炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

支援がズレているというのなら、わかる人間が直せばよいのでは?

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こんにちは。火力不足です。

 

女性の両立不安から働き方そのものに疑問を呈しており、一見意義のある記事に思えます。

確かに、女性が両立の不安に直面するのは現状の日本における働き方の影響も間違いなくあるでしょうし、働き方そのものを改善していくことは非常に重要です。

しかしながら、女性が両立の不安に直面しているのはもっと他の理由がありますし、肝心の理由を引き起こした一因でもある白河桃子氏が改善の提案をなさっているのは興味深いところがあります。

 

本日は、女性の両立支援について気になった点を記述することを目的とします。

 

 

目次

・もともと両立自体が不可能に近い

・記事内の解釈

白河桃子氏について

・まとめ

 

・もともと両立自体が不可能に近い

記事中では、90%以上の女性が仕事と子育ての両立に不安を抱えているとのことでしたが、正常な感覚だと思います。時間が足りないという懸念もまさにその通りでしょう。試す前から不安になってしかるべきことだと思います。

ただ、それは社会進出の前から予想できたことです。「女性も○○の母ではなく、自立した個人として社会で働きたい」「夫に隷属するような人生は嫌」という思いの元社会進出を果たした1990年代から、女性は人生の選択肢を仕事に生きることと家庭に生きること、あるいは両方といったマルチエンディングとすることに成功しました。

しかしながら、時間だけは平等です。限られた時間の中で自身がどう選択するかは当然自分で判断しなければなりません。そこは自立した女性が易々とこなすか、当初は苦労しても先人たちの声を蓄積してまもなく解決するはずの話でしょう。少なくとも、男性がどうにかできる話ではありません。女性側から然るべき提案があって初めて、乗れるか乗れないかを告げ、負担できる範囲を考慮するのが限界でしょう。

例えば、仕事と家庭を両立するために、2世帯同居を復権し子供の育児を親世代に一部任せたり、海外の女性労働者をメイドとして家で雇って家事育児負担を軽減したり、現状のように保育園を利用して育児を外注したり、専業主夫を採用して夫に家事を任せるなど、どれも大変ではありますが解決策はゼロではないわけです。

ただ、そうまでして両立したい覚悟が自立した女性の皆様におありですか、ということを誰も問わないから滑稽なことになっているんですよね。

 

・記事内の解釈

彼女たちが見ているのは、社内のワーキングマザーの先輩か、メディアに踊る完璧なワーママ像。バタバタかキラキラのどちらかなんです。ああはなりたくないから、こうしなきゃ。でも、朝4時起きのスーパーウーマンにはなれないし、そこまでは無理......そんなモヤモヤに支配されて、誰にも相談せずにあきらめてしまいます。

相談しろよ、と言いたいところですが、相談できる相手がまだ日本に多くいない可能性の方が高いです。しかし、男女共同参画社会基本法ができて30年経っていますから、なぜ少ないのかは議論できるポイントなのかなと思います。また、何かを得るなら何かを捨てなければならないときもあります。恐らく、自分が犠牲になりたくないというのが根底にあるのかなとは思いますがね。

 

 

両立不安の背景にあるのは「こうしなきゃいけない」という固定観念です。働き方の固定観念、子育ての固定観念、性別役割分担の固定観念。日本にはこの3つの固定観念すべてがあります。仕事は長時間がんばらなきゃいけない、いい親にならなきゃいけない、いい妻にならなきゃいけない。女性たちが自分を追い込んでしまうだけでなく、無意識のうちに周囲が思い込みをつくりあげていることも、忘れてはいけません。

 

別に女性に限った話ではないといういつもの話です。仕事を長時間…は男性の方がむしろ顕著な話でしょうし、そこを解決したいのなら社会進出の時点で女性側から「男性も少なくないストレスを抱えていますし、労働環境をより良いものに変えませんか?」という提案があってしかるべきでした。男性が長時間やる以上、平等ですから女性も長時間やることが当然になります。別にそれで特段評価されません。女性は長時間労働をしたくないが、男性より良い評価が欲しいというのは男性に対する強烈な差別でしょう。長時間労働がよいとはとても言えませんし、そのような働き方が正しいとは私も思えませんが、男性がやっていて女性がそのルールに乗っかる以上は女性もやらなくてはなりません。

いい親になることについては男女差があるかもしれませんね。ただ、子供と強くかかわり、時に夫と引き離すこともある以上は、「何かあったとき妻側に子供が行く国だから、その分普段の負担は重い」ということなのでしょう。この点も、女性が育児負担を軽くするのは自由ですが、その分有事の際の親権はとりづらくなるでしょうね。近年は男性もよき父であることを要求されているので今まで以上に子供が夫に懐くというケースは増えるでしょう。

いい妻になることはいい夫であろうとする悩みと同義でしょうし、性的役割分担はどちらの性も強固な観念を持っているでしょう。「男らしさ」の放棄についてはエマ・ワトソンがスピーチをするなど観念からの解放が提案されたこともありましたが、まず実現しないとみて間違いありません。女らしさを捨てた女が男に受容されない以上に、男らしさを捨てた男が女に足蹴にされるのが目に浮かぶにもかかわらず、その光景を否定できる誠実さや信頼・実績が女側に十分蓄積していないからですね。具体的には、どうしようもない軟弱なオタクが素晴らしい女性と関わり、十分に男として尊重され、どうしようもない要素が改善されることがありふれたことになれば解決するでしょうが、絶対あり得ません。

無意識のうちに周囲が思い込むことも同様です。男女とも苦しんでいるので、「その苦しみを一緒に協力してなくしましょう!」ならわかりますが、この記事からそういった協調の姿勢は私は残念ながら読み取れませんでした。

 

 

それは「女性に優しい会社」を目指してきたツケだと私は思っています。日本の企業は「男性視点」で女性に優しくしすぎた。そのことが逆に今、女性が働き続けるうえで足を引っ張っているとも考えられます。

 

この記事のキモがここだと思います。単純な話として、真に女性がどうしたいのかは男性にはわからなかった。その結果、やむを得ず「男性視点」で優しくしてみた結果、今になって足を引っ張っていると言われてしまったわけですね。察することができなかった男性が悪いとみるか、察してほしいという受動性を労働市場においても発揮した女性を悪いとみるかです。ここは難しいですね。

個人的には、女性に優しい提案については、女性に優しくすることが男性にも優しくなるなら賛成しますし、男性に負担を丸投げして調節するなら反対しますね。

 

 

女性だから育児をしやすいように早く帰してあげよう、ではなく、本来は男性や独身者にもライフはあるのです。最初から、男性の働き方にもメスを入れるような改革、つまり企業全体での長時間労働の改善をしておけば、10年もの間、女性だけに優しくする必要はなかったんです。

 

 

日本の会社では滅私奉公が求められますが、限りある個人の時間というリソースを企業が強制的に全部搾取することが、そもそもおかしいのです。働き方改革で残業時間の上限規制ができることには、大きな意義があると思っています。

 

ここに関しては賛成します。しかし、この点について思うことは後述します。

 

・白川桃子氏について

10年前から女性だけでなく企業全体で働き方を変えようと、白河氏が主張していらっしゃったのなら素晴らしい慧眼だと思いますが、こうした主張に転換したのはここ数年のことだと思います。個人的には、最初の5~6年間は女性だけへの優しさを甘受していたというのがしっくりきます。

その理由を白河氏の著書から考えます。

 

 

著作(wikipedia より引用)

 

『噂の「おみー君」劇場 - 平成お見合い新事情』(岡林みかん画、マガジンハウス、2000年)「こんな男じゃ結婚できない! - 噂の「おみー君」劇場」光文社知恵の森文庫 

『結婚したくてもできない男 結婚できてもしない女』(サンマーク出版、2002年)

『「キャリモテ」の時代』(日本経済新聞出版社、2008年)

『跡取り娘の経営学』(日経BP社、2008年)「老舗復活「跡取り娘」のブランド再生物語」日経ビジネス人文庫

『結婚氷河期をのりきる本!』(メディアファクトリー、2008年)

『あなたの娘や息子が結婚できない10の理由』(PHP研究所、2009年)

『セレブ妻になれる人なれない人』(プレジデント社 2010年)

『震災婚 震災で生き方を変えた女たち ライフスタイル・消費・働き方』2011 ディスカヴァー携書

『専業主婦に、なりたい!? "フツウに幸せ"な結婚をしたいだけ、のあなたへ』講談社 2011

『震災婚』(ディスカヴァー携書 2011年)

格付けしあう女たち「女子カースト」の実態』(ポプラ新書 2013年)

『専業主婦になりたい女たち』(ポプラ新書 2014年)

 

著作を見て分かる通り、2000年前半は経済力と専業主婦をどちらでも選択できた女性が、男性を選び放題で、結婚しないことも選択肢として持ち、マルチエンディングを謳歌していたことが著書名からもわかるでしょう。私の実感としても、この時期から女性はどんどん強くなっていったように思います。2008年になるとリーマンショックもあったことで少し毛色が変わり、キャリアを積むだけでは結婚が難しいかもといった方向に転換し、男性の非婚率も上昇したことで「結婚できる女性はココが違う!」という趣旨の本が増加したわけです。

そして、東日本震災前後になると、「震災婚」といった印象的なワードの著作に始まり、専業主婦になりたい女性がむしろ増えているとしたわけです。ちなみに震災のあった2011年は厚生労働省の人口動態統計によれば婚姻件数は前年を下回り戦後最低となったそうで、特別婚姻が増えたわけではありません。まぁそのような非婚が進んだ理由は私にはよくわかりますがね。

著書から白河氏の主張を考えると、ここ十年でキャリアとしての生き方から専業主婦への回帰という真逆の主張に転換しているわけですね。これをリーマンショック東日本大震災といったイベントから変わりやすい意識を機微にとらえていると判断するか、主張が二転三転していると判断するかは自由ですが、間違いなく企業全体で働き方を変えるべきとはしていなかったでしょう。私自身は機微にとらえているという前者に判断しますが、そうなるとまた別の問題が浮上します。

第一に、当然然るべき調査を取って著書として出版しているわけですから、潮流として間違いなく見られた現象・膨大なデータから予見された現象が白河氏の著書になっているわけです。とすると、女性全体の意向が、意気揚々と社会に進出して、男は不要と言わんばかりにキャリアを突き進んだものの、リーマンショックや震災を経て、不安になった結果また専業主婦に回帰したがっていると推察できてしまうわけです。勿論、このような些末なデータですべて判断することは不可能ですが、男性からすればこうした行動ははっきり言って裏切りでしょうね。マルチエンディングを謳歌するのが女性の権利と言われればそれまでですが、だとしても異なるエンディングを進む者同士の対立はあり得ます。

第二に、10年前キャリアとして働き方を示した女性がのちの女性の為に何らかの制度やアイデアを残せていないことになります。男性が女性に優しそうな施策をするよりも、女性が女性のための施策を男性に負担が偏らない程度にする方が間違いなく建設的なはずです。

この年代の女性は間違いなく社会的に期待され、応援され、支援されていたにもかかわらずその大役を果たせなかったことについては問われるべきでしょう。

要は、どちらにせよ女性同士での目に見える議論が起こらないとおかしいはずなのに、起こっていないわけです。

 

・まとめ

そもそも支援があってさも当然な文体にも個人的には懐疑的なのですが、まぁ働き方については一度考えなおす段階にきていると思います。どんどん「訳アリ人材」が増えていくのは間違いないでしょうし、その際に贅沢を言っていられる企業の方が圧倒的に少ないでしょう。

ただ、支援がズレているというのなら、そろそろわかる方が直したら?というのが正直な思いです。優秀な方がたくさんいらっしゃるのだから、早く女性同士での議論が明るみに出てほしいものです。

 

参考記事

 

karyokuhusoku.hatenablog.com

 

 

karyokuhusoku.hatenablog.com