炭火生存日記

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美貌も頭脳もない凡人が電通の過労死から学べること

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高橋まつりさんの過労自殺を発端とした電通の違法残業事件の初公判が先日行われ、結審んされました。過労死自体は裁判の争点に問われなかったものの、超有名企業の労働形態が法に明確に違反すると裁判により実証されたことには非常に意義があると感じます。

 

また、今回の事件から、美貌も頭脳もない凡人としては、自分自身の限界と逃げ方を知っておくこと、自分を摩耗させないことの重要性を学ぶのがよさそうです。

 

ただ、電通における労働時間・働き方がおかしいのは大前提として、高橋まつりさんの母親ももう少しできることがあったのではないかなと思いますね。勿論心中は察して余りあるほどですが、一概に娘を失った完全な被害者と考えるのは少しお門違いであるように思えてしまいます。

 

本日は、電通過労死の一件から凡人が得られることについて記すとともに、親の思考について考えるのを目的とします。

 

 

目次

・逃げても死なないことを身体で知る

・子は親に似る

・まとめ

 

・逃げても死なないことを身体で知る

就職活動で新卒カードを使い、最終的に選択したのは自殺してしまった故人本人です。東大卒というスペックや容姿・実際に苛烈な就職活動を勝ち抜き電通に入社したという事実を考えても、彼女は学生の中でも「選ぶ側」にいた人間と言って差し支えないでしょう。

そして、数々の企業を選べる中から電通を選んだわけですから、そこには華やかさ・金銭面を含む社会的地位の高さ・周りからの称賛の目が得られることを期待し、またそのようなものを本人が望んでいたのかなということは正直なところ想像できます。

ただ、電通をはじめとした超有名企業が激務なのは就職活動をしていなくても多くの方が知っている話ですし、高い報酬もそのような激務の裏返しです。その辺りは知らないはずはないでしょう。それを承知でおそらく選択されたのでしょうが、ではそのような本人の意志がどうやって生まれたかを考えれば、母親の影響は決して否定できないでしょう。

日ごろの生活の上で、母として社会的地位が高いことは良いと暗黙に伝えていたのではないでしょうか。勿論口では伝えなくても、日々の何気ない会話・ちょっとした一言から何となく子は親の考えを察します。そして学び、真似をします。そこを否定すると親に怒られますし、そこで価値観が異なると会話が成り立ちませんから子が合わせるしかありません。親が似てほしくないところほど子は似るというのはこれが原因です。

そして、良くも悪くも母親の考えをきちんと知り、その期待に一心に応えてきた一方で、頑張り方は学べても頑張れないときの方法は知らなかったのではないかなと思えます。つまり、厳しい言い方をすれば常に自分の期待を超える娘に甘えていたのであり、娘の努力に乗っかって、信じられないような悪意・挫折から逃げる方法を教えられなかったことが母親の瑕疵なのかなと思いますね。娘からのSOSを受けた際も「(頑張って)死なないで」とは伝えたかもしれませんが、逃げてもいいよとは言えなかったのでしょう。そりゃ極限まで頑張って疲弊した状態に頑張れって言われたら自分の中で何かが切れるでしょう。というより切れます(体験談)

 

やはり凡人として心がけられるのは、自分の直感が鈍る前に動くというところでしょうか。

また、睡眠時間が削れ、頭の回らない状況を自分で責めないことですかね。人間誰しもそうなりますし、偉そうな顔して自分を叱っている上司も睡眠時間削れば思考は必ず単純になるので、偉そうに叱責して来たら自分の中の重要ランクから追放すればいいだけです。へりくだり、他者を尊重しても卑屈にはならないのがコツだと思います。

逃げて死なないことを知るためには割と死がよぎることもあるので、その際に助けてくれる人間関係を作っておくことも大切です。

 

・子は親に似る

一応高橋まつりさんがどんな方だったかをtwitterなどで調べてみると、“こんな姿でFacebook 上に上がりたくない(意訳)””馬鹿を披露できる人を尊敬する(意訳)” といったtwitter上の発言があったことから、他者に弱みを見せられないあるいは良い自分だけを他者に見せ、称賛を受け続けたいという一種の自己顕示欲がわりと強い人だったのかなと推測できます。別にこれは悪いことでもなんでもなく、ただ個人が生き方・考え方の一つとして選択すればよいだけのことです。ただ、娘さんがこういった考えをなさっていたということは、十中八九母親も似たような考えをしていると断言できます。東京大学に受かり、電通に内定した娘は間違いなく母にとって誉れ高かったでしょうし、世間に対し(娘を育てるという形で)見返したという考えはお持ちでしょうね。その過程で、自分の夢や願いを娘に乗せすぎたのも瑕疵でしょう。いわば、娘を使って「強くてニューゲーム」をやってしまったことで、母親の存在が最後の最後に自殺から助けるロープではなく、首を絞めるロープになってしまったのだと思います。

 

凡人としては、他者に過剰に期待しすぎないというところでしょうか。とはいっても、他人に期待しすぎるからこそ我々は凡人どまりなのかもしれません。もう少し自分自身の時間に期待した方がよさそうです。また、自分なりの生き方・考え方を持ち、少し批判されたくらいで曲げないことが重要になると思います。

 

・まとめ

死ぬか生きるかの二項対立になったら、まずは生きることに切り替えるのが大切です。切り替わらないなら引きこもってでもなんでも自分を守りましょう。そこで自分を引きずり出すのはただの敵です。

個人的には、今回超有名企業に対し違法が突き付けられたことで、否応なく日本の労働形態は変化を強いられると思います。それが更に地下に潜る方向にのびるか、時間デフレを解消する望ましい方向へ進むかはわかりません。

ただ、亡くなってしまったという形はともかく、女性の社会進出により労働形態を揺るがす事項を生み出したのは事実です。さすがに死んで改善してほしいとは露にも思っていませんでしたが、男性の死では絶対に動かせなかった悪しき伝統をたった一人で動かし、一石を投じてくださったのが今回の一件です。CMへの抗議くらいしかできない役立たずのフェミニスト(笑)よりよっぽど女性として現在の日本に対して意見を発したといえるでしょう。勿論それが自殺という形になってしまったのは重ね重ね遺憾なことですし、男女限らず繰り返してはならない話です。

今後は死という形ではない、女性側からの更なる提案に期待したいものです。

(正直女性の過労死は残念ながらいつかは発生しうるものでした)