからです。大人と言わずとも、中学生以上の人が悲鳴を上げるような場面というのは、明確な危険が迫っているか得体のしれない恐怖に見舞われた状況など、間違いなく警戒するべき状況でしょう。悲鳴や奇声というのは、物で例えるならばサイレンに近い不快で耳障りな警戒音です。子供に罪は全くないという前提はあるとしても、いつサイレンのような不快音がどれほど聞こえるかもわからない環境というのは「我慢できないのは甘え」と断じられるほど生易しいものではないでしょう。

体験してみたい方は、一日中J―アラートが鳴るかもしれないという不安と警戒をもとに生活してみるとよいかもしれませんね。予想以上にストレスになると思います。

よって、モラルの一言で片づけられる問題ではないと断じます。

 

・ドイツの憂いはどこに?

ドイツの子供だけが生まれつき高等で、騒がないということはあり得ません。それならばおもちゃの工夫や防音壁なんて要りませんよね。記事中には「周辺住民の理解がある」とされてはいますが、要は法律で「理解せざるを得ない」状況にしただけです。ストレスの発生を抑える工夫は施しているものの、ストレス自体が蒸発して消えるわけではありません。そのコストを受容するよう義務付けたということですね。

そして、コストの受容には、余裕が必要です。余裕を生み出すのは時間と金銭と人間関係です。保育園がある地域でコストを受容させるには、方法が二つ考えられます。万人にコストを強制的に受容させる方法と、コストを受容できない人間が住めない地域に保育園を作るという方法です。前者は一言で言えば我慢を要求するやり方ですね。日本的ともいえるのでしょうか。みんな耐えているという同調圧力の下、ストレスを個々で消化させるやり方です。

一方、後者は我慢できない人間をそもそも追い出すというやり方です。余裕の欠けた人間を金銭というフィルターではねのけているので、必然的に許容の大きい地域となります。傍から見るには理想郷に見えますが、その外には「選ばれない人間」の怨念と嫉妬、ストレスが満ちているわけです。地域内部にはストレスは少ないかもしれませんが、その分外部に押し付けているともいえるでしょう。まぁこのやり方の問題としては中に入れる人間が限られることですね。奴隷保育士を求めるような人間は入れませんから、日本で実現するのは難しそうです。

 

・まとめ

結局のところ、万能の手法など存在しませんし、理想郷に見えてもそれはゴミを自分たちの敷地外に捨て、隠しているからにすぎません。そのひずみはいずれテロや通り魔といった形で発現されるかもしれませんし、されないかもしれません。要はドイツしかり、フランスしかりを真似ても簡単には解決しないということです。なぜなら、どの国も完璧には解決しておらず、軒並み副作用に苦しんでいるからですね。

そして、日本も少子高齢社会と女性の社会進出の同時並行という実現不可能に近い難題に挑んでおります。その過程で、ストレスの押し付け合いは必ず発生します。それを少しでも解決するのは、時間と金銭による余裕を取り戻すことだと思います。

 

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