炭火生存日記

しぶとく生きるためのブログ

(私が容認できる)多様性が重要

www.theguardian.com

headlines.yahoo.co.jp

こんにちは。火力不足です。

 

Google に所属する男性エンジニアが会社の方針を批判したということで解雇されるという事件が起こりました。解雇されるほどの主張ということで、非常に過激なものを想像していたものの、実際の内容は、「エンジニアに男女比率の差が出るのは、男女の生来の能力の差異であり、性差別に基づくものではない」[1]といった根本的な男女の適性を述べた極めて妥当な主張でした。解雇事由としては、多様性を否定しかねない危険なステレオタイプを助長する主張だからとのことですが、これで解雇されるわけですから何とも言葉が出ませんね。

 

そこで、本日はこの主張が妥当であることを示すとともに、多様性の詭弁について考えることを目的とします。

 

 

目次

・おかしい要素が一切ない

・その考え方は多様性に含まれないの?

・極めて身勝手な話

・まとめ

 

・おかしい要素が一切ない

「エンジニアに男女比率の差が出るのは、男女の生来の能力の差異であり、性差別に基づくものではない」という男性エンジニア主張が性差別であると反論するためには、男女の生来の能力に差がなく同一であるという事実(先天的に差が存在しない)と、エンジニアという職業に関心を持つ女性が男性と同等程度に存在しているにも関わらず、学習機会・周囲の環境といった本来必要な機会が女性にのみ不足している(後天的に不合理な差が存在する)という事実の2点が必要です。つまり、能力ややる気は一緒なはずなのに、機会を理不尽に奪われているから差別であると主張するべきというわけです。

ところが、エンジニアの主張に対して批判点として挙げられているのは、その主張自体がステレオタイプに基づいたものであるといった、能力に差異があることさえ否定せずに差別であると述べています。まぁ男女はどうあがいても出産能力の有無や身体能力の発達において先天的な差は存在しますし、論理的に否定できないので仕方ないですね。また、後天的な差についても、女性自体がそもそもエンジニアという職を好まない傾向にあります。日本での理系・特に工学系統の男女比を思い浮かべていただければわかりやすいと思います。つまり、そもそも女性自体がエンジニアにあまり関心を持たない傾向にあると述べた方が妥当でしょうし、女性自身の感覚としても、学ぶ機会があったとしても別の分野(文系全般や生物系)の方が関心を持ちやすい傾向にあるでしょう。

ちなみに男女平等の理想郷として挙げられやすいフィンランドスウェーデンなどでもこの傾向は同様です。エンジニアや土木といった職業より、公務員や教師・保育士といった職を女性が選択する傾向にあります。

 

また、こうした生来の性別に基づく選択に関しては、非常に詳しく記述なさっている他サイト様がある[2]ため、参照を強くお勧めします。

 

・その考え方は多様性に含まれないの?

多様性という話が信頼できなくなる要素がまさにここです。要は、男性エンジニアのその考えはどうして多様な考えの一つとして受容されないのか?ってことです。もっと過激かつ明確に「特に理由はないが女は劣っている」などと記述すればさすがに擁護できないでしょうし、明らかな差別として罰を受けるのは妥当でしょう。多様性といっても他者を明らかに傷つけたり、著しく不快な感情を生み出したりするものは制限されるべきだと思います。しかし、今回の例はそうした不快さ・身勝手さに伴った主張ではありませんし、むしろ男性エンジニアを批判する側に多様性を受容することが不足していると言いたくなりますね。多様性といっても、自分が認められる多様性しか認めたくないのでしょう。でもそれに多様性という言葉を当てはめるのは間違っていると断言できます。

 

・きわめて身勝手な話

自分が認められる多様性しか認めない卑怯さは今回のケースと逆の場面でも登場します。具体的には、3Kといわれるような職業に女性が少ないことです。もしかしたら女性に対する差別に基づいて男性が多い現状になっているのかもしれません。しかし、こうした職業に対して彼ら彼女らが差別を提言することはあり得ません。男性の能力や努力によって成り立ってきた高等な分野に対してのみ、女性が不足している現状について差別であると述べるわけですね。極めて身勝手で卑怯な方法だと断じます。本当に多様性を主張したいのなら、女性が3Kで働く自由を推進してもいいんですがね。自殺者数とかも平等にしていただいて構いませんよ?

 

・まとめ

男女平等といいつつ、社会的に地位の高いところだけ平等を求めて、負担を徹底的に男性側に押し付けるやり方には反吐が出ます。もし本当に多様性を重視するのならば、相容れない考えに対しても、「私自身は決して容認できないが、主張としては理解できる」といった趣旨の意見が飛び出すはずなのですが、現実は我が正義・敵は絶対悪といわんばかりに反対意見を叩き潰しています。多様性という言葉を使わず、素直に私たちは認めないって言えばまだ理解できるところもありますがね。本当に卑怯です。

 

参考 男性エンジニアの主張 ”Google Diversity Memo”

Google Diversity Memo

 

補足

[1] (本記事における意訳, https://www.theguardian.com/world/2017/aug/06/google-staffers-manifesto-against-affirmative-action-sparks-furious-backlash を参照のこと)

[2] Think outside the box 様 http://totb.hatenablog.com/entry/2017/08/07/220158 

Google 社員の多様性イデオロギー批判 を一部参照