炭火のような生き方

生き方に悩む人のためのブログ

苦手を克服することは必ずしも善ではない

こんにちは。適材適所が考えのもとにある火力不足です。

 

得意なことは好きになりますし、能力を伸ばしやすい一方で、苦手なことはなかなか克服するのは難しいですね。成果が出にくいから苦手になるのか、苦手だから成果が出にくいのかはわかりかねますが、あまり苦手なことに対して積極的に挑めるという方は少ないように思います。

 

勿論、自分自身の時間や金といった限りある資源を投じるわけなので、苦手と感じるものは割に合う投資ではないと本人が感じていることに等しいです。だからこそ、やる気がわかないわけなんですがね。

 

ただ、苦手を克服する、と聞くと一見無条件に良いことであるかのように思えますが、案外善でもないように思います。今日はそこを記事にしようと思います。

 

本日は、克服すべき苦手とそうでない苦手を明らかにすることを目的とします。

 

 

目次

・克服すべき苦手

・そうでない苦手

・まとめ

 

・克服すべき苦手

克服すべき苦手は、自分が生きていくうえで必要不可欠なものと、自分の得意なことをより強化するための重要な過程に存在するものの2つのみだと考えられます。

まず、前者は非常にイメージしやすいと思います。食事・貯金などを含めた自己管理は苦手だったとしても、他者を金銭で雇う余裕がなければ自分でこなすしかありません。この場合は、極端ですがやらないと生きていけないという一種の強迫観念が、苦手と向き合わせます。例えば、サッカーで考えると、プロの世界で戦うために、身体の細かった選手が苦手な筋力トレーニングに取り組むようなものです。要は、やらざるを得ないためにやっているといった感じです。

もう一つは、自分の得意なことを活かすために、苦手に取り組む場合です。これもサッカーで考えると、足の速い選手が、そのスピードを生かすために、トップスピード中のボールタッチやシュートを磨くようなものですね。要は、得意なことを伸ばすためにやっているという感じです。

 

・そうでない苦手

上記2点に合致しない苦手は、実はあまり克服すべき理由がありません。この文章を読んでいる方が一人で生きるような生き方をしても、多くの人と関わりながら生きるような生き方をしても、苦手と必要以上に向き合う理由はないからです。

なぜなら、一人ならば本当に必要なことだけ克服すればよいですし、いずれ危機感から習得するべきことは習得します。一方で、多くの人と関わるならば自分より得意な人間に任せればよいからです。その分自分は得意なことを請け負えばいいですね。むしろ長所が異なるもの同士で適材適所の分配をしない方が何のために多くの人と関わっているのか、という話になるのではないでしょうか。

 

 

・まとめ

苦手を克服することが善ではなく、自分に役に立つ苦手を見極め、行動することが真の善でしょう。必要のない苦手に投資しないことも、重要な判断と言われてしかるべきであると思います。極端な話になりますが、サッカー選手が栄養を代替できる食物の苦手を克服したり、苦手を克服して手先での精密な操作ができるようになってもあまり影響しませんよね?

投資する勇気も大切ですが、投資しない決断も大切ですね。