わからないときは教え方が悪い
こんにちは。優秀な教育者のいうことは素直に聞く火力不足です。
ここ十数年で、手に入る情報量が膨大になったことで、我々が人生においてとれる選択肢も膨大になったといえます。と同時に、自身で道を選択することがより重要になり、労働や結婚といった今まで堅実とされてきた道も、かえって危険になりうる世の中です。
そのうえで、大切になるのが自分自身で学び習得することではありますが、一部の鬼才を除けば、ほとんどの人間は「教えられる」過程があり、その指導者との相性、指導者の教育能力に応じて熟達するかが決まります。つまらない教え方を受けて興味を失うことも珍しくないと思います。
よって、本日の記事では、わからない、に至る原因を教え方から考察することを目的とします。
目次
・優秀かどうかは自分でわかる
・違和感を我慢すると害しかない
・そもそも優秀な教育者自体少ない
・まとめ
・指導者が優秀かどうかは自分でわかる
優秀というと少し曖昧ですが、一部の鬼才を除けば、ほとんどの人間は「教えられる」過程があり、その指導者との相性、指導者の教育能力に応じて熟達するかが決まります。そして、優秀な教育者に教えられると、自分自身でわからないことがわかるようになります。勿論合う、合わないはありますが…。
自分でわかることが増えていく感覚を与えられる教育者は優秀です。加えて、自分自身があることに向いているかどうかは、自分である程度事柄を理解しないとわかりません。つまり、「取り組んだうえで、自分より優れた人間がたくさんいて自分には向いていない」と判断するまでの時間を短くしてくれるのが優秀な教育者ですね。
・違和感を我慢すると害しかない
わからないものをわかっていると思い込むことに意味はありません。それは自分自身をだますことであり、最終的には何が自分でわかっているのかさえ分からなくなります。また、自分自身の違和感に向き合うことを避けていると、そもそも違和感を覚えにくくなります、いわゆる鈍化ですね。自分にとって害しかないので共感できる人間を見つけるか、紙などの媒体に言語化することをお勧めします。
・そもそも優秀な教育者自体少ない
しかしながら、教育自体が非常に難しいものである点は考慮しなくてはなりません。教える側に知識や経験・それを言語化する能力があって初めて、ある程度教えることができるといえるでしょう。しかしながら、それだけの能力は簡単に手に入るものではなく、教えられるほどの能力を持った方は他の知識にも通じており、もっと他の仕事を選ぶでしょうね。
教えることは重要であるわりに、開拓されていない分野ではないでしょうか?
・まとめ
自分で学べることが最も重要な世の中になった一方で、我々が人間である以上、教えることはなくならないでしょう。しかしながら、金銭的には最も評価されない仕事のうちの一つかもしれませんね。