炭火のような生き方

生き方に悩む人のためのブログ

過労自殺から見る、学校教育の行き止まり

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こんにちは。火力不足です。

 

研修医の自殺原因が過労であるとして、労働基準署が労働災害を認めました。多くの方を救う医師という仕事の過程でこうした痛ましい事件が起こってしまったことは重く受け止めるべきです。使命感ややりがい、感謝だけで搾取するやり方は論外として、十分な金銭を伴うとしても法外な労働時間で働くやり方はもはや限界にきたといえます。亡くなられた方にはお悔やみ申し上げます。

 

勿論、研修医の勤務体制であったり、周囲の環境にも少なからず問題はあったといえますが、そうした環境からは少し視点を外してみると、研修医になるような方は学校教育の先頭を走り続けてきたようなエリートであり、そうしたエリートがこのような悲しい結末を迎えてしまっているという問題点があります。この時点で学校教育には瑕疵が少なからずあるといえるでしょう。解決策としては、現在の労働環境を改善するか、学校で過酷な労働環境に耐えられる人間を作るかのどちらかになるでしょうが、現在の学校は後者を満たしていません。もっと言えば、学校自体が(教師にとって)苛烈な環境です。

 

本日は、学校教育が到達した限界点について考えることを目的とします。

 

 目次

・知識面の不足

・精神面の不足

・自分を守ってから誰かを守るのが現実的

・まとめ

 

・知識面の不足

学べることや学ぶべきことがどんどん増加している現在の社会において、学校教育の5教科は、重要ではないとは言えませんが昔と比較して重要度は相対的に下がっています。有用だと断言できるのは優秀な教師に教わった国語・英語・中学数学全般と理科社会の基礎知識くらいでしょうか。高等教育における高度な知識については、人生のうちで有用に使う頻度を考えると、割に合わないと感じる人間も少なくないでしょう。そうでなければ、学校教育に疑問は呈されないでしょうし、三角関数の有用性について議論になることもないでしょう。

その一方で、プログラミングや英語以外の第二外国語、経済学や保険・税といった将来利用するシステムの構造、投資、異性との交際における適切な手法などもっと実用的で学ぶべき要素は大量に存在します。こうした実用的なものに加え、日本の伝統的な能・人形浄瑠璃・落語といった文化に関わるものも知らないよりは知っていた方がよいものも大量にあります。グローバル化を進めるのならば異国の言葉で自国を説明する能力も必要ですからね。そのほか、農業や海産物の養殖といったものもなかなか公的な支援なしでの経験は難しく、学んでおけば生きる上で化学式よりも自分を助ける知識になりうるでしょう。

要は、知っていて損になることは知識においてほとんどないわけですから、何かを学ぶには優位性が存在する必要があります。いったん学べば、知れば知るだけ興味があれば深められますし、興味がなければ不向きであることを早いうちに悟れます。そうした膨大にある情報の代表が現在の5教科+αとして教えられているわけですが、そろそろ代表として不適格な部分で出てきて、優位性が失われたのではないでしょうか。「学校教育のおかげで○○できました!!」といった好意的なフィードバックがあまり多くないのも一因でしょう。

 

・精神面の不足

社会人としてという言葉であったり、学生気分という言葉が示しているのは、明確に学生の精神面がよい意味でも悪い意味でも働くうえで不足していることを示唆しています。特に問題になるのが、学校では逃げ方が教えられるどころか逃げることそのものが悪とされやすいところですね。世の中には逃げるしかない邪悪が存在しており、自分自身の善意が一切通用しないことがあり得ます。そうした自身にとって害になる存在から、どう逃げるか、どうやり過ごすか、気力があればどう叩き潰すかを習得できません。「良い子」として育ってきた人間がつぶれるのも逃げ方を知らないのが原因だと思いますね。自分が所属している世界なんてちっぽけで、簡単に他の世界に行けることを身体で理解しないと間違いなく潰れます。

私自身も僭越ながら「良い子」の部類に入る人間だったとは思いますが、今思うと心の底からあほらしいですね。扱いやすい子としてひずみを押し付けられた覚えしかありませんね。

 

・自分を守ってから誰かを守るのが現実的

誰かを守り続けて、自分が摩耗して最悪亡くなっても、そのあとには自分が本当に大切にしたかった方々の絶望と後悔と、その他数多のとってつけたような「イイヒトダッタヨー」という趣旨の偽りの言葉しか残りません。際限なく重要でない他者に尽くしても搾り取られるだけです。余裕のない世の中なので余裕の奪い合いです。

そのため、まず自分を守ることが最も大切だと断言できます。自分を守り、自分自身に余裕が生まれれば親しい人間を守れるでしょう。それで余裕ができたら親しくない人間や、顔も名前も知らない人間を助けるというのが現実的でしょう。今回の研修医の方や教師の方々にも言えることですが、教える方・救う方の充実無くして、教えられる側・救われる側の充実はあり得ません。いい意味で自分勝手になるやり方も、学校ではなかなか学べませんからね。

 

・まとめ

もっと別のことを学ぶべき時代が来ているということはひしひしと感じますし、そのための環境が追いついていないことも実感しています。余裕があって本当に必要なことを家庭や習い事で上手に補完できる子供と、余裕がなく補完できない子供の格差がさらに広がっていくのでしょう。それに伴い、アメリカのように学校や地域の格差もでき、私立に通うのが当たり前になる時代も来るでしょうね。