炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

いじめで自殺するのは、現時点で最善の逆転の一手だから

 

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こんにちは。いじめられた経験のある火力不足です。

 

新学期の開始に自殺する子供が多いのは、学校という閉鎖空間がいじめられる子供にとって助けになるどころか追い打ちをかけてくるからでしょう。学校という世界しか知らなければ、そのレールから外れることは恐ろしいですし、親が「ふつうの良い子」を自分に期待していることも子供は察します。引っ越すにしても金銭的な負荷は少なからずありますから、簡単には言い出せません。

要は、逃げ出そうとするためにエネルギーが必要なのに、そのエネルギーを少しずつ削られていくわけです。そして打つ手がなくなり、自分も信じられなくなり、死にたくなります。

 

ところが、こういった話は子供の世界だけではありません。大人の世界の過労死やパワハラも同じ構図です。転職やフリーランスという別の世界に行く手段があるのに、無知やエネルギー不足からだんだんと打つ手を失い、うつ状態や最悪の場合自殺に至ります。

 

結局のところ、いじめ自体抜け出し方が非常に難しく、最悪自分が動くしかないため抜け出し方が全然知られていないゆえの「死」です。

ところが、死に至る理由はもう一つあると私は考えます。

 

本日は、いじめ自体のたちの悪さと、結論が死に至る理由について経験者として記すことを目的とします。

 

 

目次

・極悪なタイプのいじめ

・死ねば許される国

・外の世界を知ること

・まとめ

 

・極悪なタイプのいじめ

いじめそのものがとてつもなくたちが悪いのですが、その中でも群を抜いて悪辣なものが二種類あります。便宜的に勝手に名付けますが、「主観型」と「ダブルバインド型」です。記事に例示されている女性がどちらも受けています。

まず、主観型は、いじめる側が主観的に感じた事(悪口)をぶつけてくるタイプです。具体的には「キモい」「臭い」などですね。いじめる側が感情として生理的に生じてしまったため私は悪くないと言い張るのを言い訳にしてきます。注意する人間が悪口として注意しても、そう感じるものは仕方ない、キモい(臭い)あいつが悪いとごり押してきます。きっと家庭で母親が同じ手口を使っているのでしょう。父親の手口ではありませんからね。最初にキモいを生み出した人間は悪い意味で天才だと思います。最近だとLINEを使った集団既読無視なども偶発性を装っており、悪意を隠す点でこの一種だと思います。

自分での制御が難しい要因、もしく相手の感情的判断に大きくゆだねられる要素は修正しようがないため、これを集団で言われると非常に精神的にくるものがあります。自分で自分を信じられなくなり、強いストレスがかかります。対処法は無視することですが、無視するとそれはそれでうっとうしいです。相手をオウムかタンパク質と認識するのが自分は効果的でしたね。悪口しか覚えていないオウムに馬鹿といわれても怒りたくなりませんよね。

次に、ダブルバインド型は、(聞こえないような声で)答えたくなかったり、逐一行動を観察されて報告されるような嫌なタイプの質問を繰り返し投げかけられて、答えても地獄無視しても地獄というパターンです。いじめる側は、答えにくい状況を作っておきながら、いざ無視されると無視された私は被害者で悪くないという論法を使ってきます。これも家庭で自分がされているから使うようになったのでしょう。「よそはよそ・うちはうち」と「○○さん家の○○君は勉強があんなにできるのに…」系統のダブルバインドを親から食らった人間は日本に数多く存在すると思います。その親も、職場や家庭で、「どうして相談せずにやった?」と「どうしてそんなことを相談した?」のダブルバインドに苦しんでいるのでしょう。大人がやるから子供もやるんですよ。

こちらのタイプも無視、というより自分の中でそれを使った人間の格を下げるのが一番ましかなと思います。しかし、親や先生といった子供目線での大人が平然と使ってくるのでこれもエネルギーがかなり必要ですがね…。

 

この2種類を使うことは、コミュニケーション能力の著しい欠如としてどこかで是正されるべきだと思うのですが…まぁ私自身も解決策に至れていないのでこれ以上は言えません。

 

・死ねば許される国

上記のような極悪ないじめを受け、周りは敵、誰にも相談できず、環境を変えられるような絶対的なカネや権力もありません。自分が苦しむのは自分のせいでなく、娯楽に自分を潰してくる明確な敵であり、何とかして復讐したいです。ただ、学校という閉鎖空間では集団を作れず、劣勢を返せません。反撃してもエスカレートする危険があります。運動能力や勉強能力を上げる手もありますが、即効性は薄いです。

しかしながら、逆転の一手が一つだけあります。それが「自殺」です。この国では亡くなった方は美化されます。亡くなった自分を「弱い奴w」などと否定しようものなら確実に炎上ですし、状況証拠からいじめた人間は浮かび上がります。「私は悪くない」と逃げ続けてきた醜い敵をつるし上げると同時に、自分を確実な被害者にできます。未成年として公的な罪には問われなくても、現代ですとTwitterなどで住所から名前まで特定され、私刑によって敵に復讐することができます。自分の人生を壊した敵の人生を壊すことができます。悪口や人格否定を受け、いじめた側が「どうして私がこんな思いをしなきゃいけないの!?」と叫んだ時に「自分がしたことなんだからもっと苦しめ」と世間が裁いてくれます。ついでに見て見ぬふりをしてきた大人も裁けますね。実に甘美です。

勿論、自分が死ぬ瞬間は痛いでしょうが、敵が受ける責め苦と自分が受けてきた責め苦を考えればぬるいでしょう。というより、ぬるく感じたときに躁状態に転じます。そもそもいじめで受けているストレスが甚大なため正常な判断ができなくなっています。過労死寸前の人間が正常な判断をできますか?それと同様に、できるわけないですよね。

どうせ壊されてしまった(と思い込むまで追い詰められた)人生をしり目に、自分が死ぬ「だけで」すべて逆転して敵に復讐できるのが自殺の魅力です。これは大人の世界の過労死でも同じことが言えます。死ねば周りは自分を守ってくれます。

 

・外の世界を知ること

さすがに私も自殺が最適解とは今では思いません。一番良いのは他の時間軸を知ることだと思います。自分が勉強しているこの時間に、誰かは飛行機に乗って楽しい旅に出かけている、誰かは観光客を迎えている、誰かは海外で自分の知らないことをしている、ことを知って一日使ってワクワクする側の人間になってみることです。そして、自分の生きているレールがいかに狭く、すぐに降りられるものであるかを知ることです。

ただ、私も降りたからこそ言える話です。降りるまでは勇気が出ず、本当に苦しみました。

多少勇気がいりますが、1万円持って、一日ずる休みして出かけて世界を見まわしてみれば、閉鎖的な世界はあっという間に崩れます。様々な人が様々なことをしていること、どうしようもなく合わない人間が一定数いること、世界は一生かかってもわからないくらい広いこと、その片鱗を一日ずるして味わってみませんか?一日ずるして咎められても死にません。学校に行かなくても死にません。いじめる奴がいるところにわざわざ行かなくても今は勉強できます。

 

・まとめ

残念ながらいじめはなくなりません。大人が率先していじめをしているからです。その中で生き残り、自分のやりたいことを見つけ実現していくためには、ヘドロのような環境に見切りを付けて文句を言われない程度の力を養い、レールを降りても死なないことを肌で知ることではないでしょうか。最初は本当に勇気と気力が必要ですが、やってみる価値はあると断言できます!

 

参考記事 

karyokuhusoku.hatenablog.com

 

karyokuhusoku.hatenablog.com