頑張った先に何が待つのか
こんにちは。むやみに頑張らない火力不足です。
頑張ること、と聞いて悪いことを思い浮かべることは少ないですが、ただ頑張ればよいものではないことは常々痛感します。
先日、頑張ること自体は考えたものの、頑張った先に何があるのかはあまり考えられていなかったので、今日はそこを記事にします。
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本日は、頑張った先のインセンティブを考えることを目的とします。
目次
・頑張り自体に意味はない
・錯覚しやすい
・結果が見えればインセンティブになる
・まとめ
・頑張り自体に意味はない
時間やら金やらを投資するので、努力そのものを評価してもらいたいという思いが生じるのは自然です。ただ、なかなか努力だけで評価されることは残念ながら少ないですね。皆余裕がないですから、他者の努力に気を配れる方はあまりいないでしょう。
また、我慢するという意味でも頑張りに意味はありません。我慢して好転する場合より、我慢が当たり前と認識されて自分が損をする方がもはや危険だと思います。
がむしゃらに頑張ればよいのは世界が右肩上がりの時でしょうね。
・錯覚しやすい
しかし、報いは欲しいですよね。人間の根源的な欲求であるだけでなく、報いを必要としないと時間や金といった限られた資源を浪費してしまう危険性もあります。
ただ、報いのために頑張ってしまうと当初の頑張りの目的を見失ってしまいます。何らかの実現したい結果や、目的があって取り組んでいるはずなのに、頑張り(我慢して努力する)自体が目的に逆転していたら、錯覚に陥っているので見直す必要がありますね。錯覚に満足する人種もいるようなので要警戒です。
・結果が見えればインセンティブになる
要は、明確な結果や目的地がはっきりしていれば頑張りは非常に有意義です。ただ、そうした中身を伴った頑張りは優れた教育者の助けがあった方が望ましいんですよね。頑張り自体に酔う状態も自分一人だと修正が難しいですし、可能なら自分が通ろうとしている道を知った先駆者がいることは強い道しるべになります。
思考停止の頑張れはもはや害悪ですがね。
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・まとめ
正当なベクトルに則って、適切な学習量を積み上げた先には、物事の習熟やスキルの習得が待っていることでしょう。その過程で他者が携わりますが、益か害かを冷静に判断する力が重要です。