炭火のような生き方

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コミュ力とは何なのか

こんにちは。コミュニケーション力が人並み以下の火力不足です。

 

ここ十年程度で急に必須な力として求められるようになった能力といわれたら、多くの方はコミュニケーション力を挙げられるのではないでしょうか。

確かに、インターネットの登場により顔も名前もわからない方と適切に文章のやり取りをしたり、不文律を超えて世代の違う方と「空気」を当てにせず適切に話すにはコミュニケーション能力は重要だと思います。事実、行動の幅が広がった分、あれば便利な能力なのは間違いないでしょう。

 

特に、就職活動においては、必ずと言っていいほど求められるのではないでしょうか。

 

しかし、具体的にコミュニケーション能力とは何なのでしょうか。人と話すにしても友人・年上・年下によって対応は変わるでしょうし、内容がたわいないものか、金銭のかかわる話か、揉め事かなどによっても大きく変化するでしょう。

しかしながら、細かく求められるものについて言及されることはあまりないように思えます。もしかしてこれを察するのもコミュ力の一環なんでしょうかね。

 

本日は、世間で言われるコミュニケーション能力を細分化することを目的とします。

 

 

目次

・大抵の人はそれなりに会話ができる

・全部はほぼ無理

・コミュ力というより…

・まとめ

 

・大抵の人はそれなりに会話ができる

多少の得手不得手はあると思いますが、大抵の人はそれなりには会話ができます。会話も繰り返し行うことで方法がわかってくる訓練の一種なので、やりようによって上達させることができます。

よって、それなりの会話が難しい方は、よほど不器用か、会話に関してトラウマがあるか、自分が話すことを意識しすぎていて、会話が遅れてしまうか、相手の話を全てまともに聞きすぎて頭の中で整理できていないか、相手にエスパーになることを要求しているかなど、何らかの理由が存在します。

また、これらが単一で存在するとは限りません。複数合わさっている可能性もあり得ますね。加えて、本人の感情次第で相手に察することを求めるケースもあるとはいえ、全く会話ができない、というケースはそう多くはないでしょう。不要な暴言や、明らかな無視、察してほしい願望を全開にして相手に責任をすべて押し付けない限り、会話を壊すことも難しいですしね。

 

・全部はほぼ無理

一方で、コミュニケーション能力を使うような会話は本当に多種多様です。雑談から叱責から称賛から仲裁まで、異なる力が必要になります。究極に突き詰めれば相手にとって望ましいタイミングで相応しい言葉をかけ続け、時には一方的に聞き役に回ることを淡々と繰り返すことが「相手にとって完璧なコミュニケーション」になるわけですが、まぁこのレベルに至っている人間はいないでしょう。称賛は上手でも叱責が下手とか、様々な能力の偏りが人間なので必ず存在するはずなのです。

よって、よく言われるコミュ力というものが、聞く従順さを欲しているのか、物怖じしない交渉力を欲しているのか、揉め事の際に中立を保って上手に解決できる仲裁力を欲しているのか、さっぱりわからないわけです。勿論、全部持っている人間はほぼいません

 

・コミュ力というより…

私なりには、世間で言われるようなコミュニケーション力というのは、「自分に従順」「聞くべきことを聞ける」くらいの意味合いだと考えておりますが、これだと従順さという言葉の方が適切なように思えます。加えて、やってほしくないことを口頭で言えない(言語化できない)・ダブルバインドダブルスタンダードといった相手をがんじがらめにする精神破壊につながるタブー行動をしない位の節度は必要なので、話すうえで相手がどうしようもないことを避けた先に「コミュ力」っぽいものがあるのではないでしょうか。

 

・まとめ

コミュニケーション力は能力の集合体というより、会話において使える手段からタブー行為を引いた残りすべてなのかなと感じました。