炭火のような生き方

生き方に悩む人のためのブログ

生物としての本能が凌駕されるまで

こんにちは。女性があまり得意でない火力不足です。

私は将来的には社会的名声と無縁な炭火のような生き方をしたいと考えているのですが、既にそういった発想を得て様々な方略を実行している方々がいらっしゃいます。そうした先輩方に共通して見られるのが、「女性が得意でない」という点。これは私にも該当するので、本日はそのような嫌悪の原因がどこにあるかを考えてみようと思います。

 

※今回の記事では先天的な同性愛者に関する議論は省略させていただきます。

 

 

目次

・スタートはプラス

・家族

・集団生活

・周りの大人

・テレビ・新聞

・ネット

・逆にプラスは?

・まとめ

・注

 

 

 

・スタートはプラス

生物学上男に生まれれば女に対する好意はプラスで始まります。理由は生物としてそのように設計されており、子孫を残すような行動を心がけるからですね。したがって、人生において女と関わり、プラスに感じたこと・マイナスに感じたことを概算した結果、同じぐらいであればプラスで終了するはずと仮定できます。こうした生物としての本能さえ凌駕するほどの酷さと考えると改めておぞましいですね。

 

・家族でマイナス

人生で最初にかかわる女はたいてい母親です。よって、母親からダブルバインドダブルスタンダードの利用といった精神破壊行動[1]を受けると、女に対するマイナスは一気に蓄積します。母親そのものを嫌悪する、というのは子供では相当精神力の必要な行為なので、大人を嫌悪するか、女を嫌悪するかといった属性に対する嫌悪にすり替えることによって、脳を納得させることがあります。また、父親に対する陰湿な行為(無視・陰口・悪口・子供の洗脳など)もじわじわマイナスにつながりますが、日本だと9割9分くらいの母親がやってそうです(※イメージです)。その他、私は姉妹がいないのでわかりかねますが、姉妹から女の恐ろしさを知るケースもあるようです。

 

・集団生活でマイナス

ここが一番大きいと思います。平たく言えば学校での「陰口→いじめ→集団いじめ→反撃→泣かれる→悪者扱いからの吊るし上げ・謝罪→疎外感からの自信喪失→いじめの増加」確定死コンボが女恐怖症に陥る決定打だと思います。このコンボの恐ろしいところは逃げ方が一切ない点、自分自身に落ち度がない(あるいは落ち度が足の遅さ・身長の低さ・かっこ悪さといった改善しようのない社会的地位の低さに起因する)点、友人関係さえ破壊されかねない点にあります。関わらないように無視しても無視自体を咎められます。関わっても損しかしません。地獄です。悪夢です。でも現実です。

また、自分が幸運にも避けられたとしても、「仲の良い友人がかかり、疎遠になってしまう」「加担を強いられ、恐怖から従ってしまい、後悔する」などの二次的な影響からマイナスが残ってしまうケースというのも少なくないのではないでしょうか。

 

・周りの大人でマイナス

上記の集団生活とも関わりますが、大人が全面的に女を信用・優遇することが頻繁にあるのでそれもマイナスにつながります。特に、私の義務教育時代には男女平等教育が推進されていたため、「男女平等教育で育っていない先生によって男女平等が推進される」ことが起こりました。その結果、「都合のいいとこだけ女に持っていかれ、都合の悪いところは押し付けられ、抗議すると男のくせにとなじられる」ハイパーコンボを全国の男が一度は受けたと思います。昔なら男役割に固執することに一定のメリットはあったのでしょうが、今は男の器という我儘を許容するゴミ箱を押し付けられるだけなので降りるが勝ちです。

 

・テレビ・新聞でマイナス

意外と無視できないのがこれかなと思います。リーマンショック後から民主党政権崩壊後くらいまでの時期は女性様旋風が吹き荒れまくり、女性様のなすことすべてがメディア上で称賛されるような異常な時代だったことを今でも覚えています。女性が正当な成果を上げ、賞賛されることは喜ばしいですが、些細なことで女性様を奉るのは、かえってまともな女性に失礼なのでは?と思います。また、テレビ番組上での男性に対する苛烈な扱いや、災害時の男女関係、松濤温泉シエスパ爆発事故あたりが私的にはマイナスに見事に貢献してくれました☆

 

・ネットでマイナス

これがとどめですね。現実では絶対に批判が許されない中、女性様に対する不満は自分だけのものではなかったこと、不満が決して少量で妥協できるものではなかったこと、全国にもっと不満を大きくする要素が点在していたことから、「女性様に関わると負け」という一見冗談のような言葉がなんら冗談でもないと分かり、二次元に逃げる選択肢が取れるようになったことは本当に大きいです。ネットがなければもう少し女性様帝国は続いていたと思います。また、そうした男性にとって不利になる女の性質を女が認めたにもかかわらず、なお受容を要求したことも大きいですね。

 

・逆にプラスは?

直接接してよい思いをする可能性があることに尽きると思います。社会的地位が常に高い男性だと、プラスに感じることもあると思います。ただ、逆境時に追い打ちをかけてくるという話もあるので、一長一短ですね。また、美談系は脚色され本人の意思以上に女性であることが殊更強調されてしまうのでそこで多少マイナスが入ります。

 

・まとめ

よい女性は勿論いらっしゃると思います。ただ、今や、女はパートナーではなく明確な敵、それも男にない武器や防具を装備し、審判さえ味方に付けた厄介な相手と考えるのが正直妥当であるように思います。個々の女性は素晴らしいのかもしれませんが、統計上の女は男嫌い・恐怖も進行しているらしいですし、まぁしばらくこういう時代が続きそうですね。

 

 

注: 本文における「女性」は一般的な良識を備え、男性に対し理解のある人間のこと。また「女」「女性様」はそうした良識を持たないタンパク質のこと。なお、個人的に面識があるといった形で、固有の人格を知っている場合には、性別といった一般的属性に人格が先んじ判断されるものと仮定する。つまり、顔見知りの友人・知人のことは「女」「男」とは呼ばず、性別以上に人格での判断が認知上優先されていると本文では仮定している。

 

[1] ダブルバインド・・・「なんで怒っているかわかる?」「どうしてやったの・やらなかったの?」など、意図と言説が矛盾した疑問を投げかけられることで精神的に束縛されてしまうこと。

ダブルスタンダード・・・「他の家の○○君、○○ちゃんは・・・」と「よそはよそ、うちはうち」といった矛盾する基準を場面によって使い分けること。いずれにしても解決策がないため、脳が「いかに解決するか」よりも「いかにやり過ごすか」を考えやすい。